18 【過去】セオドアの出会い
***
「テオ、生きてる?」
死にたい。
会議室の円卓に突っ伏して、どれぐらい時間がたっただろうか。
まるで虫の死体でもつっつく子どものように、弟が私セオドアの頭を指でつついてきた。
「……誰か私を殺してくれ……」
「え、やめて。テオが死んじゃったら俺、次の試験どうすればいいの?」
試験勉強ぐらいそろそろ一人でやれ、と言ってやりたかったが、口も身体も動かない。
好きな女性からの『最低』の一言が、重くのしかかる。
「……さっきのはテオが悪いと思うけど。
でもさ……そもそもテオが置かれてる状況がおかしいんだよ。自分の兄弟を裏切った女とか、誰が結婚したいんだ」
私への乗り換えが、アナスタシアの意思ではなかったことはわかっている。
傍目にもわかるほど彼女は、兄上のことが大好きだったのだから。
私もルークも、三年前無理矢理決められた婚約に拒否権はなかった。
それにしても。
「……性欲だと、思われていたのか……」
これがかなりショックだった。
「あーうん……学園の中じゃ『ピンク髪の尻軽』って扱いだから、そういう感じで男に寄ってこられることが多くて嫌気がさしてるんだって。レイチェル先輩が言ってた」
「貴様……いつのまにレイチェル嬢を情報源に……」
「将を射るにはまず馬からっていうでしょ。義姉に親切にして彼女経由で良い印象を与える作戦」
まぁあまりうまくいっていないんだけど、とルークは肩をすくめる。
「いい加減帰るよ、テオ。ちょっとー、みんな手を貸して」
ルークがかけた声に、廊下で待機していた護衛たちが近寄ってくる気配。
脇の下に屈強な男の腕が入り、猫の子のように無理矢理立たされる。
どうにか、床を踏みしめた。足になけなしの力を入れて、歩き出す。
「……悪い」
「全然。あと同情して手を緩めるとかしないから」
「だろうな」
「メリディアナを射止めるのは俺だから」
「……いやだ」
「そ。じゃ、がんばろ。とにかくシルヴァに取られるわけにはいかないよね、絶対」
兄の名を聞いて、あの決闘の日の、駆け出す兄の姿が脳裏に鮮やかに浮かんだ。
立て続けに起きる異変にパニックになり、硬直してしまった私を尻目に、フィールドまで駆け下りたシルヴァ兄上は魔法防壁の一角を無効化し、メリディアナを襲おうとしていた亜竜を消し去った。
物心ついたときからいつも痺れるぐらいかっこよくて、ずっとずっと憧れで、同時に何一つ勝てなくてその差に打ちのめされてきた、兄の姿がそこにあった。
一方で、王子として成すべきことを何もできなかった私。
あの時兄上がいなければどうなったか。
きっとメリディアナは、私の目の前で……。
(────勝てない。兄上には何一つ)
わかってる。
でも、諦めたくても諦められない。
ずっと好きだった。
アナスタシアも……そつなく完璧な未来の王子妃を演じているけれど、ふとした時、火傷しそうなほど焦がれる視線を遠くからシルヴァ兄上に向けている時があった。
私とアナスタシアの婚約に、幸せなんてかけらもない。
だけど、突然目の前に、二度とはあり得ない好機が巡ってきた。
いや、好機と呼ぶのは不謹慎かもしれないが。
しかしこれを逃せば、きっと好きな女性と結婚することは永遠にできないのだ。
(……国王陛下は確かに約束してくださった。私かルークがメリディアナの心を射止めれば、結婚させてくださると)
アナスタシアには申し訳ないけれど、この機会をどうしても逃せない。
***
私がメリディアナ・オーリウィックと出会ったのは、五年前の春だった。
「────お手伝いしましょうか?」
城の中庭の草を掻き分けていたら突然声をかけられ、心臓が止まるかと思った。
「メガネ、お探しなんでしょう?」
可愛らしくもどこか一本筋が通ったような、張りのある声。
眼鏡なしでは視界はぼやけていて、顔もわからない。
相手も子どもだろう。十二歳の自分より、たぶん幼い。十歳ぐらいだろうか。
長い髪、デイドレスのようなシルエット。
女の子のようだが……髪のあたりがピンク色だ。こんな髪の人間がいるだろうか。
私の前にしゃがみこんでいるけれど、表情もわからない。
「……あ、いや……その……」
当たっていたけれど、手伝ってほしくはなかった。
いまの自分の状況を人に知られてしまったことが恥ずかしくてたまらなかった。
「……ちょっとメリディアナ、私たちから離れちゃダメだって言ったじゃ……ええ、殿下!?」
最悪だ。さらに人の声が……しかも、聞き覚えのある声。
オーリウィック侯爵家のレイチェル嬢の声ではないか。それも侍女も連れてきている……?
どうしてこんな時に……。、
「で、殿下! ご機嫌うるわしゅう……あの、義妹が何かご迷惑を?」
「お義姉様。すみません、王太子殿下に伝言をお願いできませんか」
「え? 待って、どういうことなの」
「はい。セオドア殿下の護衛や女官が、持ち場を離れているようなので確認していただきたいと」
(…………!!)
かああ、と顔が熱くなる。
この異常な状態を知られることがたまらなく恥ずかしかった。
レイチェル嬢が「で、殿下、し、失礼いたしますっ」と去っていき、侍女もどちらに付くか迷ったあげくレイチェル嬢を追っていったのを見送って、ピンク髪らしき女の子は再び私の前にしゃがみこんだ。
「探しましょう、メガネ」
レイチェル嬢を義姉と呼んだ。
ということは、噂に聞いたオーリウィック家の養女か。
シルヴァ兄上の恩師の娘だとか、百年ぶりに生まれた光の魔力の持ち主だとか。
その謎めいた出自も含めて王宮の噂雀たちがかしましく話題にあげていた。
「……もういい」
「よくないでしょう。そんなお顔をなさっていては、王太子殿下が悲しみますから」
「……シルヴァ兄上だって……」
きっともう私のことなんてどうでも良いと思ってる。
こんなに愚図で要領が悪くても、身分だけは王子だから。
魔力無効化障害という体質のせいで敵対派閥からのプレッシャーを受けている兄上にとって、第二王子の私は、王太子の地位を揺るがす存在だから。
たとえその第二王子が、仮にも王子だというのに女官や護衛たちにいじめられる、情けなくてみっともない少年でも……。
────本当に、セオドア殿下は何もおできにならないのですね。本当に王太子殿下の弟君なのですか?
────わたくしたちは殿下のことを思って申し上げているのですよ。みんな本当は王太子殿下にお仕えしたかったと言っています。こんな王家の恥のようなお方ではなくて。
────今まで甘やかされてきたのでしょうな。王家の未来を担うにふさわしく、鍛えて差し上げねばなりませんので。これぐらいは自力で解決なさってください。
────王太子殿下も、セオドア殿下のような弟を恥ずかしくお思いですよ。
女官や護衛や家庭教師たちの言葉を思い出して沈んでいたら「悲しみますよ、シルヴァ殿下は」と少女が言った。
「メガネ、一緒に探しましょう?」
「しかし……こんな広いところでは……」
ぼんやりとしか見えない。どうやって見つけ出せばいいのか。
「メガネには殿下の魔力が付着していますよね。なのでたぶん大丈夫です」
「……え……」
少女は両手を前に?差しのべて「〈魔力感知〉」と唱えた。
(……魔力感知魔法……?)
子どもが使えるものではない。
大人より魔力の多い私だって使えない。
(え……?)
なのに、彼女の手から無数の光の糸が延び、瞬く間にこの広い庭園を埋め尽くした。
(─────何なんだ、この子は?)