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第十五話 那須を行く

 二本松の戦いから約一ヶ月後の慶応四年(一八六八年)八月二十二日夜、克之丞ら黒羽隊は那須・北温泉にあった。この日、会津では新政府軍が一気に若松城下に進入し、激しい戦闘を経た後、包囲戦へと移っていた。しかし、若松から離れた那須の山中にいる黒羽隊には、依然としてその報せが届くことはなかった。

 二本松城攻略後しばらく当地に滞在した黒羽隊であったが、白河口総督府の命令で八月十六日に白河城まで後退し、城の西側の守りに着いていた。会津藩や旧幕府勢力が万一にも南下し、野州で会津攻めの後方かく乱を行うことに備えての措置であった。そして、八月二十日、二本松の新政府軍が会津盆地に向けて進攻を開始すると、白河口総督府参謀から黒羽隊に三斗小屋口から会津に進撃せよとの命令が下ったのである。

 三斗小屋(宿)は、会津若松と奥州道中・氏家宿(現・栃木県さくら市)をつなぐ会津中街道一九の宿駅の一つで、元禄八年(一六九五年)に会津藩によって開設された。標高約一一〇〇m、那珂川上流の苦戸川にがとがわ沿いの小さな平地にあり、この当時家数一四、人口六三の小さな宿駅であった。

 二十一日夜、出発を翌朝に控え、焚き火で暖を取る克之丞の元にやってきたのは四郎だった。

「ずっと一番隊で一緒に戦ってきましたが、ここにきて配置換えで本営隊付ですか。寂しくなりますね」

 三斗小屋出陣に際し、黒羽隊で一部編成の見直しがなされた。一番隊の副官であった克之丞は、本営隊に編成されていた。

「明後日の夜には三斗小屋で合流だ。大袈裟な奴だな」

 克之丞の声には、いつもの張りが欠けていた。言い終えた後、焚き火の炎をじっと見つめたまま口を閉ざす。四郎には、それが何を物語っているのか、なんとなく理解することができた。

「わざわざ三斗小屋に出陣する意味はあるのか?」

 克之丞はぼんやりとした表情で四郎に問いかける。

「わざわざ三斗小屋を押さえなくても、南に延びる街道筋を固めれば済むんじゃないか? それに日光方面から攻め込む味方もいる。その部隊に背後を衝かれる恐れがある策を敢えて取るだろうか? あいつなら……」

 一理あると思いながらも、四郎の表情は険しくなる。克之丞の口から出た最後の言葉に、彼はただならぬ感情を覚えた。

「あの人が怖いのですか?」

 その言葉に、克之丞は視線を合わせず、無言でうつむく。

「怖いさ。あいつも、あいつと戦った後のことも。」

 その言葉に、四郎の顔に微妙な表情が浮かぶ。

 揺れる焰に照らされた克之丞の顔は、どこか虚ろに見えた。二本松の戦場での惨状が頭をよぎる。多くの命が散ったその場所で感じた悲惨さ。だが、それよりも、姿を消していた辰之輔が会津攻めの戦場に立つ可能性があることが、克之丞をさらに不安にさせた。もし戦場で対峙することになれば、あいつは間違いなく矛を納めることはないだろう。その瞬間のことを想像するだけで、克之丞の心は混乱し、思考が絡み合った。

 それを感じ取ったように、四郎の語気が強まる。

「あの人は敵です。そして、非常に危険です。もしも三斗小屋にその人がいるのなら、こちらも大きな覚悟が必要です。しっかりしてください! 黒羽一の剣士がそんな姿じゃ、士気に関わりますよ!」

「それは違うんだ……実は……」

 克之丞が言いかけたその時、すでに四郎の背中が遠くなるのを見た。


 明けて明六ツ(午前六時)。激しい雨が降り続く中、黒羽隊は館林藩の部隊と共に白河を西へ向かって出発した。濁流を成す黒川を渡り、さらに進んだ先で余笹川の東岸で全軍を二手に分け、次の目的地に向かう。三斗小屋へ向かう本隊と、板室村を経て三斗小屋に向かう別動隊である。本隊は、同日六ツ半(午後七時)に北温泉に到着し、そのまま宿陣した。

「斥候からの報告では、賊は三斗小屋に拠点を設けており、そこに至る道や間道にも、自然の地形を生かした強固な陣地を築いているらしい。狭く険しい道で、この状況では三斗小屋に近づくのも容易ではない。皆の意見を聞きたい」

 三左衛門が居並ぶ諸将に向けて今後の作戦を尋ねた。

「よろしいでしょうか?」

 軍議に加わっていた克之丞が口を開く。

「会津攻めで三斗小屋口を押さえる目的は、賊がこの道を通り南下し、官軍の背後を脅かすことを防ぐためです。であれば、三斗小屋を攻めるのではなく、賊の南下を阻止することに専念する選択肢もあるのではないでしょうか? 今は秋の長雨の季節です。無理に力押しをすれば、お味方の損害を増大させる結果となるかもしれません」

 克之丞は昨夜四郎と話した内容を、改めて提案した。四郎との別れ後、頭の中を整理し直した結果としての提案だ。多くの諸将が、その意見に同調した。雨の中、白河を出発し、増水した川を渡り、険しい山道を越えてここにたどり着いた。止む気配のない雨の中で、さらに進む必要があるのか。あえて会津軍と戦火を交える必要はないのではないか。多くの者が感じていた事を克之丞は口にした。それが克之丞個人の迷いの結果であったとしても。

 三左衛門は腕を組んでしばらく考えた後、ゆっくりと口を開いた。

「もっともではあるが、明日、予定通り部隊を進める。」

 その言葉に、兵たちの間に微かなため息が漏れる。しばしの沈黙が続いた後、三左衛門は重い口を開いた。

「国元から、官軍を裏切り会津につくようにという調略があったとの報せが届いた。」

 これに、周囲の将たちがざわついた。

「それも一度や二度ではないらしい。三斗小屋の賊の仕業だろう。これを放置すると、今後も何をしでかすかわからぬ。それに、参謀殿の御命令は三斗小屋を抜けて日光口の部隊に合流すること。何よりも三斗小屋は我が領内だ。ここで騒いでいる賊を見捨てることはできぬ。」

 克之丞の脳裏に、二本松での辰之輔とのやり取りが鮮明に浮かぶ。胸が締め付けられるような思いがこみ上げてくる。

 軍議は終わり、明日、ここ北温泉にいる本隊を二手に分け、三斗小屋に向かって進軍することが決まった。別動隊に伝令が出された。

「思うところもあるだろうが、よいな?」

 三左衛門が一人残った克之丞に声をかけた。克之丞はその表情に迷いを見せながら顔を向けた。

「子供や老人の命まで犠牲にして、時代の波に抗う。あいつらは狂気だ。そんな奴ら相手に命を犠牲にする意味はあるのか? 狂気に立ち向かうには、狂気が必要だ。あいつらと同じになってしまったら、新しい世は……」

 克之丞の言葉に、三左衛門は黙って腕を組み、目を閉じた。しばらく静かな沈黙が流れた後、三左衛門はゆっくりと口を開いた。

「三斗小屋を落としたら黒羽に戻れ。もっと早くそうすれば、いや、あの時従軍を認めるべきではなかった。」

 克之丞は深く頷いた。自ら従軍を申し出た手前、口に出せなかった思いが、今、三左衛門に言われることで、ようやく胸のつかえが取れるような気がした。

「この先は狂気がない者は進めぬだろう。」

 三左衛門はそのまま、陣幕の奥へと消えていった。

 克之丞は、ただ立ち尽くしながらその後ろ姿を見守り、重い足取りで宿所へと戻っていった。外は強い雨が降り続けていた。

(辰之輔、お前は狂気に操られているのか?)

 克之丞は、自らの心に問いかけた。

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