ランチタイムのパートタイマー
せわしないランチタイムが終わり、三日月亭の店主とパートの女性店員は、店内の奥まったところにあるテーブル席で、賄いのクロワッサン・サンドを頬張っていた。
「ローストポークのクロワッサン・サンド、すっごく美味しいですね」
「ハニーマスタードソースを合わせてみたんだけど、どうかな?」
「バッチリです」
「それじゃ、明日の日替わりクロワッサン・サンドの具材はローストポークで決まりだね」
マスターは自分の昼食を平らげると席を立ち、マグカップに入ったカフェオレを持って戻ってきた。
「僕は調理場でティータイムの準備と明日の仕込みを始めるから、サツキさんは夕方までゆっくりしていってね」
サツキと呼ばれた女性店員は、マスターの言葉に申し訳なさそうな顔をする。
「……本当に、ここで作業させてもらっちゃっていいんですか?」
「もちろん。家じゃ落ち着いて描けないんでしょ?」
「はい……。同居を始めてからは、どうしてもお義母さんの目が気になっちゃって……趣味に時間を使うのが難しくなっちゃったんですよね。でも、ランチタイムだけ手伝って、あとは夕方までここで同人誌の原稿を描かせてもらうなんて、何だか申し訳ないです……」
「パート代は働いてもらった分しか支払っていないし、ランチタイムの後は閑古鳥が鳴いているから、気にせず寛いでいって。それに、『ランチタイムだけ』っていう条件で働いてくれる人なんて滅多にいないから、こっちも助かっているんだよ」
マスターにそう言われたサツキは、ようやく安心したように表情をゆるめた。
食事を終えたサツキは、早速原稿の作成に取り掛かる。
調理場の方から聞こえる微かな物音をBGMに、脳内にある映像を作品の中に落とし込んでいく。
サツキは学生の頃から友人と同人誌を作っていて、今ではそこそこの知名度がある。
売り上げだって、悪くない。
でも……。
義母との同居生活が始まってからは、思うように原稿を描くことが出来なくなっていた。
このままでは、活動を続けていくことは難しいかもしれない。
サツキは原稿を描く手を止めて、大きなため息をついた。
そこへマスターがやってきて
「大丈夫?」
とサツキに声をかけながら、カフェオレのお代わりを注いでくれた。
「あ……はい。ありがとうございます。おかげさまで、原稿の方はもう少しで描き上げられそうなんで、大丈夫です」
「サツキさんの方は?」
「え?」
「原稿は大丈夫でも、サツキさんが大丈夫じゃなかったら、うちの店は困っちゃうからさ」
「ランチタイムしか手伝っていないのにですか?」
「そうだよ。うちの店では、ランチタイムが一番の稼ぎ時だからね」
「……じゃあ私、もっと頑張らなきゃですね」
「これ以上は頑張らなくていいよ。今のままでも十分に助かっているから」
マスターの言葉を聞いたサツキは、グッと歯を食いしばった。
その表情を見たマスターが、慌てた様子でサツキに謝る。
「ごめん。何か気に障るようなことを言っちゃったかな」
「違います。弱ってる時に優しい言葉をかけられたから、泣きそうになっちゃって……だから今、泣かないように頑張って歯を食いしばってるんです」
それを聞いたマスターは、顔をくしゃくしゃにして笑い出した。
「サツキさんは、根っからの頑張り屋さんなんだね」
「もしかして、バカにしてます?」
「少しだけ」
「ちょっと!」
サツキが抗議の声を上げると、マスターは
「ごめんごめん」
と言いながら、奥の調理場へと逃げ出した。
サツキは気を取り直して原稿の続きに取り掛かり、キリのいいところまで仕上げると、荷物を片付けて席を立つ。
「マスター、私そろそろ帰りますね」
サツキが調理場に向かって声をかけると
「ちょっと待って。よかったらこれ、持って帰って」
と言って、マスターはサツキに紙袋を差し出した。
中を見ると、色とりどりの小さなクロワッサンがいくつか入っている。
「わぁ、可愛い。これ、ティータイム用のミニクロワッサンですか?」
「うん。まだお客さんには出したことない試作品なんだけど、味見をして感想を聞かせてくれないかな」
「分かりました。それぞれの色ごとに味が違うんですか?」
「そうだよ。種類を増やすと手間もかかるし、材料費も上がって価格に上乗せしなくちゃいけなくなるから、メニューに入れるかどうかはまだ決めてないんだけど……娘が『早くティータイムの新メニューを考えなさい』ってうるさくてね」
「ヤヨイちゃん、今は中学生でしたっけ?」
「今年の春から高校生になったよ。反抗期が終わって、ようやく口をきいてくれるようになったと思ったら、今度は『ああしろこうしろ』って、口うるさいんだ」
マスターは文句を言いつつも、どこか嬉しそうだ。
「構ってもらえるうちが花ですよ。それじゃ、このクロワッサンは遠慮なくいただいていきますね」
マスターから受け取った紙袋を大切そうに抱えたサツキは、焼きたてクロワッサンの温もりを肌に感じながら、弾むような足取りで店を後にした。