優しさの形をした檻
最近、澪はよく笑う。
前よりも、ずっと。
そのことが、俺を苦しめていた。
◆
朝。
澪は、俺より先に教室に来ている。
席に座ったまま、こちらを見る。
目が合うと、安心したみたいに笑う。
それが、分かってしまう。
「おはよう」
「おはよう」
それだけのやり取りなのに、
澪の肩が、ほんの少し緩む。
俺が来た。
今日も、生きていられる。
そんな顔。
◆
それに気づいてから、
俺は遅刻しなくなった。
寝坊しても、走った。
体調が悪くても、行った。
来なかったときの“結果”を、
もう、想像できてしまうから。
◆
昼休み。
澪は、自然に俺の隣に座る。
誰も不思議に思わない距離。
でも、澪の指先が、時々こちらに触れる。
確かめるみたいに。
「ねえ」
「ん?」
「今日、放課後どうする?」
選択肢は、最初から一つしかない。
「一緒に帰ろ」
◆
断れない。
断らない。
それが、正しいと分かっている。
それでも。
◆
放課後。
並んで歩く。
澪は、楽しそうに文化祭の話をする。
来週のこと。
まだ来ていない未来の話。
それを聞くたびに、胸が痛む。
澪は、未来を信じている。
俺は、信じられない。
◆
「ねえ」
澪が、急に立ち止まった。
夕焼けが、背中を照らす。
「最近さ……
私、変じゃない?」
来ると思っていた。
それでも、息が詰まる。
「どうして?」
澪は、少し考えてから言った。
「あなたがいないと、落ち着かない」
声は、冗談みたいに軽い。
でも、目は笑っていない。
◆
「前は、こんなじゃなかったよね」
自覚している。
それが、何より怖い。
◆
「……気のせいだろ」
嘘だった。
澪も、それを分かっている。
「そっか」
澪は、それ以上追及しなかった。
その優しさが、重い。
◆
家に帰っても、落ち着かなかった。
澪が無事に帰ったか。
ちゃんと家に着いたか。
何度も、スマホを確認する。
連絡が来るまで、眠れない。
◆
その夜、夢を見た。
澪が、何も言わずに立っている。
俺は、手を伸ばす。
でも、鎖が絡まって、動けない。
鎖の先は、俺自身だった。
◆
目を覚ますと、汗をかいていた。
心臓が、速い。
「……最低だ」
呟いた声は、誰にも届かない。
◆
俺は、澪を守っているつもりで。
実際には、
澪の選択肢を奪っている。
選ばせないことで、
生かしている。
それは、救いなのか。
それとも。
◆
翌朝。
澪は、いつもより少し遅れて教室に来た。
俺は、理由もなく不安になる。
席に着いた澪は、こちらを見て、安心したように息を吐いた。
それを見た瞬間。
胸の奥で、何かが決定的に壊れた。
◆
――俺が、澪の命綱だ。
そんなものに、なってはいけない。
本当は。
◆
昼休み。
澪が、ふいに言った。
「ねえ。
もしさ」
言葉を、切る。
「もし、私がいなくなったら……
どうする?」
冗談みたいな口調。
でも、視線は逸らさない。
試している。
◆
「そんなこと、考えるな」
声が、強くなった。
澪は、少しだけ目を見開いて。
それから、笑った。
「……ごめん」
◆
その謝罪で、確信した。
澪はもう、
俺の顔色を見て、生きている。
◆
夜。
布団に入っても、眠れなかった。
選ばなければ、死ぬ。
選び続ければ、壊れる。
澪が。
それとも、俺が。
◆
目を閉じる。
願ってしまう。
せめて一度だけでいい。
俺を選ばなくても、
生きていける朝を。
◆
目を開ける。
アラーム。
朝日。
カレンダー。
同じ日付。
戻っていた。
――まだ、終わっていない。
救いが残っているのか。
罰が続いているのか。
分からない。
ただ一つ、はっきりしている。
このままでは、
どちらも壊れる。




