第二十二話 野州、裂ける
夜陰の中、黒羽を発った克之丞たち黒羽兵は、日付が変わった頃に城の南約二里十町(約九km)の佐良土村に到着した。微かな霧が漂う中、部隊は静かに陣地を築く。少し遅れて、三左衛門率いる黒羽本隊が合流した。東の黒羽兵と、西の大田原兵をはじめとする新政府軍で脱走軍を挟み撃ち、せん滅する作戦が立てられていた。総勢約三〇〇人の黒羽兵は、佐良土村の東西及び北に陣を敷き、本営を北に置いた。時折、遠くから聞こえる風の音。遠くの戦火を感じながら、黒羽兵たちは無言で任務をこなしていく。未だ夜の深い時間、静まり返った村の中、わずかに彼らの息遣いだけが響く。
明治元年(一八六八年)九月二十七日未明。佐良土村の西方から銃声と砲声が轟き始めた。新政府軍の激しい攻撃が、西北西に約一里半(約六km)離れた片府田村で脱走軍に向けて始まったのだ。銃声、砲声が約二時間続く中、黒羽兵たちは待ち構える姿勢を崩さず、ただひたすらに前線に集中していた。黙々と構えていたその時、斥候から三左衛門へ報告が届く。
「賊軍、箒川沿いをこちらに向かって進軍中。その数およそ三〇〇!」
三左衛門の顔に驚愕の色が浮かぶ。
「三〇〇? 六〇〇ではないのか? 周囲を警戒しろ!」
三左衛門の命令が響く。直ちに東西に配置した部隊に伝令が送られ、本営にあった克之丞は急ぎ西の陣に向かった。
徐々に近づく土煙。黒羽兵の間に一瞬の緊張が走る。これまでの黒羽兵の戦は、新政府軍の一部隊として数に勝り、武器でも優位を持った戦いに身を置いていた。しかし、今回は違う。兵力も武器も、両方で優位性を持ち合わせていない。そして何より、敵は黒羽兵以上に戦場に慣れている。
迫りくる敵に、克之丞は息を呑んだ。それと同時に背中に冷たい汗が伝い、手のひらがじっとりと湿っていく。突然、黒羽兵の中から焦りの色を含んだ声が上がった。
「砲撃開始!」
張り詰めた気持ちが禍したのか。それとも、あまりの緊張が判断を曇らせたのか。まだ距離があるにもかかわらず、黒羽兵は予想外のタイミングで大砲を発射してしまう。その音が合図となり、すぐに銃撃戦が始まった。雨のように降り注ぐ銃弾。戦場が一瞬で混乱に包まれる。
最初は劣勢だった黒羽兵が、三左衛門の指揮で徐々に形勢を挽回する。だが、突然、黒羽兵の左、箒川の対岸から激しい銃声が響き、銃弾が着弾する。正面と左からの十字砲火。その交差する場所で混乱する黒羽兵。
「落ち着け! 焦るな!」
前線の克之丞は仲間を鼓舞する。
大田原藩を突破した脱走軍は、黒羽兵に相対する前に部隊を分割、一部の部隊が箒川を渡河して、それぞれに東に向かっていたのである。
漸くして黒羽兵は落ち着きを取り戻すが、戦の流れは変えられない。敵の巧妙な戦術に対して、反撃もままならぬ中、克之丞の胸中に怒りが湧き上がる。
(ここまでするのか? 辰之輔……)
川の南北両岸合わせた脱走軍の兵力は、黒羽兵の約二倍。いっこうに大田原ら諸藩による脱走軍の背後からの攻撃はなく、黒羽兵は苦戦を強いられることになった。焦る三左衛門のもとに、さらなる斥候の報告がもたらされた。
「大田原勢ら、片府田の戦闘後当地にて休息中!」
三左衛門は、凄まじい形相で立ち上がった。
「自らの領地から脅威が去れば、我関せずか!」
脱走軍はさらに攻勢を強め、黒羽兵は焦りと混乱の中で後退を始めた。脱走軍によって放たれた火々が、家々を飲み込む。
「退却のラッパを鳴らせ! もはやこの戦に意味はない!」
三左衛門は決断した。このまま炎が広がると黒羽兵は逃げ場を失うおそれがあった。鳴り響くラッパ。黒羽兵は、脱走軍との交戦をやめて北に向かって退却を始めた。これを見た脱走軍も砲撃をやめ、一部は東へ、また一部は川を渡り、水戸を目指した。
わずかに銃声がやんだ。殿として撤退を支援した克之丞の目に、一人の兵士が映る。
「辰之輔……」




