3 【過去】下町の魔法医師の娘
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私メリディアナは、少し特殊な生い立ちをしている。
元々子どもの頃は平民として、医師である父と二人きりで暮らしていた。
王都の外れのパン屋街にあった小さな家は、診療所を兼ねていて、患者さんがひっきりなしにやってきた。
母の記憶はない。私が赤ん坊の頃に、父のもとを去ってしまったらしい。
母について尋ねると、私と同じ翠色の瞳を持った父は、
「君によく似た、本当に素敵な女性だったよ」
と言って微笑み、それ以上はいつもはぐらかすのだった。
父の職業は魔法医師。
診察や投薬などの通常医術に、様々な医療魔法を組み合わせて患者さんを治療する。
普段は診療所で患者を診察している。
そして時々、私をご近所さんに預けて外の仕事にも出かけていく。
父がいない日は寂しかったけど、優しい父のことは大好きだった。
それに、父の医師仲間や患者さんたちがみんな
「メリディアナのお父さんは本当に腕がいい医者なんだよ」
と褒めてくれるのが嬉しかった。
五歳になるころには、父がどういう人なのか、大体理解していた。
オーリウィック侯爵家の次男に生まれ、かなり高度な教育を受けたこと。
魔法医師の資格と魔法医学博士の学位を同時にとったこと。
成績優秀のため王室の侍医にスカウトされたこと。
だけど、できればたくさんの患者を診て医療魔法の研究を進めたかったため、スカウトを断って庶民の居住区に診療所を開いたこと。
それで父親に激怒され、絶縁されてしまったこと。
ただ、それでも腕の良さと知識・経験の豊富さは王宮でも買われているらしい。
定期的に出かけるのは、なんと王宮で王室の方々に講義をしているのだそうだ。
「おとうさん、すごい! おうさまや、おうじさまにもおしえているの?」
「ああ、そうだよリディ。今は王太子殿下に、医学の歴史や国民の健康事情、医療魔法の研究なんかについて教えているんだ」
「すごいすごい! おうたいしさまってどんな人?」
「リディの三歳上だからまだ子どもだけど、とても賢くてしっかりされている方だよ」
「そうなんだ……おべんきょうもできるの?」
「そうだね、とっても優秀だよ」
「へぇ……! そうなのね!」
それから私は、父がお城に出かけるたびに
「ねぇねぇ! おしろってとってもひろいの!? まよっちゃう!?」
「おうたいしさまはどんなごほんがすきなの!?」
などと根掘り葉掘り聞くようになった。
今振り返れば恥ずかしすぎる。
当時の私はミーハー心でいっぱいになっていたのだろう。
父から断片的に教えてもらう王太子様の情報をもとに、どんな人なのか想像して妄想して、絵本に出てくる素敵な王子様や、冒険物語に出てくるカッコいい王子様と重ねていた。
一方で、そんなとっても偉い人には、きっと一生お会いすることはないだろうとも思っていた。
六歳の春。
私は、平民の子どものための初等学校に通うようになった。
ある日の放課後。
友達と遊んでから家に帰ってきたら、診療所の前に見知らぬ馬車が停まっていた。
(おきゃくさん?)
それにしても、大きくて、見たこともないほどピカピカな馬車。
小さなころにおとぎ話の本を読んで想像した王子様の馬車より、ずっとかっこよくて素敵だった。
「お父さん! だれが来ているの!?」
ついワクワクしながら診療所に駆け込んだ……ら。
そこにいたのは父ではなく、見たことのない男の子だった。
「え……?」
(……だれ……?)
従者四人を従えた、私より年上の男の子。
きりっと整った顔立ち。
それ以上に印象的な、綺麗で鮮やかな青の瞳。
息をのむほどの気品、凛とした雰囲気、目が離せなくなるオーラ。
自分の知っている周りの子どもたちとは全然違う。
それに加えて、相当いい馬車、上等な身なり、立派なお仕着せの従者が複数。
(この男の子、たぶんとっても身分が高い人だ)
そう察すると、体に緊張が走った。
どうにか精一杯の笑顔をつくる。
震える手でスカートをつまんで見様見真似のカーテシーをした。
「こ、こんにちは。
よ、ようこそいらっしゃいました。
サリエル・オーリウィックの娘メリディアナと申します!」
(大丈夫かな……何かまちがってない? 失礼なことしちゃってないかしら?)
バクバク跳ねる心臓。
貴族の家の子なら、こういう時、パッと正しい挨拶ができるのかな。
内心あわあわしながら、顔を上げたとき、男の子がわずかに微笑み、見とれるほど美しいお辞儀をしてみせた。
「こちらこそお邪魔しています。素敵な名前ですね」
その時、父が「ん? ああリディ、おかえり」と奥から本を抱えて出てくる。
口から心臓が飛び出しそうな私は、思わず父に縋りついた。
「ね、ど、どうしたのお父さん…!」
「今日の講義で紹介した本をお貸ししようと思ってお連れしたんだ。殿下にはもうご挨拶したかい?」
「え……でん……え?」
「オーリウィック先生、挨拶は済みましたがこちらの自己紹介がまだです。初めまして。この国の第一王子シルヴァ・ギルバート・ミレニアム・オーヴェル・ジェレマイアです」
「……えええ!?」
「オーリウィック先生にはいつもお世話になっています」
私が焦りすぎて口がパクパクと空を切っている間に、父は当たり前のように王子様に本を渡した。
「はい、この本です。殿下なら問題なくお読みいただけると思いますが、もしわからないところがあれば何でも聞いてくださいね」
「先生、ありがとうございます。お借りします」
それでは、と簡単なやり取りののちに、生まれて初めて会った王子様は、私にもにっこり会釈して、馬車に乗って帰って行った。
(じつざい、するんだ、王子さま……)
馬車が去っていった方向を見つめながら、そんな率直で失礼な感想が、頭のなかに浮かんでいた。