47 【過去】シルヴァの後悔
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────さすがに貴族令嬢が足しげく娼館にやってくるのは色々と危険すぎる。
悩んだ挙げ句、俺は、花街の外にあるカフェを毎回の待ち合わせ場所に指定した。
メリディアナは、何度も俺に会いにきた。
彼女も暇な身ではない。無理して時間を捻出しているのか、時折目元にくまもできていた。
医者の不養生という言葉を知らない君じゃないだろうに。
本当に彼女のことを思うなら、来るなと言い続けるべきだった。
だが、彼女の口からはセオドアやルークの近況が聞けた。
お世話になった人たちが無事でいることも知れた。アナスタシアが息災であることも。
まるで俺の心を読んだように、メリディアナは俺の知りたいことを教えてくれた。
いつしか彼女が来る日を指折り数えている自分がいて、ため息をついた。
このままではいけないと、わかっているのに。
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「……ブレイズ!!」
ある日メリディアナに呼び出された王都外れの厩舎で、俺は思わず声を張り上げた。
久しぶりの愛馬はすぐに俺に気付いたらしく、いなないて顔を俺に寄せてきた。
見事なその鹿毛の馬の顔には『大流星』と呼ばれる真っ白な毛の特徴的な模様が入る。
仔馬の頃から大事にしてきた、この顔は間違いようがない。
色つやは良い。元気そうでよかった。
「ありがとう、君が預かってくれていたのか……良かった、無事で」
「はい。あと義兄がレッドラビット号をお預かりしています。他の子たちはセオドア殿下が、ご自身の厩舎を増築して大切にしていらっしゃいます。みんな元気ですよ」
「……テオが……そうか……ありがとう」
馬という生き物は飼い続けるだけでも多額の金を費やさざるを得ないために、主を失った馬に待ち受ける運命は残酷だ。
ただただ生きていてくれて良かった。
ブレイズの首を抱きしめ、その息づかいと鼓動と体温を感じながら「……ありがとう。本当に」と繰り返した。
しばらくブレイズと過ごした後、メリディアナに「いつものカフェに移動しますか」と声をかけられうなずいた。
(……そういえば)
しばらくあの声を聞いていない。
『おまえはなんで生きているんだ』と責める、あの声を。
「やっぱり気になります?」
「……何が」
「その記事、以前進めていらした政策ですよね? うまく行ったのか、その後のことがやっぱり気になってご覧になっているのかな、と」
「………………」
ため息をついて、俺は新聞を畳む。
庶民向けのカフェのなか、貴族らしいみなりのメリディアナはかなり浮いている。
とはいえ店員たちもさすがにもう慣れた様子だし、後ろのテーブルでは、メリディアナが連れてきた従者たちが今日も嬉々として甘い菓子に舌鼓を打っていた。
「もう俺には関係ないことだ」
「でも、気になったのではありませんか。ご自身がやってこられたことが……」
「……そんなんじゃ……」
メリディアナの方を見ると、ジッ、とこちらを見つめている。オーリウィック先生と同じ、翠の瞳。突き放すにはもう、絆されすぎていた。
「…………また間違えたと思っただけだ」
「間違えた?」
「ああ……たくさん間違えた。王宮では見えていなかったものが山のようにあった」
彼女に話すのは、気が重かった。
確かに、死ぬほど情けないところもかっこわるいところも見せてきた。それでも、彼女にとって憧れの自分でいたかったという、くだらない見栄の欠片が、未だに胸の中をぐるぐる回っているのだ。
「……三年前。前科のある浮浪者を王都から実質的に追放した」
意を決して口にした。
「起案は当時の大臣だが、王にかわり決裁の署名をしたのは俺だ。
王都の治安の改善につながると信じていたし、また前科者たちも強制的に移動させて犯罪をしづらくなれば更生せざるを得なくなるだろうと、昔の俺は浅はかに考えていた。
結果は今見れば惨憺たるものだ。
王都から地理的に近い場所に犯罪者の拠点が増えた。
官権の目の届かないところで、元々ゴミあさりや軽微な犯罪によって生き延びていたような者たちが、殺人も厭わない凶悪犯罪者の手足として使われるようになってしまった」
「…………それは……でも……」
俺だけのせいではないと続けそうな彼女の口を塞ぎたくて「二年前も」と俺は続けた。
「売春が可能な年齢を成人年齢まで引き上げる法案の提出に俺の名前を貸し、違反する娼館を徹底的に取り潰す政策にも署名した。だがそれは、親に売春を強要される子や、誰にも守られていない子どもたちを、さらなる地獄に突き落とすことになった。路上売春や非合法組織での売春などで命を落とす子も……」
優先すべきは大人の取り締まり以上に子どもの正しい保護だった。
あるいは前科者たちの追放ではなく、教え導くか、それができなくても正しく管理することだった。
この国の誰より努力を重ねてきたつもりだった俺は、結局子どもで、人間というものを何も理解できていなかったのだ。
「……国を動かす人間がひとつ間違うことがどれだけ罪深いか痛感している。時間を巻き戻せるなら何もかもやり直すのに」
時間を巻き戻す魔法はこの世に存在しないと知られているし、もしもあったとしても俺にだけはかけることはできないだろう。
自分がこれまでしてきたことは、魔法のようになかったことにはできない。
今までの人生で間違えてきた罪と業を背負って、生きていくしかない。
「…………すまない。どこまでも愚痴だ。嫌な思いをさせた」
「いえ……」
「虫が良いかもしれないが、弟たちに……いや、オーリウィック侯爵に、俺がさっき言ったことを伝えてくれないだろうか。このまま放置して良いとは思えない。できるだけ早く対処が必要だ」
弟たちを信じていないわけではない。が、今のセオドアやルークでは、おそらく海千山千の貴族たちとはやりあえない。
信頼できてそれなりの地位のある政治家は限られる。
オーリウィック侯爵なら、きっと良い方法を考えてくれるのではないか。
尻拭いをさせるようで心苦しいが、今の俺には何もできない以上、できる誰かを頼る他ない。
「それは……義父で良いのですか?」
「……ん?」
「本当なら、ご自身の手でやり直したいのではありませんか」
「……っ」
ストン、と刺さる言葉だった。
まるで的の中央にまっすぐ吸い込まれていったダーツの矢を思わせた。
あまりに刺さりすぎて、すぐには反論ができなかったほどだ。
数度深呼吸して、口を開いた。
「どのみち、俺にはもう何も……」
「義父から聞いたのですが、今回の廃嫡、周辺諸国からは予想以上に不信感を買っているそうです。一国の次期国王の決定に宗教勢力が介入してくる、悪しき前例を生んでしまった……と」
「……そうなのか? 新聞には……」
新聞には俺の悪口しか書いていなかったが、と、言いかけてやめた。
自虐は相手が聞いて楽しいものではない。
「公務の中で、多くの方々と信頼を築いていらっしゃったでしょう? 力になってくださる方もきっといます。うちの義父だって、きっと……」
まっすぐに俺を見すえて一生懸命語りかけてきていたメリディアナは、ふと、口をつぐんで目を伏せる。
「……すみません、私、差し出がましいことを申し上げていますね」
「…………」
肯定も否定もせず、ただ、彼女を見つめていた。
俺と真摯に向き合って悩んで考えてくれるその顔を、綺麗だと見とれてしまっていた。
子どもだと思っていた彼女は、明後日には十四歳になる。
「私に何かを強制する権利はありません。もし、これから先もこの市井で生きていかれるという選択をなさっても、それでお幸せになるのなら良いのだと思います。
……どんな形であれ、少しでもお心に添った道を歩めるよう、味方でありたいだけなのです」




