前編:闇にひそむ
11月24日。満月の夜が静かに訪れていた。路地裏に霧が漂い、冷たい風が私のショートヘアを乱した。私は黒い手袋をはめ、星型のキーホルダーを掌に締めていた。革の軋みが凍えた空気に溶け、商店街の遠くの灯りが霧に滲む。ブレザーをだらしなく着崩し、スカートの裾を短くした姿が、路地の壁にぼんやりとした影を落とす。不良っぽいとよく言われるけれど、この夜にはそんな言葉さえ意味を失っていた。吸血鬼の気配を追うためだけに、私はここにいた。
路地の奥で微かな叫び声が響いた。風に混じるその音に、心臓が跳ねる。私は足を速め、霧の中へ駆け込んだ。そこには、小柄な少女が地面に倒れていた。首筋から血が滲み、赤いマフラーが冷たい舗装に鮮やかに映える。吸血鬼の仕業だ。霧に揺れる黒い影が一瞬だけ浮かび、闇の向こうへ消えた。追おうとした足が止まり、彼女の震える肩に目を奪われる。彩花の冷たい体が頭をよぎり、「助けなきゃ」と喉が締まった。
「動くな。お前――噋まれたな」
と低い声で告げ、そっと近づく。霧に濡れた彼女の栗色髪が風に揺れ、二つ結びが小さく震えた。
「何……?」
怯えた目が私を見上げ、震える声が漏れる。霧が彼女の小さな体を包み、長い影が威圧的に伸びた。私は冷たく射抜くように見つめ、
「1ヶ月後の満月までにそいつを殺さないと、吸血鬼になるよ」
と淡々と告げた。彼女の瞳が揺れ、霧に濡れた手が首筋の血を押さえる。私は一瞬目を細め、
「一ノ瀬のぞみ。また、月曜日に」
と名乗って踵を返す。霧が私の足跡を包み、冷たい風が背後に響く。彼女の視線が刺さり、影が小さく遠ざかった。
家に帰り、部屋の隅に腰を下ろす。暖房の微かな唸りが響き、窓の外で霧が漂う。私はキーホルダーを手に持ち、指を絡めて締めた。星の形が掌に食い込み、革の軋みが静寂に溶ける。あの子の怯えた顔が彩花の最後の姿と重なり、胸が軋んだ。吸血鬼に噛まれた子を助けるなんて、私の復讐に何の意味があるのだろう。
あの夏、私の誕生日、彩花と商店街で別れた直後に悲鳴が響く。駆けつけた時には彼女が血だらけで倒れ、既に冷たくなっていた。赤い目をした影が私を押しのけ、首に鋭い痛みが走る。逃げ去る背中を見送るしかなく、あの夜から心が硬くなった。復讐しかない、そう自分に言い聞かせたが、あの子の震える手がどこかで私の心を揺らし続けていた。
「あいつらを許さない」
と呟き、窓に映る自分の顔を見つめる。霧がガラスを濡らし、微かな雨粒が凍えた音を立てた。
12月5日。教室の隅に座っていた。窓から差し込む薄い光が私の腕に落ち、冷たい風がブレザーの隙間を掠める。携帯を手に持つと、彩花の笑顔が画面に映る。あの子の名前を知った。笹山芙美。華奢で小柄、二つ結びの栗色髪が肩に揺れ、赤いマフラーが彼女の目印だ。教室の喧騒が遠く感じられ、彼女が近づいてくる。
「のぞみって何か背負ってるよね」
芙美が小さな声で呟く。二つ結びが微かに揺れ、私は窓の外を見たまま振り返った。校庭が薄く曇りに染まり、木々が風にそよぐ。
「親友が吸血鬼に殺された」
声が低く震え、携帯を開いて彩花の写真を見せる。薄曇りの光が笑う彼女を映し、私は指で画面を強く押さえた。
「誕生日だった。一緒に笑ってたのに、別れた直後に叫び声がした」
「私が見つけた時、もう血が冷たかった」
涙が溢れ、声が途切れる。教室の喧騒が遠ざかり、芙美の瞳が揺れる。
「私が強ければ止められた。あいつは私を置いて死んだ」
「私は許さない」
言葉が重く響き、キーホルダーを握り潰すように締める。彼女が息を呑み、私は目を逸らし、
「謝るな」
冷たく告げて席に戻る。
星型のキーホルダーが鞄に揺れ、心が重くなった。あの夏、私の誕生日、彩花と商店街でアイスを食べ、カラオケで歌い、キーホルダーをお揃いにした。別れ際、彼女が「また明日ね」と手を振った直後、悲鳴が響いた。駆けつけた時、彩花は血だらけで冷たくなり、赤い目をした影が私を押しのけ、首を噋んで逃げ去った。芙美を見てると、彩花の笑顔が浮かぶ。でも、吸血鬼を許すわけにはいかない。
その日の昼、薄曇りが校庭を包む。体育の時間、持久走が始まり、冷たい風が息を白くした。誰かが小石につまずき、膝から血が滲む。
「大丈夫?」
声が掠れ、廉也が顔を背ける。風に混じる血の匂いが薄曇りの校庭を漂い、ジャージの肩が微かに震えた。
「まただ……」
芙美が呟き、彼をじっと見つめる。木々の陰から私は目を細め、その震えに潜む闇を見逃さなかった。
その夜、部屋に戻り、窓の外を見つめた。薄曇りの空が校庭を覆い、冷たい風が木々を軋ませる。私はキーホルダーを手に持つと、指でそっと撫でた。あの夏、私の誕生日、彩花と笑い合った最後の日だ。商店街でアイスを食べ、カラオケで歌い、星型のキーホルダーをお揃いにした。
別れ際、「また明日ね」と手を振った彼女の背中を見送った直後、悲鳴が響いた。駆けつけた時、彩花は血だらけで倒れ、既に息をしていなかった。赤い目をした影が私を押しのけ、首に鋭い痛みが走った後、逃げ去る背中を見送った。あの夜から、私の心は硬くなった。復讐しかないと自分に言い聞かせたが、芙美の震える手が、どこかで私の心を揺らし続けていた。