第十二話 出陣と訣別
「どうして朝廷の手の者が殿を殺めたと?」
克之丞の問いに、那美の表情が一瞬緩んだ。克之丞は、すぐさまとんでもないことを口にしたと焦りを募らせた。那美が口を開いた。
「教えてあげる。あの人が徳川を第一に考えていたのは確か。でも、それ以上に日ノ本のことを考えていたわ。もちろんその中には黒羽や会津も。そんな人を会津や徳川の人たちが殺めるわけないじゃない。なのに、あの人がいなくなったとたん、朝廷にへこへこして、でも会津が攻めてくるかもしれないと思うと手のひら返しに会津に頭を下げようとする。あっち行ったりこっち行ったりするのは、芯がないってこと。芯がないってことは、言われたからやるってこと。芯がないのは誰? 誰に言われたの? 答えは簡単でしょ?」
何とも鋭い那美の言葉だった。落ち着け、克之丞は自分に言い聞かせながら思考を巡らせた。返す言葉がない。返しのない克之丞に対して、徐々に那美の不満が高まってきた。
「辰っちゃんとは大違い!」
その言葉が克之丞の胸に深く突き刺さる。息が詰まるような感覚に襲われながらも、克之丞はついに口を開いた。
「あの時、確か殿は事故で亡くなられたと言っていたよな?」
「そう?」
背を向けたまま、那美が答える。
「どうして今になって……。何かあったのか?」
「克っちゃんのそういうところ!」
那美は声を荒げた。その後、二人の間には重い沈黙が漂った。ふいに、那美が口を開いた。
「あげる」
そう言って、那美は握り
しめた右拳を差し出す。克之丞はその拳に視線を落とし、何も言えずにただその手のひらを見つめた。那美はゆっくりと拳を広げ、そこに握られていた赤い御守りを見せた。
「戦に行かないなら不要でしょうけど、私が持っていても仕方ないから。要らなかったら捨てちゃって」
克之丞が那美の手のひらの赤い御守りを手に取ると、那美はその場から歩き去っていった。那美が見えなくなると、克之丞は御守りに書かれていた文字に目を止めた。この御守りは那須神社(金丸八幡宮)のものだった。
那須神社は黒羽藩主・大関氏の代々の氏神。そして、増裕はその那須神社の裏の雑木林で命を落とした。あの日の後、克之丞の屋敷に身を寄せていた那美は、決して那須神社に近づこうとしなかった。その那美がどのような想いで那須神社を訪れ、この御守りを手にしたのか。自分のために。そんな那美に疑いをかけるような言葉を発した。克之丞は御守りをしっかりと握り締め、その場でうずくまった。
それから五日が経った。この間、同じ屋根の下で過ごしながら、克之丞と那美との間に会話はなかった。
「ちょっといいか?」
襖越しではあったが、克之丞は久しぶりに那美に声を掛けた。那美からの返事はない。無言の返答を前に、克之丞は少し躊躇しながらも言葉を続けた。
「すまない、開けるぞ」
克之丞は襖を開け、部屋に足を踏み入れる。その目の前で、静かに背中を向ける那美が筆を走らせている。そのまま数秒の静寂が流れ、やっと那美が口を開いた。
「ほんと無礼」
筆を止めることなく、ぶっきらぼうに答える那美。
「あのときの私と今日の私は違うって言ったでしょ。……勝手に“自分の女”みたいに思って馬鹿じゃないの?」
那美の小言が、それとなく克之丞の耳に入る。わずかに表情を緩める克之丞であったが、すぐさま真剣な眼差しになった。
「これから白河に行く」
その一言で、那美は筆を止め、振り返る。見上げると、克之丞は軍服を着て立っていた。空気が一瞬で変わる。
「死にに行くの?」
「補給だ。遅くとも三日後には戻る」
克之丞の言葉が淡々と響いた。その口調が、事が重大ではないことを暗に示していた。那美は再び背を向け、無言で筆を取り上げる。
「大袈裟!ほんと間が悪い!」
那美は再び背中を見せた。ゆっくりと襖を占める克之丞。そんな克之丞の表情はとても穏やかだった。
その日の夕刻、克之丞は武器や食料などの物資を運ぶ一隊と共に、黒羽隊が布陣する白河領白坂村(白河城の南南西西約一里半(六㎞))に到着した。二十二日に黒羽を発した黒羽隊は、同日黒羽領追分村(黒羽領。白河城の南約四里半(一八㎞))、翌日白河領旗宿村(白河城の南約二里半(一〇㎞))、そして二十四日に白坂村へ移動していた。この前日には、会津・仙台を中心とする奥州同盟軍による白河城奪還に向けた大規模な攻撃が行われ、黒羽隊が陣を敷く白坂村でも戦闘が行われた。陣中にはかすかに硝煙の匂いが漂っていた。
三左衛門への到着の報告を終えた克之丞は、雨でぬかるんだ陣中を見回った。そして、一人の藩士に声を掛けた。益子四郎である。克之丞の来訪に満面の笑みを浮かべる四郎。四郎は、戦闘の詳細を克之丞に語った。
「昨日の戦闘、雨の影響があったとは言え、賊にもう少し知略があれば危なかったでしょう。ですが……」
前日の奥州同盟軍の攻撃は、白河城に布陣する六、七〇〇名の新政府軍をその数倍の兵力で八方面から攻撃するものであった。その一方で白坂村は城からは距離がある。四郎は、そんな白坂村に一部隊を回す奥州同盟軍の戦略上の意図を測りかねていた。思案に暮れる表情の四郎に克之丞が質すと、四郎は続けた。
「こう考えることもできます。知略がなかったのではなく、戦略を実行できる器量や修練が足りなかった、と」
「何が言いたい?」
克之丞は厳しい顔で視線を向けた。
「賊の戦略、以前どこかで見聞きしたような気がします……。そう、江戸の兵学塾!」
四郎の言葉に、克之丞の表情がわずかに変わった。
四郎は、増裕の命で兵学を学ぶために江戸に滞在していたことがある。当時、増裕の警護で江戸にいた克之丞と辰之輔は、お役目の合間を見ては四郎と共に兵学を学んでいた。
「確か……あの頃、突拍子もない戦術案ばかり出して、講師を困らせてた人がいました」
四郎が懐かしげに言う。
「理詰めだけど大胆で、一度聞いたら忘れないような癖があった。言い出したら止まらなくて……ちょっと理屈っぽくて」
克之丞の表情が硬くなる。
「あれから辰之輔さんは?」
「あれっきりだ。便りの一つもない」
小声で質す四郎に、小声で返す克之丞。しばし間を置いたのち、克之丞は周囲を確認してから四郎に耳打ちする。
「このことは、胸の内にしまっておいてくれ」
四郎がうなずくと、克之丞は静かに立ち上がった。
「ご家老に掛け合ってくる」
三左衛門の元へ向かう克之丞。その後、克之丞は三左衛門の許しを得て、一番隊の副官(隊長益子四郎)として会津攻めに参加していくことになった。




