第九話 城に響く論戦
翌日、城の二ノ間には家老たちと藩士代表が顔をそろえていた。
だが、その中の一人を目にした瞬間、家老たちの間に小さなどよめきが走った。
「……三田地山殿か」
囁くような声が漏れる。
藩校・作新館の学頭、三田地山。齢五十七。国学・朱子学・陽明学を極めた儒者にして、かつては藩主増裕の信任も厚かった人物である。
静かに立ち上がった三田地山は、両袖を正し、穏やかな口調で口を開いた。
「幕府が政権を朝廷に返上した折、先代・増裕様の命を受けた我が愚息が、京にて恭順の意を朝廷に伝えました。それ以降、我が藩は一貫して尊王の道を歩んでまいったはず」
語りながらも、三田の声には微かな震えが宿っていた。押し殺した怒りが節々ににじむ。
「先代の逝去に際しても、この方針が再確認されました。にもかかわらず、この期に及んで藩論を転じようとは——。いかなるご存念か、伺いたく、この場に参りました」
重々しい空気が、座敷を包んだ。
家老の一人、村山一学が静かに立つ。増裕の時代から藩政を担ってきた人物である。口元を引き締め、ゆっくりと答えた。
「地山殿、あなたの誠は我らも重々承知しておる。だが、情勢があまりに変わった。宇都宮が陥落したのはご存知であろう。会津と仙台が南下を始めたと聞く」
一学は、目を伏せたまま続けた。
「黒羽は彼らの進路にある。我が藩の武器は整っておるが、実戦の経験が乏しい。戦えば多くの命が失われる。殿に託されこの地を守るには、城を明け渡し、ひとたび退くこともまた……と考えている」
一学は増裕に大恩がある。彼にとっては増裕が改革に想いを込めた黒羽を守ることが最優先であった。それゆえ、あくまで『棄城』を主張した。
一学の言葉に、若い藩士の中からすっと一人が立った。三田地山の息子・深造である。かつて増裕の命を受け、京にて朝廷に恭順を伝えた当人である。
「誤解なきよう申し上げます。我々は徳川方に打って出よとは言っておりませぬ」
深造は凛とした口調で言い切った。まっすぐ一学を見据える。
「我々が申し上げているのは、徳川に与してまで黒羽を捨てる愚を犯すなということ。我らは、朝廷の臣であると誓ったのです。宇都宮が落ちたとはいえ、それは疲弊した藩政と、一揆に苦しんだ守りの手薄が原因。単なる結果に振り回されるべきではないと考えます」
家老たちが互いに目を交わす。
「黒羽は天然の要害。容易く落ちる城ではありません。周囲の諸藩も朝廷に恭順しております。今、黒羽を攻めれば、それらの背後を衝かれる危険がある。会津も仙台も、そう軽々しく動けませぬ」
深造の声は揺るぎなかった。
その隣で、地山が目を閉じたまま微動だにせず座っている。三左衛門の口元が、ふっと緩んだ。
(……なるほど、入れ知恵か。なかなかの狸芝居ですな)
村山一学が再び立ち上がった。
「お主の申すことも一理ある。だが、宇都宮を失ったという事実は消せぬ。今、徳川方の兵がそこに留まり、会津や仙台と連携を取っておる。二方から挟撃されては、たとえ黒羽が堅城であろうとも、持ち堪えることはできまい」
一学の声には焦りがあった。だが深造は、わずかもひるまず返す。
「宇都宮に軍をとどめる余力が、徳川方にあるでしょうか?」
家老たちの表情から、わずかに精気が消える。
「町は焼け落ち、兵糧も底を尽きていると聞き及んでおります。長期滞陣など到底不可能。それに、官軍の次の目標は会津。奥州道中の維持が不可欠であり、宇都宮はその中継点。官軍が放置するはずがございません」
一学が言葉を失う中、深造はたたみかけるように言葉を重ねた。
「それに、我が藩が朝廷から全幅の信を得ているわけではありません。先代が幕府の軍事に携わっていたこともあり、疑念の目で見られているのです。宇都宮落城の際にも、我らは救援に間に合わなかった。これで今、徳川に与したなら……我が藩は、二度と信を得られぬでしょう」
一学の顔が苦く歪む。
深造の目に、ひときわ強い色が宿る。
「久保田に物資を取りに行った我が藩士三人、徳川方に捕らえられ、何の咎もなく首を刎ねられました。そんな輩に頭を下げ、城を譲るなど……亡くなった者たちの無念をどう晴らすのです。増裕様にも——顔向けできませぬ」
その言葉に、場が静まり返る。
(——勝負あったな)
三左衛門が、心の中で静かにうなずいた。
一学が何かを言いかけたそのとき——、三田地山が、ゆっくりと目を開けた。
「……もうよろしいでしょう」
その声音に、一同が姿勢を正す。地山は前を向き、静かに語った。
「戦の趨勢は、官軍の優位が明らか。宇都宮の敗は局地戦にすぎぬ。ここで道を変えれば、それこそ藩の命脈を断つことになる」
もはや家老たちの目に力はない。
「とはいえ、村山殿の懸念もまた道理。会津や仙台が我が藩に刃を向けぬとは限らぬ。ならば、こうしてはどうか——」
地山はゆっくりと言った。
「某が仙台へ赴き、中立の立場で情勢を探ってまいりましょう。尊王恭順を維持しつつ、我が黒羽藩がどのように立つべきか、改めて見定めた上でご報告いたします。その上で、今後の藩論を決してはいかがか」
議場に静寂が落ちた。誰もが、その提案に異を唱えることはなかった。
こうして、藩の方針は、ひとまず『守城防戦』に決した。この二日後、予想より早く新政府軍が宇都宮城を奪還し、これを受けて黒羽藩内の佐幕論は一気に終息に向かう。一時、白河城が会津の手に落ちたとの報を受けて再度動揺する場面も見られたが、黒羽に戻った地山は、家老たちに強気の意見を述べた。
「奥羽に勝ち目なし」「急ぎ戦闘準備をすべし」
これにより、黒羽藩の『新政府支持』と『守城防戦』の方針が揺るぎないものとして固まったのである。
慶応四年(一八六八年)四月二十五日、黒羽藩の一行は宇都宮に向けて進んでいた。途中、白沢宿で一行が足を止めた。南風に乗って、微かに焦げ臭い煙が漂ってきた。克之丞が周囲を見渡すと、街道沿いの家々のうち、いくつかは荒らされていた。瓦が散らばり、柱は焼け焦げ、煙が立ち昇る跡が残っている。住人の姿はなく、村は息をひそめたように静まり返っていた。
「改めて聞くが、参謀との面会の段取りにぬかりはないのだな?」
三左衛門が同行している藩士に質した。
「江戸の江川塾で同窓だった大山殿に話をつけてございます。参謀殿も我が藩との面会をご所望とのこと。万事手はず通りとなっております」
藩士は自信を持って答える。
一行はさらに進み、宇都宮城の北東、田川に架かる橋に辿り着いた。克之丞はそこで足を止め、焼け野原となった宇都宮の街を見つめた。まるで焼けた鉄板が広がるような光景が広がっていた。木々は黒く焦げ、家々は煙を上げたまま。かつて活気に溢れていた町が、今は完全に無人で、ただ灰と煙に包まれている。
「まさかこれほどまでとは……」