45 【過去】シルヴァと『姫先生』
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「あれま。姫先生と連れだって帰ってくるなんて。やっぱり知り合いだったのかい?」
「「いえ、初対面です」」俺と彼女の声が重なった。
さすがに、七年越しの付き合いの相手に、髪を黒く染めただけでバレないわけがなかった。
────本当は、そのまま人違いのふりをして逃げたかったが、またいつ襲われるかわからない状態で彼女を放置できない。
今は貴族令嬢なのだから一人で出歩くなと言いたいところだが、場所が場所だけに侍女を連れてきづらかったのもわかる。
仕方なく、バリー夫人の娼館まで同行して帰ってきたのだった。
「たまたま、ここに来るまでに遭遇しただけで、まったくこんな人知りません」
「そうです、本当にたまたま、絡まれているところに出くわしただけで今まで会ったこともないです」
「そ……そうなのかい?」
ちなみにここまでろくに会話もできていないので、メリディアナはアドリブで合わせている。
一応、バリー夫人相手には無理矢理誤魔化せたと思う。
とはいえ横目で見るメリディアナの笑顔はひきつっており、チラチラとこちらを窺っている。
それはそう……こんなところで俺に会うとは思ってもみなかっただろう。
「じゃあ、姫先生。さっそくうちのコたちから診ていってもらえるかねぇ」
「あー姫先生だー」「姫せんせーおいでこっちー」
「その『姫』先生っていい加減やめてもらえません?」
「いーじゃんホントの貴族のおひめさんなんだから♬」
娼婦たちに可愛がられているのか玩具にされているのか、ほっぺたを突っつかれたり楽しげに腕を引かれたりするメリディアナ。
俺が近くにいては魔法を使った診察に支障が出る。
今のうちにこの場から去ろうとしたら、ふりかえったメリディアナの口が素早く『あとで』と動いた。
────逃がしてはもらえなさそうだ。
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彼女の第一印象は『元気でしっかりした、健気な子』だった。
当時俺が九歳、彼女は六歳だっただろうか。
オーリウィック先生に本を借りるために、初めてご自宅にお邪魔した時に会った。
先生を待っていると「お父さん! だれが来ているの!?」と元気の良い声とともに女の子が家に入ってきた。
可愛らしい顔立ちに利発そうにきらめく翠の瞳。
そして妖精のように綺麗な桃色の髪の女の子は、入ってくるなり俺を見て、え?という表情になる。
(先生のお嬢さんか?)
……と俺が思う間もなく、彼女は緊張した様子ながらどうにか笑顔を作り、震える手でスカートをつまんでカーテシーをした。
「こ、こんにちは。
よ、ようこそいらっしゃいました。
サリエル・オーリウィックの娘メリディアナと申します!」
こちらが名乗る前に一目で、父親の仕事に関係する相手だと見抜いたらしい。
そこで精一杯の礼儀正しい挨拶をしてみせた。
幼いながら、その頭の回転の速さと、父君を気遣う姿勢をとても好ましく思ったのを覚えている。
「こちらこそお邪魔しています。素敵な名前ですね」
お辞儀を返して名を褒めると、彼女は顔を真っ赤に染めた。
知る人は少ないが『メリディアナ』は、我が国の初代国王シルヴェスタ王の妻の名前だ。『正午』などを意味する言葉だが『最高潮』などの意味もある。
その日はさほど話さずに終わったのだが、それからオーリウィック先生のご自宅に伺うと、彼女と顔を合わせる機会がしばしばあった。
平民の世界を知る彼女にはたくさん聞いてみたいことがあった。
子どもたちはどんな暮らしをしてどんな風に育っていくのか、どんな問題があって、何をどうしたら解決できるのか。
こちらもいま思えばまだ子どもで、世間知らずな問いばかりぶつけてしまったと思うが、幼かった彼女は一生懸命答えてくれた。
物心ついたときから魔法を使えないせいで陰口を叩かれているのは知っていたし、面と向かって嫌味を言われることも多かった。
それでもメリディアナのような味方がいたから、自分はきっとこの国を良くしてみせると、国民みんなを幸せにしてみせるという、無邪気な青い理想を掲げていた。
オーリウィック先生を喪った時も、その思いが俺を支えていて……。
***
「………………っ」
吐きそうになる。
子どもの頃から、ずっとたくさんの人に支えられて、夢を託されてきた。
同時に、そこでは命をも託された。
王太子として生きてきて、命を狙われたのは一度や二度じゃない。
護衛や毒見係が目の前で倒れた。
一つしかない命を、俺のために使って死んだ。
それでも、未来の王だから、俺は守られなければならなかった。
数えきれない命と業を背負いながら俺がちゃんと大人になって、王として国を守り人を守ることで、その命に報いようと思っていたのに。
…………俺は、みんなの命を無駄にした。
「────スライ? 具合でも悪いの?」
アリアに声をかけられ、ハッとした。
いつの間にか、壁を背にして座り込んでいた。
額に脂汗がにじんでいることに気づく。
思った以上に時間がたっていたようだ。
「…………いや、別に」
「具合悪いんだったらスライも姫せんせーに診てもらう?」
「何でもない」
立ち上がり、館の外に出る。
天が高く見えるはずの秋であろうと、花街の空は、王宮から見上げたそれよりも遥かに狭い。
彼女もきっと失望しただろう。
天国のオーリウィック先生も。
なんで、おまえは生きている?
「……あの!」
突然、ギュッと手首を掴まれた。
小さな両手でこちらを逃がすまいと握っていたのは、メリディアナだった。
「……ちょっと休憩……もらってきたので。お話……できますよね?」
振りほどいて逃げ出したくなるほどにその翠の瞳は真剣で、だからこそ逃げられない。
────オーリウィック先生と同じ色の瞳。
手を引かれるまま、おとなしく館の中に入った。
何を言われるだろう、どれだけ責められるだろうと、覚悟を決めた。
だが。
(……?)
メリディアナは下を向いたまま、次の言葉を一向に口に出そうとしない。
どうしたのかと思った時に気づいた。
俺の手首を掴んだままの手が、震えていることに。
「…………ほんもの、ですよね?」
彼女がやっと口にできた言葉は、それだった。
「ほんものの……シルヴァ殿下……ですよね?」
周囲にはばかって小声ながら、その声も震えている。
「幽霊じゃ、ないですよね? ちゃんと体温もありますし、生きてらっしゃいますよね?」
「…………」
うつむいたまま、鼻をすすりあげる音、ゴシッと目元を拭く仕草。
……オーリウィック先生が亡くなったあの日以来だろうか。
そんな姿を見せられては「……ごめん」以外に言える言葉はなかった。
***
メリディアナはそれ以上詳しいことを聞かなかった。
聞く必要はないと思ったのか、ある程度は察したのか、それとも、聞けないと感じたのか。
ただ俺の生存を確認しただけで、間もなく診察に戻っていく。
周辺の娼婦や男娼たちが入れ替わり立ち替わり館を訪れて、メリディアナの健診が終わった頃には思いの外、遅い時間になっていた。
「…………迎えは?」
「はい、花街の入り口までは義兄が馬車で迎えに来てくれますので、大丈夫です」
「そう、か……」
「あの」
メリディアナが俺の顔を見上げる。
「義兄も……殿下のことを心配していました」
「…………っ」
「もし良ければ、話すだけでも」
あいつに心配をかけていると聞けば、胸は痛む。だが。
「心配してくれているなら、余計に会わない方がいい」
「どうしてです?」
「失望させるよりはましだろう」
「殿下に失望するようなところはありません、何一つ。義兄も同じだと思います」
「…………」
優しい言葉にすがってしまいたい気持ちになる。
メリディアナもアバクスも俺に甘い。二人とも将来がある身だというのに。
「…………俺はもう『殿下』じゃない」
「でも」
「忘れろ、と伝えてくれ。君も忘れてくれ」
「忘れられるわけ……ないじゃないですかっ」
「忘れろ」
涙目で見上げる翠の瞳、それでも俺は切り捨てた。
「叶えたい夢があるんだろ。子どもの頃の郷愁に足を取られるな」
「…………!」
もう俺には慕ってもらえるような資格はない。
見送るのはやめよう。
二度と会わない。早くここを去って、彼女には決して追えないところに行こう。
…………その、はずだったのだが。
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