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最後の川  作者: 氷乃士朗
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第二話 運命の出会い

 遡ること四年前、文久三年(一八六三年)五月二十九日。黒羽城下。

 城下を歩く克之丞と辰之輔の前から、一人の男が近づいてくる。

 男の姿は異様だった。頭は総髪、着流しで胸元を大きく開けており、見るからに渡世人の風貌だ。右手で鉄砲の先端を持ち、銃床を地面に引きずりながら、二人に向かって歩いてくる。その姿に、町民たちも口をつぐみ、足早にその場から立ち去っていく。

 克之丞と辰之輔は、面倒に巻き込まれないように自然と距離を取り、下を向いて男をやり過ごそうとする。しかし、男は二人の進行方向に立ち止まる。避けようとした二人であったが、まるでその行く手を遮るかのように、これに合わせて移動した。

「おいおい、そりゃねぇだろう……」

 聞き覚えのある声。克之丞は恐る恐る顔を上げた。見ると、男の顔にはどこか親しげな表情が浮かんでいる。

「殿!」

「探したぞ」

 言葉に詰まる克之丞をしり目に、男は口元に微笑みを浮かべていた。克之丞の言葉に、三人に周囲の視線が注がれる。男は気まずそうな顔のまま慌てて右手の人差し指を口元に近づけ、口を閉じるように身振りで指示した。条件反射的にその場にひれ伏していた克之丞に向かって、辰之輔が怪訝そうに声を掛けた。

「馬鹿。お殿様だ!」

 克之丞の言葉に辰之輔の顔色がみるみる青ざめる。慌てて平伏する辰之輔。男はそれを見て、さらに慌てたようにしゃがみ込み、二人の背中に手を置いて優しくさすり始めた。

「こんな真昼間から酒か? 侍って奴は、ほんといいご身分だな」

 男はあえて周囲に聞こえるように声を発した。

「馬鹿野郎。こんな白昼の往来でそんなことするな」

 男が顔を近づけ、低い声で二人に注意を促す。すぐに顔を上げると、今度は声を張り上げた。

「仕方ねえな。ほら、肩貸してやるから川原で涼むぞ!」

 再び声を張った男に言われるがまま、克之丞と辰之輔は足を踏み出した。三人は、城下を流れる那珂川の西岸へと向かって歩き出す。

 那珂川の河原では、岩に腰掛けた男がしみじみと声を漏らした。

「なかなか活気のある河岸じゃねぇか」

 川岸では、多くの人足たちが忙しなく船の積荷を揚げ降ろしている。黒羽藩にとって、この河岸はただの物流の拠点ではない。那珂川の最も北に位置し、白河から運ばれた物資がここで集積され、江戸方面に送られていく。この重要な物流の中継地として、黒羽藩は多くの商人と物資を扱い、賑わいを見せていた。

 克之丞と辰之輔は、男の前でひれ伏し続けていた。

「だからやめろ! どこで誰が見ているか分からねぇじゃねぇか」

 男の意図を察した二人は、恐る恐る顔を上げた。

「お前ら、時代錯誤も甚だしいぞ。そんなんじゃ時代の流れに取り残されちまうぞ」

 男の名は 大関増裕。遠江国横須賀藩の生まれであるが、先代藩主の隠居を受け、文久元年(一八六一年)に大関家に養子に入り、第一五代黒羽藩主の座を継いでいた。そして、この二日前、初めて黒羽入りしていたのであった。

 帰国前、増裕は二六歳の若さで、しかも外様大名でありながら幕府の講武所奉行と陸軍奉行(初代)に任じられていた。西洋式兵学に精通した増裕は、この後も海軍奉行に任じられるなど、相次いで幕府の軍事面の要職に抜擢されていくことになる。しかし、当時、逼迫する藩財政に打つ手を失った藩の重役たちの要請を受け、増裕の帰国を願い、藩の全権の掌握、先例にとらわれない政策、富国強兵策の推進などの条件と引き換えに、幕府の職を辞して黒羽に戻ったのであった。

 増裕の言葉を聞いた辰之輔が、克之丞の耳元でつぶやいた。

「これがお前の言っていた西洋かぶれのお殿様か」

「おい! 御前で無礼だぞ!」

 克之丞が咄嗟に大きな声を張り上げて慌てると、周囲がその声に一瞬反応したが、増裕はその反応を気にも留めず、声高に笑いながら言った。

「お主は先日の国入りの供回りにいた者だな。確か大吟味役の五月女三左衛門の所縁の者であったか?」

「五月女三左衛門の甥で、五月女家の分家、福田家当主、克之丞と申します」

 克之丞が答えると、増裕は一瞬、少し不思議そうな表情を浮かべた。

「黒羽一の剣士、福田克之丞とはお主の方であったか。俺はてっきり後ろに控える者が……」

「これなる者は、我が家に仕える結城辰之輔と申します。数々のご無礼、平にご容赦ください」

 克之丞が増裕の言葉を遮って話す間、辰之輔は下げた頭を上げようとしなかった。

「構わぬ。楽にせよ」

 増裕の言葉に従い、辰之輔もやっと頭を上げた。その顔には、少しの驚きとともに少しの緊張も見受けられた。増裕と辰之輔の目が合うと、増裕はかすかに口元を緩めて頷いた。その光景を見た克之丞は、思わず増裕に尋ねた。

「我らをお探しとのことでしたが?」

「そちらに身の回りの警護を頼みたいと思ってな。黒羽一の福田克之丞、そして結城辰之輔に」

 増裕の言葉に恐縮し、頭を下げる二人。増裕は続けた。

「一昨日、初めて黒羽入りしたゆえ、国元に子飼いの臣がおらぬ。明日から本格的に黒羽のかじ取りを行う。もちろん、痛みを伴い、多くの反発が生まれるはずだ。命を狙われるかもしれぬ。それゆえの頼みだ。

 その言葉に、克之丞と辰之輔は、無言でじっと増裕を見つめていた。増裕の目には、藩の未来にかける覚悟が見え隠れしているようだった。

「受けてくれるなら、数々の無礼、忘れてやってもいいぞ?」

 克之丞と辰之輔は顔を見合わせた後、互いに確認するように一度頷くと、増裕に向かって首を縦に振った。そして、克之丞は増裕が手にしていた銃に視線を移し、興味深そうに尋ねた。

「お手元のもの……見慣れぬ銃ですが?」

 増裕は銃を両手で掴み、膝の上に静かに置いた。

「これは、スペンサー銃といって最新の銃だ。七発続けて撃てるんだぞ! いずれ黒羽の銃をすべてこいつにするつもりだ」

「七発連続……」

 その言葉に、克之丞と辰之輔は驚きの表情を浮かべた。

「そのような銃の前では剣は不要。我らによる警護も不要ではございませぬか?」

 克之丞が問うと、増裕は穏やかな笑みを浮かべながら答えた。

「それは先の話だ。聞くところによると、我が藩の台所は火の車。そんな藩が今すぐ最新式の銃を大量に買えるわけなかろう。それに最新式とはいえ、こいつにも隙や弱点はある。そこを突けば剣でも十分戦える。要は、相手を知るということだ。その辺りは後で教えてやる」

 言い終えた増裕は、視線を辰之輔に移した。二人の目が合うと、増裕は小さく頷いた。

「これから三人の固めの杯といこうじゃないか! ついてこい!」

 克之丞と辰之輔は、増裕の後に続いて人里離れた山の中へと歩いて行く。しばらくすると、小さな庵が目に入った。町の喧騒は届かず、静寂が周囲を包む。

「俺の隠れ家だ」

 人の話し声に気づいたのであろう。庵の木戸が開き、若い女が現れた。克之丞が咄嗟に言葉を発した。

「那美、か?」


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