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床に突き刺した剣が、微かに震えていた。
自分の手が震えているのだと気づき、ユリスは息を止める。
押し倒した少女は、抵抗もせず固まっている。
細い肩が小さく揺れていた。
泣いている。
その事実が、遅れて胸に落ちた。
そして——気づく。
ユリスは反射的に視線を逸らした。
少女は衣服を身につけていなかった。
今の彼女は、脅威でも敵でもない。
ただ、無防備な少女だった。
「………」
小さく息を吐き、剣を引き抜く。
背を向ける。
決して振り返らないまま、肩のマントを外した。
雪原用の厚い外套。
腕だけを伸ばし、静かに告げる。
「……かける」
拒まれないことを確かめるような、短い間。
そしてそっと、少女の肩へ落とした。
重たい布が、ふわりと包み込む。
⸻
ラティアは息を呑んだ。
遅れて、自分の状態に気づく。
「……っ」
顔が一気に熱くなる。
慌ててマントを胸元へ引き寄せた。
さっきまで恐怖しかなかった。
斬られると思っていた。
なのに今、押し寄せてくるのは——恥ずかしさだった。
ちらりと前を見る。
ユリスは完全に背を向けている。
視線を寄越さない。
振り返りもしない。
距離を守るように立っていた。
「着替えろ」
低い声。
命令ではなく、静かな配慮。
「……外で待つ」
扉が開き、冷たい風が入り込む。
足音が遠ざかった。
静寂が落ちる。
ラティアはしばらく動けなかった。
マントを握る。
温かい。
まだ彼の体温が残っている。
怖かったはずなのに。
敵だったはずなのに。
胸の奥が、じんわりほどけていく。
「……へんなの」
小さく呟く。
急いで衣箱へ向かい、服を手に取る。
着替えながらも、何度も扉の方を見てしまう。
本当に外で待っているのか。
もう剣は向けられないのか。
袖を通し終えた頃。
ラティアはマントをそっと撫でた。
守られている気がした。
知らない感情が胸に芽吹く。
恐怖でもない。
安堵だけでもない。
名前のつかない、小さな揺らぎ。
ラティアは頬を押さえ、深く息を吐く。
「……もう、いいよ」
少しだけ恥ずかしそうに、扉へ声を向けた。
⸻
外で待っていたユリスは、わずかに目を閉じた。
安堵した自分に気づき、眉を寄せる。
なぜだ。
なぜ剣ではなく、マントを差し出した。
答えは出ない。
ただ一つだけ確かなことがあった。
もう——最初に剣を向けた時と同じ目では、彼女を見られない。
春の結界の風が、マントのない肩を静かに撫でていた。




