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44 【過去】シルヴァの再会

     ***


 十六歳の秋。


 深夜まで続く歓楽街のざわめきは、眠りを浅くする。

 狭い物置部屋を無理矢理半分空けたようなところで身を縮めるようにして眠っていた俺は、身体にかかる手の重みにパッと目を覚まし、上に乗った曲者(くせもの)を流れるように取り押さえた。


「え!? ちょっ!? ……えぇ、い、痛いっ!」


 俺に片手で押さえ込まれていたのは、暗殺者などではなく、同じ建物で()()()()()女だった。


「…………何やってんだ」

「痛いっ、痛いから離してスライっ」


 俺より十ほど年上の、この娼館の一番人気の娼婦だ。彼女が俺の偽名を呼んでジタバタしているうちに、声を聞き付けてパタパタと誰かがやってきた。


「なんだいなんだい。今度はあんたかい、アリア」

「おかみさん~。スライがひどいよぉ~」

「夜這いしようとして取り押さえられたんだろ? あんたで三人目だよ、まったく。用心棒の寝床の方に鍵をつけなきゃいけないのかい?」


 呆れたようにため息をついたのは、平民向けのこの娼館を経営しているバリー夫人だった。

 俺が拘束をとくと、アリアは恥ずかしそうに身体を起こした。


「だってぇ……王都に来て長いけど、こんな王子様みたいな顔の良いオトコ今まで見たことないし!」

「あたしはこのコの、店の女に手を出さないとこが気に入って雇ってるんだよ。それに、抱かれたきゃ堂々とオンナの魅力で口説き落としな。寝てる間に、なんて下衆(ゲス)のやり口だろ?」

「うう~ん」

「……朝は子どもたちの面倒を見て、夜はクソみたいな客を叩き出したり色々で、スライは疲れてんだよ。おとなしく寝させてやりな」

「ええ~……はーい」


 アリアはチラチラと俺の方を見ながら「あっ、あたしの方はいつでも良いからね!」などと言いながら部屋を出ていった。


「……すみません。助かりました」

「あんた死ぬほど腕が立つくせに、うちの孫よりも世間知らずだからねぇ。明日も働いてもらうから良くお眠りよ。じゃあお休み」


 さっさとバリー夫人も部屋を出ていき、俺は薄い布団にくるまった。



 ────初夏、初めて一人で街に飛び出した俺は、足の向くまま懐かしい下町へと向かった。

 街のようすはさほど変わっていなかったが、オーリウィック先生の小さな診療所は別の医者のものになっていて、外装もまるで昔とは違っていた。

 ショックだったが、父親の遺した場所を無駄にしないと決めたのなら()()らしいとも思った。

 俺が勝手に悲しく思ったところで、部外者の感情にすぎない。

 ()()は、前を向いて歩いているのだ。きっといまも。

 それでいいと思ったのに、なぜか胸がひどくざわついた。


 その日以来、俺は出歩き、外泊するようになった。

 学園の中にいる時は毒も盛られるしそれ以外にも暗殺者に寝込みを襲われるなどしたが、黒幕が平民たちに暗殺を目撃されるのを恐れているのか、外では狙われなかった。

 監視役たちには二度と手を出さなかったが、彼らはすっかり俺に怯えてしまった。

『……身体強化魔法使えなくてアレって、バケモノかよ』

『アレでこっちからの魔法も効かないんじゃ、誰がどうやって殺せるんだよ……』

 そんな風に震えながら陰で話す監視役らは、毎回俺の脱走を見逃した。


 外泊と言ってもほぼ野宿だ。金もない。

 拳闘の興行に飛び入りで入って稼ぐ少々のファイトマネーぐらい。

 外を出歩いたところで遊び方など知らない。

 ただ埋められない心の穴を誤魔化すように歩き回り、絡まれたら喧嘩する。不埒な行為をしている輩を見つけては叩き伏せる。


 そんなことを何度繰り返しただろう。

 ある時、女性相手に強盗をしていた暴漢数人を蹴り倒した。そこで助けたのがバリー夫人だった。

「あんた、子どものくせに妙に強いけどそんなんじゃ早死にするよ。うちに来な」

と言われて、この娼館に居候(いそうろう)させてもらうに至る。

 目立つ銀髪は、それまではかつらで誤魔化していたが、ここに来るにあたり、落ちない染料で黒く染めた。



 …………逃げているだけだとわかっていた。

 自分を元王子だと知っている人間が誰もいない、生ぬるく居心地の良い場所。さほど努力しなくても自分のことを好意的に見てくれる人々。

 国のことも、誰の人生も幸せも背負わなくてよくて。

 ほどよく求められて、自分一人のことだけ考えて、いやそれすら考えず、求められるままに言われたことだけをする日々。


 堕ちるに堕ちた。


 弟たちは、アナスタシアは、こんな俺を見たらどう思うだろうか。

 学園の先生方は。オーリウィック先生は……。

 それから、()()は。


(……もう戻れない)


 一年前まで居た場所には、もう戻れないのだ。

 こみ上げるものがあるのに涙は出ない。

 恥というものも、自分の中では死んでしまったのだろうか。


     ***


 …………自分が情けなくて死にたくて消えたくて、そんな眠りの朝は決まって早く目が覚める。


 朝の力仕事をルーティンどおりこなし、別館にいる娼婦の子どもたちの朝食を用意し、朝の世話をする。

 これは元々仕事には入っていなかったのだが、あまりに子どもたちが放置されていたので気になって申し出た。

 料理なんて、王族男子が毎年受けることを義務付けられている軍事教練の野外演習ぐらいでしかやったことがなかったが、やってみれば意外とできるようになった。手は包丁の傷痕だらけになったが。


 学校に行く子を送り出してから娼館に戻ると、朝帰りする客たちが起き始めていた。

 危ない。あと少し遅ければ子どもたちと客たちが鉢合わせしかねない。

 明日からはもう少し早く支度をさせないと。


「スライ。このあとちょっとホールの掃除を頼めるかい?」

「良いですが、ずいぶん時間が早いですね」

「ああ、今日はね、半年ぶりに『(ひめ)先生』が来るんだよ」

「姫先生?」

「そう。すこし前に亡くなった、この国一番の医者の大先生のお嬢様さ」


(…………ん?)


「ここらの娼婦や男娼たちがうちの娼館のホールに来てさ、なんか悪い病気じゃないか、その姫先生に診てもらうのさ」

「……その方は、女性の医者なんですか?」

「あぁ。以前はね、父親の大先生が半年に一回ぐらい、まとめて無償で診てくださった。それで、病気のコを早く見つけてくださってね。おかげで質の悪い病気の蔓延を避けられるようになって、私ら大先生に感謝してたのさ……お嬢さんもまだ子どもでお医者の免許はないそうなんだけど、腕がほんとによくてね。同じように診にきてくださるんだよ」


(……………………)


 冷や汗が出ているのを自覚する。

 ものすごく心当たりがある……そんなことを無償でしそうな父娘。娘がまだ子どもという辺りも含めて。


「……もしかしてその姫先生は、珍しい色の髪をしていませんか?」

「え? あぁもしかして知ってるのかい? お偉いお貴族様の血筋で、妖精みたいに綺麗なピンク色の髪をした、とっても可愛らしいお嬢様だよ」


 確定だ。

 動揺を顔に出さないように抑えながら、俺は慎重に口を開いた。


「…………掃除は問題ありませんが、終わったら俺は夜まで外出しても良いですか?」

「ん? ああ、また拳闘の興行に呼ばれてるのかい? いいよ。むしろあんたがいると、せっかく集まった娼婦があんたに群がって診察にならないだろうし」

「…………ありがとうございます」


 不審に思われていなさそうで安堵した。





 急いで掃除を終えると、俺は早々に娼館を出た。

 事前にわかって良かった。

 正直いまの姿を()()には見られたくない。……幻滅されたくない。

 そういう時に限ってやたらと喧嘩を吹っ掛けられたりする。

 いつもなら多少は相手をするが、今日だけは目立ちたくない。喧嘩を売ってきた連中に追いかけられたが、屋根づたいに逃げて彼らを撒いた。

 だが。


「おいてめぇ! そんな変装しやがってどういうつもりだ!」


 街は今日も平穏ではない。地面を見おろすと一人の女性が、三、四人の男たちに囲まれていた。


(……!)


 厚い頭巾ヴェールで髪も隠した彼女は、こちらに背を向けていて顔も見えず年格好もわからないが、放置できる状況ではない。


「可愛い女のふりしてんじゃねぇぞ、この魔女!」

「俺たちの仲間を、憲兵に突き出しやがって!」


 男たちが彼女に掴みかかろうとして、助けようと走りだした俺が、屋根を飛び下りた。その時。

 掴みかかろうとした男が、弾き飛ばされた。


(!?)


 一瞬魔法かと思い足を止めた。

 魔法で撃退できるなら、逆に俺が近くにいては邪魔になる。そう思ったのだが。


「このクソ女ッ! ……ゔきゃっ!!」


 次の男を殴り倒した時に彼女の武器がようやく見えた。

 (ステッキ)で相手の鳩尾を突いたのだ。そこに合わせる脛蹴りやパンチも恐ろしく速い。

 そういえば投げ技や打撃と(ステッキ)や傘を組み合わせた護身武術があると聞いたことがある。

 だが軽いステッキは一発で相手を倒せる武器ではないし、スカートでは蹴りを使うにも限界がある。

 隠れていた仲間らしい男が、後ろから女性を狙って棍棒を振りかぶったのを、俺はギリギリで蹴り倒した。


「……え」


 残った最後の男の腹に女性が渾身のミドルキックを入れたとき、彼女の頭巾ヴェールが落ちた。

 ふわりと広がり視界に入ったのは、よく知っているピンク色……。

 蹴りの勢いで身体が回った彼女と、ぱっちりと目が合う。



「…………シルヴァ、殿下?」

  


 恩師の娘、メリディアナ・オーリウィックが、頬に土をつけて、こぼれそうなほど目を見開いていた。



      ***

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