選びたくない日
その日は、朝から息苦しかった。
理由は分かっている。
分かっているから、余計に重い。
教室に入ると、澪がこちらを見た。
すぐに、気づく。
俺が来た。
今日も、選ばれた。
その確認みたいな視線。
◆
「おはよう」
澪が声をかけてくる。
少しだけ、距離が近い。
「おはよう」
返す声は、平静を装った。
澪は、それだけで満足したみたいに、席に戻った。
胸の奥が、軋む。
◆
昼休み。
他のクラスの友達に声をかけられた。
「午後、手伝ってほしいことあるんだけど」
断ろうとした。
本気で。
でも、その瞬間、澪の顔が浮かんだ。
俺がいない時間。
選ばれない時間。
「……後で連絡する」
曖昧な返事になった。
それでいいのか、分からない。
◆
午後の授業。
澪は、何度もこちらを見ていた。
不安そうでも、疑っているわけでもない。
ただ、確認している。
俺が、ここにいるかどうかを。
それが、耐えられなかった。
◆
放課後。
澪が、当然のように隣に来た。
「帰ろ」
疑問形じゃない。
「……今日は、用事がある」
口に出した瞬間、心臓が跳ねた。
澪の足が、止まる。
「用事?」
声が、少しだけ低くなった。
「ちょっとだけ」
嘘じゃない。
でも、本当でもない。
澪は、俺をじっと見ていた。
逃げ道を探すみたいに。
「……どれくらい?」
確認。
選ばれなかった時間を、測っている。
「すぐ終わる」
根拠はない。
澪は、少しだけ考えてから、笑った。
「じゃあ、終わったら連絡して」
それは、許可じゃない。
猶予だ。
◆
澪と別れて、歩き出す。
背中が、ひどく重かった。
数分ごとに、スマホが気になる。
通知は、来ていない。
それが、逆に怖い。
◆
用事は、すぐに終わった。
本当に、十分もかからなかった。
それなのに、連絡する指が動かない。
今、戻ったら。
また、選ぶことになる。
それが、嫌だった。
◆
少しだけ、歩いた。
川沿いの道。
夕方の風が、冷たい。
選ばない時間。
たったそれだけで、胸がざわつく。
◆
スマホが鳴った。
澪からだった。
画面を見ただけで、喉が詰まる。
出なかった。
出られなかった。
◆
家に帰る。
部屋に入る。
カーテンを閉める。
世界を、遮断する。
それでも、澪の顔が浮かぶ。
不安そうな目。
待っている姿。
「……やめろ」
誰に向けた言葉か、分からない。
◆
眠れなかった。
夜が、やけに長い。
◆
翌朝。
目を開ける。
胸が、嫌な音を立てた。
カレンダーを見る前に、分かっていた。
それでも、確認する。
日付は――
進んでいた。
◆
学校に行く。
教室に、澪はいなかった。
息が、止まる。
◆
昼休み。
担任が、短く言った。
「……澪は、今日は欠席だ」
それだけだった。
理由は、なかった。
◆
世界が、静かになる。
音が、遠のく。
分かっていた。
選ばなかった。
それだけで。
◆
目を開ける。
自分の部屋。
スマホのアラーム。
カレンダー。
放課後の、あの日。
戻っていた。
息を、吐いた。
助かった、と思ってしまった自分が、嫌だった。
◆
教室に行く。
澪は、いた。
何もなかったみたいに、席に座っている。
俺を見ると、少しだけ不安そうに笑った。
「……昨日、連絡くれなかったね」
責める声じゃない。
確認だ。
俺は、逃げなかった。
逃げられなかった。
「ごめん」
それだけを言った。
澪は、ほっとしたように息を吐いた。
その瞬間、分かった。
もう、完全にだ。
俺が選ばない時間は、
澪を殺す。
だから俺は、選ぶ。
選びたくなくても。
それが、どんな顔をしていようと。




