第十話 官軍の使者
三左衛門は呆然と呟いた。側に控える克之丞の心にも、目の前に広がる焼け野原が重くのしかかる。
「徳川方の放った火によるとのこと。戦とは言え、ここまでする奴らに、もはやこの国のかじ取りは任せられぬということであろう」
三左衛門の声が静かに響いた。克之丞は三左衛門の隣に歩み寄り、少し考えてから口を開く。
「伯父上、よろしいでしょうか?」
尋ねる克之丞の表情を読み取った三左衛門は一行にしばらく待機するように伝えると、克之丞を連れてその場から距離をとった。三左衛門に察しはついていた。
「伯父上の今しがたのお言葉。そして先日の『最善』というお言葉。もしや増裕様のご逝去について何かご存じでは?」
三左衛門は腕を組み、ゆっくりと考えるように答える。
「あの日以降、分家である福田家で起きた事態には、私も気にかけていた。」
自らを凝視する克之丞を見ながら三左衛門は続けた。
「あの後すぐに家老職を拝命したことで疑問に思うのもわかる。だが、私にとっても増裕様は大恩のあるお方。私も密かに調べていた」
克之丞はその言葉に驚き、思わず目を見開く。
「そうでしたか。勝手な思い込み、大変失礼いたしました。」
克之丞は深々と頭を下げる。
三左衛門はその姿勢に黙ってうなずき、続けた。
「何者かの手による可能性は否定できぬ、というのが結論だ。だが証拠はない。その鍵を握るのがお主の家人だったのだろう」
克之丞の胸が一瞬激しく鼓動する。
「伯父上は、藩の者が関与しているとお考えですか?」
克之丞は、思わず疑念を口にした。
その言葉に三左衛門はわずかに目を細め、その視線が克之丞に真っ直ぐに注がれる。
「わからぬ。しかし、事態がこれほどまでに深刻になった以上、藩内に目を向けるのは仕方のないことだろう」
伯父上には敵わない、そう感じる克之丞に三左衛門が続けた。
「お主は同席できなかったが、先日の評議を見る限り、彼らの胆力を思うと藩政を預かる者の中にそのような者がいるとは思えぬ。ただ、目の前の安寧のために圧力に負けて見て見ぬふりをしたことは否定できぬ」
「目の前の安寧……。増裕様は、新しい世を想い描いておりました。その想いが届いていなかった、ということでしょうか?」
「かもしれぬ」
三左衛門は静かに答えると、再び口を開いた。
「真相の解明に時をかけたところで状況が変わるものではない。この宇都宮の惨状を見よ。朝廷の下で賊を排し、新しい世のため、藩が一つになって一丸となって前に進まねばならぬ。それが増裕様のご恩に報いることになろう。お主の謹慎を解き、私の下においたのもそのため」
三左衛門が語気を強めた。
その後、一行は宇都宮城に向かった。焼け残った宇都宮城が視界に入ると、克之丞の胸は締め付けられるような思いに襲われた。大手門に到着すると、一人の男が出迎えた。
「わざわざお出迎えいただきまして恐縮でございます。縣殿」
男の出迎えに、三左衛門は馬を降りて深々と頭を下げた。
男の名は、宇都宮藩の中老(家老の次席)、縣勇記という。宇都宮藩の軍事・政務の一切を取り仕切り、幕末混乱期の宇都宮藩をいち早く尊王に導いた、宇都宮藩内きっての人物である。
「先の戦では援軍に間に合わず、誠に申し訳ござらぬ」
三左衛門は深く頭を下げた。
「貴藩に責めはございません。まずはお進みください。参謀殿がお待ちです」
縣の声には温かさがあったが、その背後に漂う疲労感は否応なく伝わる。縣は三左衛門一行を大手門そばの屋敷へと案内した。
「この屋敷はそれがしの住まい。奇跡的に消失を免れ、今は東山道軍の本営となっております」
屋敷に入る前で縣は状況を説明した。
「お味方とはいえご自宅を他藩の者に明け渡すとは……」
三左衛門の後ろで克之丞がつぶやいた。それに対して、縣は静かに答える。
「東山道軍の皆様には、宇都宮を賊の手から取り戻すために命を懸けていただきました。見ての通り町は焼け野原。恩人の方々に焼け残った屋敷を提供することは当然のこと」
言い終えた縣は克之丞に向かって微笑み、続けた。
「国は民草によって成り立っています。その民草の生活の礎を平気で奪う……。もはや徳川に日ノ本を治める資格はないということでしょう」
縣は、三左衛門と同じことを口にした。
屋敷の一室に通された一行は、緊張の面持ちで面会の時を待っていた。薄暗い室内に響く足音とともに、襖が静かに開かれる。黒羽藩の者たちは一斉に平伏し、静寂が支配する中、複数の足音が近づいてきた。上座に座るための椅子が置かれる音が聞こえ、微かな緊張感が広がる。
「東山道先鋒総督府参謀・伊知地正治殿でござる」
付き添いの者の声が、室内に響いた。呼吸を呑んで待つ一行。
「面をあげられよ」
伊地知の一言で、ようやく一行は顔を上げた。だが、予想に反して参謀の伊地知は小柄で、最初に目にした印象は拍子抜けするほどだった。だが、それも一瞬で変わる。彼の目の奥に秘められた冷徹な威圧感が、まるで空気を凍らせるように一行を圧倒した。
その隣には、薩摩藩士の大山弥助(後の陸軍元帥・大山巌)が腰を下ろしている。大山の眼差しと、一行の中の同窓の黒羽藩士の眼差しが一瞬で交わると、その口元がゆっくりと緩んだ。その変化が一行の緊張を和らげ、少しだけ空気が和らいだように感じられた。
「ご面会の機会を賜りまして誠にありがとうございます。また、先の戦で援軍に遅れたこと、申し開きの余地もございません」
三左衛門が深々と頭を下げると、一同も同じように頭を下げた。そして、伊地知は手をあげてその姿勢をやめるよう促した。
「あの戦は指揮する者たちが賊の力を見誤ったまで。貴藩には一切の落ち度はござらぬ」
伊地知の冷静な言葉が、黒羽一行の胸に少しの安心をもたらした。しかしその安心もつかの間だった。
「早速ではあるが、今後のことについて確認したい」
伊地知が言葉を続ける。
「貴藩のご先代は幕府の要職に在って、我ら薩摩や長州を攻めるための軍備増強を行っていた。そう考えて貴藩に疑いの目を向ける者が少なくない。これから天子様の御命令に従い会津を討つ。しかるに、貴藩は会津の隣国として長年の交わりもあろう。それに小藩とはいえ相当な軍事力を有する。懸念する理由をわからんではない」
再びその空気が一変した。伊地知の眼差しは鋭く、緊張感が再び強く漂う。




