第十一話 影は語らず
「だが、よく賊に味方せずにいてくれました。まずは礼を申す」
この言葉に、克之丞の頭の中に刺客に襲われた際の辰之輔の言葉が思い浮かぶ。
(もしや黒羽内部の話は筒抜けなのでは?)
その疑念が頭をよぎる中、三左衛門が口を開いた。
「我が藩は、東国諸藩に先駆けて朝廷への恭順の意を示し、今もその思いに変わりはございませぬ」
沈黙を守る伊地知。三左衛門が続けた。
「ご指摘の通り、黒羽は会津、奥州に接し、目と鼻の先には白河城がございます。今、白河城には会津に味方する奥州の兵が多数詰めております。白河は奥州の玄関口。戦略的重要性を鑑みて今後も戦力をつぎ込んで来るでしょう。我が藩は皆様への協力を惜しみません。必要であれば、会津攻めの拠点として黒羽城や武器も提供する所存でございます」
伊地知は、隣に控える大山に地図を広げるよう指示した。
「今や白河城は朝廷に反旗を翻す仙台や二本松の兵が守備するところ。一方、貴藩は水陸両路で奥州への道を有している。那須の山々を越えて会津に通じる三斗小屋もまた然り。会津攻めにおいて貴藩の協力が何よりも大事なことは一目瞭然でござろう」
伊地知は椅子に腰かけたまま、床に拡げられた地図を指揮棒で指し示しながら淡々と地勢を語った。指揮棒の動きが止まると、伊知地の視線は三左衛門たちに注がれた。
「仮に貴藩が会津についたらどうであろう。奥州への道も閉ざされる。さらに白河攻めの背後を突かれれば窮地に陥ろう」
伊地知は鋭い目つきのまま語った。こうすれば自分たちに勝てると言わんばかりに。裏を返せば、黒羽の立ち位置が戦況を左右することをほのめかしたのである。克之丞はその言葉の裏に隠された脅迫的な意図を感じ取った。伊地知の言葉には、まるで選択肢を与えられていないかのような、強い圧力がこもっていた。
「それがしは信じております」
伊地知は一転して穏やかな目つきで同じ言葉を繰り返した。冷徹さと温和さが同時に感じられるその態度に、三左衛門たちは一瞬ひるみながらも、ただただ頭を下げるほかなかった。伊地知の声には、どこか余裕すら感じさせる響きがあった。
「野州に残存する徳川方は無視できない。会津攻めのため、早急にこれを駆逐して北に向かう。貴藩は、正式な指示があるまで藩領を、特に那珂川の水運の確保、維持に専念していただきたい。遅かれ早かれ白河城で戦が起きる。今から那珂川を押さえることで白河への補給を遮断し、城を確保した後は補給活動に尽力する。この役目をお願いしたい」
その提案に、黒羽一行はただ静かに聞き入っていた。その言葉には、いまや選択の余地がないことを感じさせる重さがあった。しばらくの沈黙の後、三左衛門は静かに頷いた。
「決して妙なことを考えることがないようお願いいたす」
言い残した伊地知は、立ち上がり一同の前から去っていった。一歩間違えば、彼らと敵対することになっていたかもしれない。その恐怖が克之丞を包んだ。
(お前は平気だったのか? 辰之輔……)
その後、黒羽一行は無言のまま宇都宮城を後にした。
「いまだに官軍は我らに疑いの目を向けているらしいのう」
道中、三左衛門がぽつりと口を開いた。その言葉に克之丞は少し考え込むように歩みを止めた。
「東国諸藩すべてに対してなのでしょう。ですが、官軍への参加が正式に認められたということになります。しかも当面は兵站の維持、確保が役目。戦場に藩士を送り出さなくていいことになります」
克之丞の言葉を聞く三左衛門の表情に安堵感がにじんでいた。情勢の変化に翻弄され、混乱した小藩の黒羽藩が、ようやく新政府軍の傘の庇護の下に置かれたのである。三左衛門が視線を遠くに投げ、しばらくの沈黙を破った。
「藩内にも徳川の残党らしき怪しき者どもが出没している。未だ情勢は不安定ゆえ、周辺の警戒を怠るでないぞ」
その言葉に克之丞はふと顔を上げ、三左衛門を見つめた。三左衛門の目には、まだ解決されていない数々の問題と不安が色濃く浮かんでいた。無理もない。黒羽藩が新政府軍の下で一歩前進したとはいえ、周囲には敵の姿が見え隠れし、まだまだ予断を許さない状況が続いていた。
「はい。黒羽が宇都宮の二の舞にならぬよう肝に銘じます」
その後、黒羽藩は伊地知の指示に従い、領内の警戒を強化し、近隣の町や村に探索方を派遣して旧幕府勢力の動向を探ることとなった。
二ヶ月後の五月二十二日、黒羽藩へ白河城への出兵命令が発せられた。
この一ヶ月前の閏四月二十日、白河城が会津軍に奪われた。藩内では再び動揺が走る事態になったが、五月一日には新政府軍がこれを奪回した。地山が奥州視察から戻り、奥州を見限る進言を行ったのもこの頃である。ようやく藩としての迷いもなくなった時期での命令だった。
「どうしたのですか、その恰好は?」
出発直前でありながら軍服姿ではない克之丞に、四郎は驚きの声を上げた。
「先刻ご家老からのお達しがあって残ることになった。会津や徳川方に南下する動きがあるとのことで、それに備えることになった」
「そうでしたか。やっと克之丞さんと一緒に官軍として暴れられると思っていたのですが……」
寂しそうな四郎に、克之丞が声を掛けた。
「白河城のお味方は四方を敵に囲まれているという。いずれこの辺りも落ち着く。その時は俺も合流する。それまで命を粗末にするなよ」
「分かりました。一番隊隊長として存分に腕を振るってきます!」
集合の号令がかかる。元気を取り戻した四郎は、西洋式の敬礼をしてその場を去っていった。そして九ツ半(午後一時)、三左衛門を隊長とする総勢二〇〇余名は、白河城へ向けて黒羽を出発した。
「置いてきぼり?」
無言で見送る克之丞に声がかかった。振り向く克之丞の視線の先にいたのは那美だった。
「どうした?」
「朝慌てて出かけて行ったかと思えば、町では出陣するって大騒ぎじゃない? 今生の別れをしようと思ってきたんだけどなぁ」
「俺は残って黒羽の守り」
克之丞は、遠ざかる部隊の最後尾を見つめた。すると那美が克之丞の隣に並んだ。
「良かったわね、行かなくな。克っちゃん、死にそうな雰囲気出してるもの」
那美の言葉に克之丞は動揺した。三左衛門から黒羽に残るように指示されたとき、同じことを言われていたのである。今のままでは命を落とす、と。
「白河のお城は何千って兵に取り囲まれているって話じゃない? いっそのこと、そのまま一緒に城にいる奴らをやっつけちゃえば?」
克之丞が驚いた表情で那美を見ると、那美はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「思った通り、迷っているわね」
克之丞は言葉を失い、那美の視線を避けるように目を伏せた。
「図星。あの人を殺した人たちにつくか、これと戦うべきか。ほんと、克っちゃんって分かりやすい」
那美の言葉に、克之丞はただ立ち尽くし、何も返せなかった。怒りの色を見せずにはいられないが、それでも言葉を飲み込む。
「それは辰之輔の思い込みだ」
克之丞は、わずかに怒気を含んだ言葉を返した。その言葉が、二人の間の空気を重くした。那美はただ首をかしげる。その視線に、克之丞は何とも言えない違和感を覚える。何かがずれている気がした。




