選び続けるということ
澪が生きている。
その事実だけで、胸の奥が落ち着かなかった。
教室の窓際。
澪はいつも通り、頬杖をついて外を眺めている。
変わったところは、何もない。
なのに、目を離すと、いなくなりそうだった。
◆
文化祭当日。
校内は人で溢れていた。
知らない制服、知らない笑顔、知らない声。
「ねえ、行こ」
澪が、俺の袖を引いた。
少しだけ、躊躇いが混じった声。
「どこ?」
「中庭。写真スポットできたんだって」
俺は頷いた。
それだけで、澪の表情が柔らいだ。
理由は分からない。
ただ、選んだという事実が、伝わった気がした。
◆
途中、クラスの知り合いに声をかけられた。
「人手足りなくてさ。ちょっと来てくんない?」
ほんの十分。
そう言われた。
澪は、何も言わなかった。
「……すぐ戻る」
そう言って、澪から離れた。
背中に、視線を感じた。
振り返らなかった。
◆
作業は、思ったより長引いた。
終わった頃には、人の流れが変わっていた。
嫌な予感がした。
急いで中庭に戻る。
写真スポットの前に、澪はいなかった。
胸が、冷える。
◆
走った。
校内を、ただ走った。
人を避けて、呼吸も乱して。
澪の名前を呼びかけて、やめた。
まだ、何も起きていない。
そう思いたかった。
◆
校舎裏。
澪は、そこにいた。
一人で、しゃがみ込んでいた。
「……澪」
声をかけると、びくりと肩が揺れた。
顔を上げた澪は、笑っていた。
でも、その笑顔は、うまく作られたものだった。
「迷子になった?」
「うん」
嘘だった。
分かっていた。
「ごめん」
理由を聞く前に、謝っていた。
澪は少しだけ目を見開いて、それから、視線を落とした。
「……いいよ。文化祭だし」
軽い声。
軽い言葉。
でも、そこには、確かに距離があった。
◆
その夜。
眠れなかった。
澪がいなくなる光景が、頭から離れなかった。
選ばなかった時間。
ほんの十分。
それだけで、世界は揺らぐ。
◆
翌朝。
澪は、来なかった。
胸が、凍った。
教室の空気が、昨日と同じであることが、怖かった。
昼休み。
担任が、短く言った。
「……澪は、今日は欠席だ」
頭の中が、真っ白になった。
◆
目を開ける。
自分の部屋。
スマホのアラーム。
カレンダー。
文化祭当日。
戻っていた。
息が、震えた。
◆
校内は、また賑やかだった。
澪も、いた。
何も知らない顔で、俺を見つけて、手を振った。
胸が痛んだ。
今度は、離れない。
◆
「ねえ、行こ」
澪が言う前に、俺が言った。
袖を引く。
澪は驚いて、それから、少し笑った。
「どうしたの?」
「一緒に回ろう」
理由は言わなかった。
選ぶ。
ただ、それだけだ。
◆
その日、澪は消えなかった。
夕方も。
夜も。
翌朝も。
生きていた。
安堵と同時に、胸が重くなった。
これで、はっきりした。
澪は――
俺が離れた瞬間に、死ぬ。
「……そんなの」
呟いた声は、誰にも届かなかった。
恋じゃない。
優しさでもない。
これは、義務だ。
選び続けなければならない。
彼女が、生きている限り。




