第十四話 信義、裂けるとき
ゆっくりと歩きながら近づいてくる辰之輔に対し、克之丞は僅かに身構えた。そんな克之丞を尻目に、辰之輔は何事もないかのように隣にしゃがみ込み、少年の亡骸に手を合わせた。二人の間には言葉がなかった。しばらくして、辰之輔が立ち上がり、克之丞の方を一瞥もせずに、辺りの無残な光景を眺めながら、重い口を開いた。
「二本松は朝廷に歯向かう気なんて毛頭なかった……」
克之丞はその言葉に少し驚きながらも、沈黙を破って返す。
「だったら、どうしてここまでして戦った? 前途ある少年たちの命を無駄にしてまで」
その問いに対し、辰之輔は冷徹な眼差しを克之丞に向けた。
「その言葉、それが今の俺とお前の違いだ」
辰之輔は言い終えると、再びしゃがみ込み、少年の両手を掴んで胸の前に重ねた。
「二本松はひたすら恭順を示しながら、会津と米沢の嘆願を求めた。朝廷もこれを認めた。だが、会津に恨みを持つ一部の奴らがこれをひっくり返した。その傲慢な振る舞いに、己の信念、誇り、そして忠義を果たすために二本松は立ち上がった。筋を通しただけだ!」
辰之輔の言葉に込められた確固たる信念を感じ、克之丞は何も言えなくなった。
立ち上がった辰之輔が更に続けた。
「どんなに筋を通しても、正しくても、自分たちの意に添わなければ、子供だって……殿だって殺める。そういう奴らだ!」
「まだそんなことを言うか!」
克之丞は言葉を強めた。その声は震えていた。だが、辰之輔は一瞬のうちに冷ややかな笑みを浮かべ、克之丞の激昂を嘲笑うような態度を見せた。
「黒羽も同じ穴のムジナだ。朝廷の圧力に屈し、我が身可愛さに非道に加担する。目の前しか見えていない奴らには、先を見据える殿は邪魔だったんだ」
「思い過ごしだ!」
克之丞は語気を強めた。だが、辰之輔はその反論に耳を貸さず、わずかな嘲笑を見せながら言葉を続けた。
「筋という点では、黒羽は筋が通っている。宇都宮や野州、白河の状況に右往左往しながら、最後まで会津につかなかった。どんなに揺さぶりをかけられても。そこだけは褒めてやる」
その言葉に、克之丞は動揺を隠せなかった。辰之輔が黒羽内で起こったことを知っているような言い方をしたことに驚き、胸の奥に不安が湧き上がった。
「そう驚くことはないだろう。これから迎える戦いに備えて間者を放って情報を集める。味方につけようとする工作だって。当然のことだ」
「まさかお前、黒羽に!?」
克之丞は、驚きと共に辰之輔に詰め寄った。その瞬間、克之丞の心臓が早鐘のように高鳴った。
「どうかな。ただ、こちらから出向かなくても、あっちから情報が来ることだってあるだろう」
辰之輔は感情を露わにすることなく、淡々と語った。しかし、その冷静な態度が克之丞の心に深く突き刺さった。克之丞の脳裏に出陣の際に那美とかわした言葉が浮かぶ。克之丞はその言葉に耐えられず、動揺のまま刀の鞘に手をかけた。鯉口を切った瞬間、すぐさま眼前に閃光のような一閃が走る。
(早い……)
「わずか数ヶ月だが、お前とは戦場の経験が違う」
所どころ血汚れの跡がある辰之輔の刀。心の中で焦りと恐れが交錯する中、克之丞はその剣先を眼前に置いたまま語気を強めた。
「そこまで堕ちたのか!」
しばらくの沈黙が二人の間に流れた。その時、遠くから声が響き、克之丞の耳に届いた。声の先に視線を送ると駆け寄る人影があった。
「四郎か」
辰之輔はすぐに刀を鞘に納めた。その行動を目撃した四郎は、すぐさま二人の間に割って入り、抜刀する。
「あなたでしたか!」
四郎はその剣を真っ直ぐに辰之輔に向けたまま、声を荒げた。
「戦場で情けをかけるなら、どうして敵になったのですか!?」
その言葉に、辰之輔は冷徹な表情で答える。
「さすがだな」
辰之輔の口元にわずかに笑みが浮かぶ。しかし、その笑みは冷ややかさの中に戦の冷徹さがにじみ出ていた。
本宮攻略戦。四郎はその記憶を振り返る。奥州同盟軍が守備する本宮の東には阿武隈川が流れている。攻める新政府軍には渡河用の船がない。この時、真っ先に川に飛び込んだのが四郎だった。四郎は、泳ぎ渡って対岸に係留さされていた小舟を確保。これを用いて新政府軍は渡河し、本宮を攻略した。
「川の中で近くに着弾を感じました。渡河半ばの敵を撃つ。兵法の常道です。憐れみですか? 警告ですか? 白河もあなたの策でしょう!?」
四郎の言葉に、辰之輔は一瞬、目を細めた。
「日和見家老の息子にしては、大したものだな」
その挑発的な言葉に、四郎の怒りは一層強くなった。四郎がまさに斬りかかろうとすると、克之丞がこれを制止した。
「これ以上愚弄するなら、俺が許さない」
克之丞は、静かに、だが確固たる決意で刀を抜いた。辰之輔は、一歩、また一歩と距離を取る。
「お前と四郎。二人相手では、さすがに分が悪い」
辰之輔は刀を鞘に納めた。それでも、克之丞と四郎は刀を納めようとはしない。
「堕ちたのはお前たちだ。何の信念もなく、状況に流され、汚い奴らの手先になって罪なき者たちの命を奪う」
辰之輔の言葉は、鋭く、心を打つ。克之丞はその言葉を心に刻むが、すぐ後ろで、足先が地面を掴む音が聞こえた。克之丞は、刀を納めて両腕を左右に大きく広げた。辰之輔が叫ぶ。
「殿がいらしたら何と仰せだったか!」
克之丞は、言葉を返さず、両腕を広げたまま黙っていた。顔には険しい表情が浮かんでいる。
「お前たちとは戦いたくない。とっとと黒羽に帰れ」
言い放った辰之輔は、二人に背を向けて歩き出す。
「あの時お前は、父上や母上を裏切るような真似はしないと言った。嘘だったのか?」
克之丞の声に辰之輔の足がわずかに止まる。
「忠義は孝行に勝る。それだけのことだ」
辰之輔はそのまま歩き続け、振り向くことはなかった。
離れていく辰之輔の背中を見つめる克之丞。その瞳に迷いの色が浮かぶ。四郎が静かに口を開く。
「次は斬ります」
その言葉に、克之丞は何も言わずにただ黙っていた。
『何の信念もなく、状況に流されているだけ……』
辰之輔の言葉が、克之丞の心に深く刻み込まれていた。その言葉は、彼の中で次第に大きくなり、冷徹に響き渡る。
二本松の戦いが終わった。そして、戊辰戦争最大の激戦と言われる会津戦争が始まるのであった。




