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湯気の立つティーカップを、ラティアは慎重に運ぶ。


さっきまで泣いていたせいで、少しだけ視界が滲む。


手元がぶれる。


ぱきん。


小さな音とともに、カップの縁が欠けた。


「あ」


一瞬固まる。


精霊たちが慌てて光を寄せる。


ラティアは息を整え、両手で包む。


淡い光が走り、陶器は元通りに戻る。


「……ご、ごめん」


「いや、割れる前提みたいになってんの何で?」


カイルが吹き出す。


「毎回壊してから完璧にするの、もはや儀式だろ」


サラがくすりと笑う。


「でも、不思議ですね。壊れたほうが、前より綺麗に見えます」


ラティアは小さく首を傾げる。


「……そう?」


「ええ」


サラは優しく頷く。


「傷を知っているからでしょう」


その言葉に、ラティアの指が止まる。


ユリスは黙って受け取る。


何も言わず、一口飲む。


「うまい」


短い一言。


それだけで、胸が少し温かくなる。


しばらく穏やかな沈黙が流れた。


焚き火がぱちりと弾ける。


そのとき、カイルが何気なく言った。


「なあ」


ラティアが顔を上げる。


「外、見たくならねえの?」


空気が、わずかに変わる。


責める声ではない。


好奇心の延長のような、軽さ。


ラティアはすぐには答えられない。


視線が自然と結界の縁へ向かう。


淡い光の向こうには森。


その先に雪山。


さらに遠くに王都。


人のいる世界。


「……こわい」


正直な言葉が落ちる。


カイルは頷く。


「だよな。俺も最初の遠征は吐きそうだった」


「え?」


「勇者様の付き添いでな。死ぬかと思った」


わざとらしく肩をすくめる。


「でもさ」


焚き火に枝を放り込む。


火の粉が舞う。


「怖いって思えるの、外を想像してるってことだろ?」


ラティアの瞳が揺れる。


「想像、してる……?」


「全く興味なきゃ、怖くもならねえよ」


軽い声。


でも、その言葉は静かに胸へ落ちる。


サラが続ける。


「世界は広いです。美しいものも、恐ろしいものも」


優しい微笑み。


「けれど、どちらも知っているからこそ、人は選べます」


選ぶ。


その言葉が、妙に重い。


ラティアはカップを握る。


壊して、直したカップ。


欠けた痕跡はもうない。


けれど、確かに一度割れた。


(わたしも……?)


外を知らないまま、守られ続ける春。


それは安全で、優しい。


でも。


今日みたいに。


誰かが去るだけで、泣いてしまう。


「……少しだけ」


自分でも驚くほど小さな声。


「少しだけなら……見てみたい、かも」


沈黙。


カイルがにやりと笑う。


「ほらな」


サラは柔らかく目を細める。


ユリスだけが、じっとラティアを見る。


その視線は、問いでも否定でもない。


ただ、覚悟を測るように静かだ。


結界の光が、ふわりと揺れる。


不安定ではない。


むしろ、広がるように。


ラティアは気づく。


怖い。


でも。


怖いだけじゃない。


胸の奥に芽吹いた感情は、


もう、春だけでは収まりきらない。


世界はまだ遠い。


けれど確実に——


彼女の中で、扉が開き始めていた。


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