6 オーリウィック侯爵夫妻
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学園の高等部・大学部には、学生同士のトラブルの解決手段として決闘制度が存在する。
本物の決闘とは違い、死者が出ないルールに限定される。お互いに相手への約束を事前に決めた上で対戦し、勝った方が負けた方にその約束を守らせるというものだ。
この決闘は、高位貴族の令息令嬢を中心とした生徒会が管轄している。
学園で女子教育が始まる遥か昔からの伝統的なもので、かなり強い拘束力を持っている。
本来なら教師陣のみが決裁権限を持つはずのことまでも、要求できてしまうのだ。
そして決闘召喚状によると、今回、相手方マクシーナ様は、私の退学を希望しているのだそうだ。
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翌朝、私はいつも通りの時間に朝食の席についた。
「おはようございます、お義父様」
うむ、とうなずく伯父兼義父、オーリウィック侯爵。
亡き父に、目元だけ少し似ている。全体的にぽっちゃりして、ユーモラスな雰囲気を漂わせているけれど、やり手の政治家だ。
時々仕事を手伝わせてくれて、政治の実務についても教えてくれる、ありがたい存在。
「お義母様は今朝もお仕事ですか?」
「うむ。それとレイチェルは今朝も早々に登校していった。学園の自習室で勉強するのだと」
学園では、朝、有志で開かれている勉強会がある。
義姉はそれにたびたび参加しているのだ。
最初聞いたときには私も行ってみたいと思ったのだけど、主催がセオドア殿下と知って諦めた。
義父と義母、義姉、私、それから今は留学中で外国にいる、シルヴァ様と同い年の義兄。
この五人がオーリウィック家の家族である。
「しかし魔術決闘とは面倒だな。まぁ怪我にだけは気を付けろ、あちらに怪我をさせるとウィール宰相がうるさい」
「ちょっとは義娘の心配をしてくださってもいいんですよ? 相手は二年生女子で魔法の成績トップのマクシーナ様ですし」
「そうだな。加えて、おまえへの嫌がらせの黒幕、と」
「まぁ、半分くらいはきっとそうですね」
だからこそ、この決闘に勝てば、嫌がらせを激減させられるかもしれない。
それに……私は、シルヴァ様の人生をめちゃくちゃにしたマクシーナ様の父親……ウィール宰相のことを許していない。だから勝ちたい。完勝して一矢報いたいのだ。
「ところで話は変わるが、おまえ、独身主義を撤回するつもりはないか」
「え? なぜですか?」
結婚せず官僚を目指す。
そんな私の目標が、貴族の家の娘としては普通じゃないものだとはわかっている。
とはいえ、義父母はそれを理解してくれていると思っていたのだけど。
「官僚の採用試験の受験資格を女子にも拡大する改正案が、今年も見送られた」
「……ああ……そうなんですね。残念です……」
ため息をついた。
今年こそはと思ったのに。
「これで五年連続だ。なれるかわからぬものを目指すより、将来重職になるであろう令息と結婚するほうが、その伴侶として、確実に政治に関われるのではないか?」
「……うーん……それは……」
「露骨に嫌な顔をするな。おまえへの求婚の打診は山のように届いているのだ。断り続けるのもそろそろ面倒だから適当に相手を決めてくれ」
「後半お義父様の都合じゃないですか。何ですか適当に決めろって」
「仕方ないだろう。この世のほとんどの男はおまえより優秀ではないのだから。人生諦めも肝心だ」
「言い方が血も涙もないです」
というか、なんで私にそんなに縁談が来るんだろう。
学園の悪評は大人たちに知られていないのかな。
それとも悪評以上に、この名門侯爵家と縁続きになるのは魅力的ということなのか。
養子の私じゃなく実子の義姉に求婚すればいいのに。
そんなことを考えながらパンをかじる。
「それなら、シルヴァ閣下はどうなのだ」
んぐ、と、パンを喉に詰まらせた。
しまった。義父の細められた目が『見逃さなかったぞ』と語っている。
「両王子殿下を上回る量の公務を担われ、将来は宰相候補として最有力。そして何より、おまえと同じく公衆衛生や医療事情に強い関心を抱いておられる。おまえにとって完璧に理想の相手ではないのか」
「いや、あの、シルヴァ様は、その」
「うちの家格ならこちらから婚約を申し込んでも問題なかろう。それにおまえ、今も閣下と仲が良いのだろう?」
「仲、は、良い、ですけどっ」
「善は急げだ。早速打診を」
「だ、だめです!」
「ん?」
「シルヴァ様には、私ではダメなんです」
「……どういう意味だ?」
「あ、いえ。何でもありません。とにかく! 結婚そのものを考えておりませんのでよろしくお願いいたします」
首を横に振り、それ以上の話を拒否する。
はぁ、と嘆息した義父は、あきれたように私を見た。
「おまえは本当に、弟に似て頭でっかちだな」
そんなこと言われても……と言いたかったが、口には出さず、私は好物のキッシュをもぐもぐと頬張った。
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朝食を終えた私は、義母のいる寝室を訪れた。
「おはようございます、お義母様」
「あら、メリディアナ。おはよう」
義母オーリウィック侯爵夫人は、寝間着のままベッドの上でサンドイッチをもぐもぐしながら書類仕事に追われていた。
子どもの頃は『貴族の夫人って優雅にお茶を楽しんだりしているんだろうな~』なんて想像していたけど、実態はかなり多忙だ。
政治関連、貴族社会、有力中産階級との社交。邸のなかの切り盛り……。
さらに義母は領地経営も一部担い、時に高位女官のような仕事までこなしている。
眠いのか目が疲れているのか、しきりに目をこすっている。大変そうだ。
「こちら、昨日の夜頼まれたお手紙の代筆です。あとご指定の資料も探してきました」
「ああ、ありがとう。助かったわ」
受けとって確認する義母。
「急に十人分も頼んで悪かったわね。レイチェルは全然手伝ってくれないから」
「これぐらいなら全然問題ないです。あんまりご無理をなさらないでくださいね。また倒れたら大変ですし」
「無理はしていないつもりなのだけど」
「まず睡眠と栄養を取ってからおっしゃってください」
義母は、私がここに引き取られて間もない頃、急病で倒れた。
過労に良くある心臓の病気の症状で、私が父の見様見真似で応急処置をし、専門の医師とともにつきっきりで魔法治療を続けてなんとか持ち直した。
それから療養してすっかり元気になって……それ以降は確かに倒れていないけれど、忙しいからこそ、身体は大事にしてほしい。
(……でも、お義母様は決闘のことは気にしていないみたい。良かった)
一度倒れたことのある人だ。あまり心労はかけたくない。
「他にもあればおっしゃってくださいね。お手伝いしますので」
「そうね、それはありがたいけど、それより……あなた秋にはもう十六、成人よね。年明けの成年式と社交界デビューの準備を進めないとだわ」
「……社交界、ですか……」
「政治を志しているんでしょう? なおさら社交は大事よ」
「……はい」
「イヴニングドレスも気合いをいれて作らないと。とりあえず三着……もっと要るかしら」
「あ、いえ。そんなお金をかけなくても中古で……」
「あなたオーリウィック家に恥をかかせる気?」
「はい……すみません、お義母様」
優しい人だけど、時々強引なのは玉に瑕だ。
「それに、あなたはむしろ早く婚約した方がいいのではなくて?」
「え?」
「だって、相手がいないから殿方から言い寄られて学園で嫌な思いをするんでしょう。婚約すれば男除けになるわよ」
「本末転倒では?」
「シルヴァ様はまだ新しいお相手はいらっしゃらないそうよ」
「だからなんでそこでシルヴァ様なんですかっ!?」
思わず声が大きくなってしまった私の肩を、義母はポンと叩いた。
「国政を志すなら、これ以上ないお相手でしょ?」
「…………」
絶対夫婦で結託してますよね?
「ええっと、すみません、時間なので失礼いたします!」
「ちょっ……じゃあ帰ってから話すわよ!」
不穏な言葉をかけられながら、私は寝室を出て登校準備に向かうのだった。
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