僕らの秘密の近道
最初はちょっとした変化だった。和也君の成長が異常なほど速くなったのだ。成長というより老化というのが適切だろうか。高校生にしては身長も高めで、少し大人びた風貌の和也君だったが、顔には傍から見てもわかるような小皺が増え、髪には白いものが混じり始めた。病気ではないかと疑い、一度、病院で検査をしてもらったようだ。確かに肌年齢は10歳ぐらい老化していたが、それ以外は異常がなかったという。受験勉強の疲れもあるのでは、とあまり重く見ていなかったようだ。和也君は勉強熱心だったのだ。
和也君は学校から自転車で片道40分かかる集落に住んでいた。その通学経路の途中に僕と僕の幼馴染の玲子の住む村が位置していたこともあって、部活がないときやたまたま帰宅時間が合った日には、三人で一緒に帰っていた。田舎道で交通量が少ないため、自転車で横並びになって、のんびり雑談しながら帰宅したものだ。それが三年生になって部活も引退し、受験勉強に本格的に取り組むようになると、和也君は近道を通って帰宅するようになった。その道の入り口は僕と玲子の住む村の手前にあり、そこを通れば、20分ほどで帰宅できるという。
「俺、近道使うことにするわ。勉強時間とりもどさないとな。」
当然のことながら、そこは本来、通ってはいけない場所だった。入り口には「この先、行き止まり」の標識が出ていた。僕も途中までは進んだことがあるのだが、その先には現在使われていないトンネルがあった。車一台が通れる幅しかない小さなトンネルの手前に大きな岩が置かれ、「立ち入り禁止」という文字が赤いスプレーで書かれていた。入り口に鎮座した岩のため、車は侵入できないが、岩の横の隙間から、人や自転車は通ることができそうだった。それでも気味悪がって、近づく人はいなかった。トンネルまでの道路のアスファルトは老朽化してひびが入り、そこから丈の長い草がはみ出していた。道端に生えた雑草は道路まで葉を垂らしていた。トンネル内は明かりがないため、昼間でも真っ暗で、闇の中に得体の知れない獣が潜んでいるかのような不気味さがあった。
和也君がその近道を通って通学するようになってから、1カ月ほど過ぎていた。僕は和也君に訪ねた。
「本当に体調だいじょぶなのか?」
「全然平気。疲れてるよう見えるか?」
「なあ、あの近道通るようになってから、お前、なんか変じゃないか?」
「はぁ?オカルトかよ。俺は近道のおかげで、だいぶ負担が減ってるんだ。」
和也君はさらに1カ月、近道を使い続けた。相変わらず、体型こそ変わっていないが、皮膚と髪は、学校にもいる中年の先生たちと変わらなくなっていた。そして、まもなく、和也君は学校に来なくなった。体調不良だそうだ。
老化具合を見て、和也君が薬物か何かやっているのだろうと、クラスメイトたちは噂していた。あの真面目な和也君がそんなことするわけないのは僕がよくわかっていた。
僕はもちろんオカルトなんて信じていないが、あの近道はどこか怪しいと思っていた。通学時間を短縮するだけではない。まるで、歳を重ねること、つまり、老化をも速める、死への近道のようだ。
*
「ちょっと調べてみないか?」
ある日の帰り道、僕は玲子を誘って例の道を通ってみることにした。初夏の良く晴れた午後、照り付ける暑さに加え、響き渡る蝉の声が鬱陶しい。道路は生い茂った草木に囲まれて、先に進むのを躊躇わせるような雰囲気があった。
自転車を引きながら5分ほど歩くと、トンネルがあった。前に一度見たときと変わらず、赤いスプレーで「立ち入り禁止」と書かれた大きな岩があった。岩の横の隙間から、僕らは暗いトンネルの中にそっと足を踏み入れた。トンネル内に明かりがないが、目が慣れてくると、入り口から漏れてくる光により、辛うじて内壁を認識できた。しばらく進むと出口の明かりが小さく見えた。目測でトンネルの距離は、300メートルといったところか。
今はトンネルの中間付近だろうか。闇の中、空気に湿り気があり、居心地が悪い。何かはわからないが、薬品のような匂いがした。まさか、和也君はここで薬物をやっていたのだろうか。表情はよく見えなかったが、玲子もここに留まりたくないのか、そわそわしていた。
「ねぇ、早く出ようよ。私、ここ嫌だ。」
僕たちはトンネルを先に進んだ。トンネルの出口にも大きな岩が置かれていた。さらに歩くと、和也君の住む集落にたどり着いた。その後は自転車をこいで、家路に着いた。
自転車に乗って並走する玲子がこちらに顔を向けて、神妙な顔つきで言った。
「なんか、気味が悪い場所だったね。」
「ああ、結局、何もわからなかったな。ところでお前、今日、化粧してないのか? 顔が皺だらけだぞ。」
「ええ!?」
玲子は自転車を止めてリュックから急いで鏡を取り出した。もちろん冗談だ。揶揄ってみたくなっただけだ。僕たちはその後、無言で自転車をこぎ続けた。
*
その次の週ぐらいからだろうか。僕は同じクラスの貴子と付き合い始めていた。長くてしなやかな黒髪、玉のような白い肌を持つ清楚な女性は僕の好みだった。僕たちは4月に初めて同じクラスになり、学級委員会の活動で一生に過ごすうちにお互いに惹かれて行った。特に告白をしたわけではないが、受験勉強の合間を見て、度々、デートするようになった。和也は相変わらず、学校に来なかったし、僕の方は図書室で受験勉強をしたり、学級委員会の活動があったりで、もともとクラスが別だった玲子と帰宅することもほとんどなくなっていた。
夏休みに入る少し前だったか、朝、登校してきた貴子を見て、僕は目を疑った。和也君と同じ症状だ。彼女の顔には皺が増え、肌が弛んでいた。かなり厚化粧をしているのは見て取れたが、隠しきれていない。あの艶のあった髪の毛もパサついている。心なしか、歩き方もゆっくりだった。僕が近づくと、彼女は顔をそらした。その日の放課後、誰もいなくなった教室で僕は彼女に何がったか訪ねた。彼女は手で顔を覆いながら涙声で答えた。
「私、通っちゃったの。呪いのトンネルよ。なんあで、あたしだけなの・・・玲子さんはなんともないのに。」
「玲子に誘われたのか?」
「うん。玲子さんがすごく景色のいい場所があるから教えてあげるって・・・」
美術部に所属して絵を描いている貴子は自然の素朴な風景が好きだった。
「ごめんなさい、こんな姿、あなたにみせたくない・・・」
泣き崩れる貴子を僕は抱きしめた。僕は念のため聞いた。
「玲子はその日、マスクをしていたか?」
「うん、そう言えばマスクしてた。風邪気味だからって・・・」
貴子は次の日から家に引きこもってしまった。
僕は玲子を呼び出した。
「お前、何か知ってるよな。貴子のことだ。」
「えっ? 何のこと。彼女が何か言ってたの?」
「あのトンネルに彼女を連れて行っただろう!」
「あ、ああ、うん。彼女ね、秋の展覧会に向けて絵を描いててね、景色がきれいな場所がないか、っていうから、教えてあげようと思って、その途中で、そう言えば通ったね。」
「あそこが危険だって知っててか。」
「あんた、まだそんなオカルトみたいなこと信じてるの。それに、あの子さ、あなたが思ってるほど、品行方正じゃないよ。きっと薬物でもやってるんだよ。薬物って、毒を体に入れるようなものだから、体も老化していくんだってさ。」
埒が明かないと思った僕は次の休みの日の朝、トンネルの中を調べることにした。あまり一人で行くのは気が引ける場所だったが、不安よりも貴子をこんな目に合わせたものへの怒りが上回っていた。懐中電灯を持って進むと、トンネルの中間地点、薬物の匂いがした場所に行き着いた。僕はこの匂いを警戒していたので、念のため、手拭いで口を覆っていた。懐中電灯で辺りを照らすと、壁際に非常駐車帯として設けられたスペースがあることに気付いた。その奥、光の照らす先に、古びたドアが見えた。
ドアはきしんだ音を立てながらも開いた。階段が下まで続いている。足元に注意しながら、下りていくと20畳ぐらいの部屋に行きついた。壁際の棚に薬品の瓶や計測器が並んでいた。まるで科学実験の研究室のようだ。懐中電灯の光を床に向けたとき、僕は息を吞んだ。
白衣に包まれた白骨。かつては人間の姿だったものだ。それも複数ある。あまりここに長くいない方が良い。そう思った僕は引き返そうとして階段の方を照らしたとき、床に落ちているものに目が留まった。埃だらけの部屋の中で、それだけが最近持ち込まれたものであることは明らかだった。
見覚えのあるスケッチブック。貴子がいつも持ち歩いていたのを思い出す。貴子はあのとき、ここに入ったのだ。きっとある程度の時間ここにいたのだろう。まさか、閉じ込められたのだろうか。そして、この匂いを放つガスをたっぷりと吸い込んだ。
僕はさまざまな憶測をめぐらした。おそらく、ここに宗教団体か何かが極秘の地下研究所を作っていたこと、若返りの薬品でも作ろうとしていたが、何を間違ったか、老化促進剤ができてしまったこと、それが気化して部屋に充満したのを吸い込んだ研究者たちが老化して死に至ったこと、ドアからトンネル内にそれが漏れ出し、そこを通るたびにそれを吸い込んだ和也が少しずつ蝕まれていったこと。
そして、あの女。これを知っていて貴子をここに連れ込んだのか。景色を見せるなんて嘘だろう。怒りに気が狂いそうになった僕は、玲子を呼び出した。
*
夏休みに入る前日の午後、僕はトンネルの前に立っている。目の前で手足を縛られた玲子が足掻いている。僕は玲子を脅した。
「本当のことを言え、じゃないとお前をこのトンネルの地下の中へ放置するぞ。おまえも貴子と同じ目に合うんだ。」
「何よ、地下って・・・この前言ったでしょう!私は何も知らないの!」
僕は貴子のスケッチブックを玲子の目の前に突きつけた。
「これがそこに落ちてたんだよ。彼女がそこに行ったのは、お前と一緒だった、あの一回だけだ。お前、彼女を連れ込んだな。」
「知らないよ!あの子がその後にでもこっそり入ったんでしょう!」
「仕方ないな、これは復讐だ。俺は本気だぞ。」
僕は玲子の襟首をつかんでトンネルの中へ引きずり込んでいった。
「いやーー!ごめんさなさい、ごめんなさい。それだけは許してください。ほんとのこと言いますからあああ!」
僕は泣き叫ぶ玲子から手を離した。彼女は嗚咽を漏らしながらやっとのことで声を出した。
「だって、わたし、祐司のことずっと好きだったんだもん。わたしからあなたを奪った貴子を許せなかったの。ちょっとだけのつもりだったの、ほんとにちょっとだけあの女の美貌を奪ってやりたかっただけなの。あそこまでやるつもりはなかった。階段のところまで入って、すぐに出てくるつもりだった。なのに、あの女、スケッチブックを落としてさ、もたもた探し回っているから悪いんだよ。大切なものだからって。私もこれ以上あそこの空気吸わせるとやばいと思って、あの女の手をつかんで強引に連れ出したんだから。あのままだとあの女、生きてなかったよ。」
僕は玲子の頬を殴った。
「お前は、貴子を殺したも同然だ。死よりつらい仕打ちを与えたんだよ。お前も彼女と同じ苦しみを味合わないと釣り合わないよな。」
僕は泣き叫ぶ玲子の口にタオルを回して首の後ろで縛った。必死で何かを訴えようとする彼女の声はもはや届かない。僕は玲子をトンネルの中心に向かって引きずっていった。
中間地点に差し掛かろうとするときだった。背後から聞き覚えのある声がした。
「おい、祐司。彼女を許してやってくれ。」
和也だ。暗闇の中で顔はわからなかったが、間違いない。
「話は聞いていたよ。お前の怒りはもっともだ。でもな、これ以上、犠牲者を出したくないんだよ。どうか怒りを鎮めてくれ。お前の幼馴染だろう。俺たち帰り道であんなに仲良く話してたじゃないか。」
僕は和也の穏やかな声を聞いているうちに少しずつ気持ちが冷めて行った。玲子に仕返ししたところで、何の解決にもならない。僕は足を止めた。和也が縄をほどいて玲子を解放した。僕たちはトンネルを抜けて和也の住む集落の方向へ進んだ。
和也の姿は学校で最後に見たときと変わらなかった。白髪と顔の皺の中にも面影は見えた。その少し先の自動販売機で和也は三人分の缶コーヒーを買って、僕らに配った。僕らは日陰のベンチに腰掛けてしばらく下を向いていた。うるさく響く蝉の声に交じって玲子の嗚咽が聞こえた。
「ごめんなさい、ごめんなさい・・・私なんてことを・・・」
震える肩を和也に抱きかかえられた玲子は顔を手で覆っていた。和也が口を開いた。
「もとはと言えば、俺が悪いんだ。俺が近道なんて通らなければ。それに玲子にこの秘密を教えたのは俺だ。俺も自分をこんな目に合わせたものの正体を知りたくてトンネル内を調べていたんだ。先日、玲子にたまたま会ったとき、あの地下のことも話した。」
僕も答えた。
「俺もどうかしてたよ。大丈夫だ、もう玲子に仕返ししようなんて思わない。」
「トンネル内のことは俺たちだけの秘密にしよう。特に貴子さんには言うなよ。場合によって、玲子の立場が危うくなる。呪いのトンネルのままにしておくんだ。」
相変わらず泣き続ける玲子が震える声でつぶやいた。
「私、罪を償いたいの・・・」
「お前たちは若返りの薬を開発するんだ。俺と貴子さんを元に戻してくれ。お前たちができるいちばんの罪滅ぼしだよ。地下にあるサンプルが参考になるかもしれない。おれはここでずっと待ってるよ。」
翌年の春、僕と玲子は東京の大学の遺伝子工学と薬学系の学部にそれぞれ合格し、この村を離れた。その1年後、ようやく気持ちを取り戻した貴子は東京の美術専門学校に通うために上京し、僕と同棲を始めた。
*
それから10年の年月が流れた。夏休みに帰郷した僕は呪いのトンネルへと向かった。あいかわらず入り口の岩にスプレーで書かれた「立ち入り禁止」の文字、トンネル中央部の非常駐車帯には石が積まれ、その奥のドアを隠している。老化促進ガスはさすがに流れ切ってしまったようだ。匂いは消えていた。トンネルを抜けたところの岩に杖を突いた老人が立っていた。
「おい、あんた、ダメだろう。ここは立ち入り禁止だよ。」
僕は頭を下げて、もと来た道を引き返した。トンネルを抜けた僕はまぶしさに目を細めた。蝉の鳴き声が鬱陶しい。
残された時間は少ない。和也の寿命が来る前に薬を開発しなければ。どこかに近道はないのだろうか。




