29 選択
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「座ってくれ」
「……は、はいっ」
勧められたソファに腰かけて、私は部屋のなかを見回した。
(シルヴァ様のおうち……はじめて来た)
会場を出た私は、そのままオーリウィック邸に帰宅……ではなく、シルヴァ様のお館に連れていかれた。
かつて王太子だった時は、シルヴァ様にはまるごとひとつ離宮が与えられていたけれど、廃嫡後それは取り上げられて、護衛も従者もなく、学園の寮でお一人で暮らすことになった。
このお館は、シルヴァ様が去年ご自身の貯金で買われたものだ。
以前は王宮で働いていたという、高齢の男女の使用人夫婦と、公務のための秘書だけを雇っている、つつましい暮らしをされていた。
運ばれてきた温かいレモネードを口にして、一息つく。
「……こんな形になってしまって悪かった。君の意思も何も聞かず」
「い、いえ!」
「ただ、あの場で撤回させないとそのまま既定路線にされた。聖女という地位は栄誉ではあるが、力を教会に搾取される面もある。行動も制限される。それは君の本意ではないと思った」
シルヴァ様のおっしゃることはわかる。
あの場で私は何もできなかった。
魔法医師としての技術があっても、魔獣を倒す力を持っていても、あの場では役に立たなかった。
私はシルヴァ様の機転と言葉に守られた。
でも、そのせいで、シルヴァ様は……。
「それに、俺は」
「あ、あの! 実際に結婚しなければ大丈夫ですよね!?」
「……?」
「婚約だけなら大丈夫ですよね。実際に結婚しなければ、シルヴァ様が王位継承権を奪われることはありませんよね……?」
国王陛下とシルヴァ様が本格的に対立してしまったとしても、可能性を断ちたくない。
一度婚約した令嬢が婚約解消ということになると名誉は地に落ちるそうだけど、私はもう悪評には慣れているのでかまわない。
それに、いまの義父なら、地位が王政のなかで簡単に奪われるとは思えない。義兄の将来も磐石だろう。
……ああでも、義姉の結婚には影響が出るのだろうか?
「……結婚自体をしたくない、君の意思はいまでも変わらないんだな」
「あの、そ、そうです。私は官僚になって、仕事だけを……」
「他の誰とも?」
「は、はい」
「後悔はしないか?」
「……ない、です。ありません」
自分の道を自分の手で切り開きたい。
その意思はいまでも変わらない。
ただ自信が大きく揺らいでいるのだ。
自分の力がどれだけちっぽけか、思いしらされたから。
「…………この館に連れてきたのは、婚約済みだという主張を疑わせないためだ。君についていた護衛は王の密偵でもあった。王宮を出てこの館に着いたことも、国王陛下の耳にすぐに入るだろう」
「は、はい」
「君の侍女に、必要なものを邸に取りに行かせている。客室の支度もいまさせている。
……今夜この館に君が泊まった事実があれば、貴族たちはもう、君と俺をそういう関係だとみなす。実際には何もなくてもな」
説明され、息をのんだ。
いつも変な言い寄られ方をするせいで感覚が麻痺していた。
貴族たちの性倫理は、本来そうなのだ。
「有り体に言えば『醜聞』だ。そうすれば聖皇庁と王家が君を諦める可能性は高くなる。引き換えに、君はさらに悪評にさらされることになり、他の男と結婚することは非常に困難になるだろう」
それは……悪評を除けば私にとっては願ったり叶ったり、ではある。だけど。
「恐いか?」
「……………………」
シルヴァ様にとっては?
これはシルヴァ様の将来を奪うことにはならないの?
婚約解消だけならまだしも……成人前の令嬢に手を出したのに捨てたという悪評になれば……王位継承権が残っていたとしても、シルヴァ様の将来が閉ざされるんじゃ?
私はそれが恐い。
このままシルヴァ様に甘えて良いの?
しばらく考え込んでしまった私の顔を、気づけばシルヴァ様が覗き込んでいた。
じっと見つめられている。
どうしよう。結論が出ない。
「………………やっぱり、やめよう」
「!」
シルヴァ様は立ち上がる。
ひどく沈痛な面持ちで、端正なお顔が陰を帯びていた。
「すまなかった。俺は冷静ではなかったようだ。君の邸に連絡を入れて、今すぐ馬車で送ろう」
「シルヴァ様……?」
「婚約は俺が侯爵を脅したとでも言えばいい。もっと良い方法を改めて考えよう。こんな強引な嘘じゃなく」
「でも。そんなことをしたら────」
それこそシルヴァ様の評判に関わるのでは、と言おうとした私の言葉を男性の声が遮った。
「やっぱりそういうことだったのですね、兄上」
息を切らした様子で部屋に入ってきたのは、セオドア殿下とルーク殿下だった。




