2.夏の小茶会
俺の苦労のすべては、夏の小茶会から始まった。
イスヴェニア王国暦九九七年八の月に開かれたその茶会は、のちのち王国の歴史に大惨事として記されることになる。行かなければよかったと悔やんだ人間は、かなりの数いるはずだ。もちろん俺もその一人だ。それどころか、最大の被害者だと自負してる。そんな自負、できないほうがよっぽどよかったけどな!
「ねえ、兄さま、もしかして緊張してる?」
夏の小茶会に行く馬車の中で、ティリーが俺をのぞきこんできた。
夏茶会って省略されもするその催しは、王城で年に二度、貴族の子どもたちのために開催される。七歳から十四歳くらいの子どもが、交流のために集まるんだ。貴族の子女の大半は、八歳あたりでイスヴェニア王立学園初等部に、十三歳あたりで中等部に入学する。だからそのまえに顔合わせをしたり、もしくは学園生じゃない子どもが交流する機会をもてるように催されるらしい。
俺はカーティス伯爵家の長男ノアだけど、「大半」じゃないほうの人間だ。十三歳になってるけど、学園に通ったことはない。
夏茶会にだって今回が初参加だ。同年代との交流が皆無な俺を心配した両親から、「一度くらい出てみなさい」といわれて馬車に乗せられた。一歳下の妹のマチルダことティリーは、学園の初等部に通ってて、茶会に出たこともある。
この日まで、俺はたくさんいる貴族の子どもの一人でしかなかった。いや、魔法に関しては変わってるけど、それでもこのあとに巻きこまれた事件のことを考えたら、まだ普通の暮らしを送ってた。
「緊張? うーん、どうだろう。俺、おんなじくらいの歳の子といることがほとんどなかったからさ。ちゃんと話せるかなって考えてた」
「わたしとは、おしゃべりしてるでしょ。兄さまもわたしも、今日はお友だちをたくさんつくろうね!」
「そうだね、がんばろう」
夏茶会には父さまも母さまも来なくて、つきそってるのは護衛だけだ。だから自分たちだけでお出かけをしてる気分で、ティリーはずっとはしゃいでる。
俺とティリーは、黒髪青い目っていうところはおなじだけど、人にあたえる印象はきっと違う。ティリーはひとなつこくて朗らかで、いっしょにいると楽しくなれる。白い肌だって、俺みたいに生っ白くなくて健康的な色をしてる。元気がよすぎるところはあるけど、素直でやさしくて、俺の自慢の妹だ。
それにひきかえ俺は、小さいころから「塔」で研究ばっかりしてたから、社交性に自信がない。あんまり頼りにならない兄なんだよね。
「兄さまがきっちりした格好したの、ひさしぶりにみた。きれいでいいなぁ」
「俺が? ちがうだろ、ティリーだよ。ドレスも花のブローチも、よく似合ってる」
「えへへ。ありがと、兄さま!」
水色のドレスは、薄手の布がふわふわしてて愛らしい。胸元の白い花のブローチは涼しいかんじだ。
俺はティリーより少し濃い青の上着とズボンで、白いシャツに濃紺のタイをしてる。いつもは紐で縛ってるだけの長髪は、使用人が簡単に編んでくれた。
急にティリーが、「ねえ、まじめな顔をしてみて」ってねだってきた。だからがんばって、息を止めてキリッとしてみた。そうしたら、じっと見られたあとため息をつかれた。
「ほんっと兄さまって、『残念美少年』だよね」
「それ、どういう意味?」
「屋敷のみんながいってるの。兄さまって、魔法はすごいし、塔にずっといるんだから頭もいいでしょう。それに、ちょっと怒ってるかんじの顔をしてたら、怖いくらいきれいだし。でも、ほわーってしてる中味のほうが面に出ちゃってるんだって」
俺は頭をかしげた。みんなっていうのは、使用人とかだろうな。
「褒められてるのかな?」
「どうだろ? そういう兄さまだから好きなんだって、ニコニコしてたよ」
「なら、いいか。怖いっていわれるより、ほわっとしてるっていわれるほうが、かんじがいいよね」
「うん、そうだね!」
二人でうふふって笑ってるうちに、馬車は王城に到着した。
俺たちが案内された広間には、食べ物と飲み物が用意されていた。テラスから続く庭にもテーブルが並べてある。親やつきそいは別室に案内されたから、ここは本当に子どもたちだけで交流する場なんだな。
ティリーは、さっそく甘いもののあるテーブルをめざした。
「このケーキ、とってもおいしいですよ。あなたも、いかがです?」
ティリーが、どのお菓子をとろうか迷ってる女の子によそいきの口調で声をかける。二人はすぐにおしゃべりを始めた。さすがだな。俺、初対面の相手といきなり盛り上がるなんてできないよ。
感心して見てたら、またたくまに増えた人の輪の中に、いつのまにか俺も入ってた。もつべきものは、社交的な妹だ。
「君は彼女の兄上かい? お茶会は初めてかな」
まわりのおしゃべりをきいてたら、気のよさそうな男の子が話しかけてくれた。
「うん、そうなんだ。ノア・カーティスだ、よろしく」
相手も名乗ってくれて、おたがい笑顔であいさつした。彼はよくお茶会に参加してるそうで、前回ハンカチが原因で起きた騒動をおもしろおかしく話してくれた。
思えばこれが、十三歳の俺が他人と平和に過ごすことができた最後の機会だった。
俺がお返しに、魔法で失敗したときの笑い話を披露しようとしたとき、背筋がぞくっとした。
来る。
なにもわからなかったし、知らなかった。ただ、よくないものが降りかかってくるって、それだけを感じた。
「ティリー!!」
とっさに妹を腕に抱きこんだ。
得体のしれないなにかが襲ってくる。俺じゃ防げない。でも、ティリーはダメだ。俺の妹がひどい目に遭う? そんなの許さない。それくらいなら、こっちに来い。ティリーじゃない、俺だ。
俺に来い。俺が引き受ける。
俺だ!
強く思った。
いつの間にか、歯を食いしばって目を閉じていた。
まぶたを上げると、真っ暗だった。ケーキやお茶のテーブルも、ティリーやほかの子どもたちも、開け放たれた窓も風にそよぐカーテンもない。暗くて見えないんじゃなくて、なにもない。
ここには俺しかいないって、直感した。
なんだ、これ。どこだよ。なにが起きたんだ。
「ようこそ、少年」
声がした、というより頭の中に直接音が響いたようなかんじだった。
突然、目の前で光が弾けた。
目をパシパシさせた。光が、手のひらに乗るくらいのサイズの人のかたちになった。大人の女のひとだ。ふんわり広がる長い髪も体もドレスも、ぜんぶが光の濃淡でできている。こんなに小さいのに、恐ろしく美しいことがわかる。
目の前の存在が放つ、人間じゃ認識できないほどの「美」っていう感覚そのものに、俺は圧倒された。
「さて、どういうつもりだ?」
「なっ、なっ、なんだ、これ」
切れ長の大きな瞳が、いじわるそうに瞬いた。
「これは、おまえたちのいうところの、精霊だな」
「ヘアアッ、せーれー!?」
叫んだよ。
精霊は、自然の力が密になってかたちをもったものだっていわれてる。めったに人前に現れなくて、遊び好きで気まぐれで、ごく稀に契約を結んで人間に力を貸してくれることがある。王家の人間の一部は精霊契約を結んでるらしいけど、普通に生きてたらまずみることはない存在だ。
「もう一度問おう。少年の意図はなんだ」
「意図、って、なんの」
「ふむ。自分でなにをしているか、わかっているか?」
なにしてるって、べつになんにもしてないし?
首をかしげると、突然、突風が起こった。いやこれ、風じゃなくて魔力だな!? 強い魔力が吹き荒れて、めちゃくちゃに揺すられる。ひぃ、防護魔法を……張れない。えっ、魔法で防護壁が作れない!?
「ここでは、ヒトの魔法は使えない」
四方八方からすさまじい力に押されたり回されたりして、もうムリ吐くってなったとき、急に嵐が止んだ。
俺と精霊以外はなにもなかったはずの空間が、いまはぎっしり魔術式で埋まってた。魔法を発動させるための術式だ。
魔術式の密度に、頭が痛くなる。それをこらえて、空間に目を凝らした。俺は魔術式はけっこう知ってるはずだけど、空間を埋めつくすおそろしい数の魔術式が最終的にどういった魔法を発動させるのか、さっぱり読みとれない。
わからないっていうことにドキドキした。これ、もしかしてまったく新しい魔法じゃないか? この魔術式は、どんな魔法になるんだろう。
なんとか魔法の効果を読みとろうとしてたら、精霊が人差し指で俺の額を突いた。
「って!」
ピリッと刺激が走って、額を押さえた。
「ほう、それが少年の魔法か。ヒトにしては変わった使い方をするな。――なるほど、妹をかばおうとしたのか。そしてグラン・グランの魔法を引っぱった」
グラン・グランの魔法? よくないものがティリーに向かおうとしてたけど、あれは魔法だったのか?
「なあ、少年。妹を助けたいか?」
裂け目みたいな口が、ニッと吊り上がった。
わかってるよ? ぜったいこの精霊は、ロクでもないことを言おうとしてるんだよ。
「助けたい」
だけどさっきから俺は、なにかの期限が迫っていることをひしひしと感じててねっ。
俺のぜんぶの感覚が、早くはやくってあせってる。たぶん、この空間は長くもたない。そして、いま、ここでないと精霊と交渉はできない。
この機会を逃したら、あとがない。
ただの勘だけど、俺の勘は悲しいことにめったに外れないんだ。
「ふうん。私の質問に即答できるなら、そこそこの胆力はあるのか」
「そんなもの、ないです!」
胆力なんてないよ。この精霊の力は、俺なんかとは比べものにならないくらい強いってことがビンビン伝わってくる。
「力の違いがありすぎるから、身がまえる気にもならないだけです。あと、きれいすぎて神経がやられそうです」
「少年も、ヒトとしては最上級の美に属しているだろう」
まさか、そんなわけがない。もしかしたら、精霊の目に人間はみんなおんなじように見えるのかもしれない。
「会話できる程度には、私に耐えられるわけだ。それなら提案してやろう。妹を助けたいなら、私と契約すればいい」
「精霊との契約って、恐怖しかないんですけど」
「なんだ、これほどの力をもっているくせに臆病だな。グラン・グランが死んで退屈していたんだ。おまえは、あの女の魔法をおもしろく使えそうだ。だから、そうは悪くない条件で遊んでやるよ」
精霊の髪がどんどん伸びて、俺の左首に巻きついた。
「黒箱の魔法は、一人に一つ降りかかる。おまえは魔力が大きいから、魔法にかからずにすむ。だが、妹の分を引き受けることはできる。どうする?」
「ティリーの分は、俺が引き受けます。……ところで、黒箱の魔法ってナニ。というか、なにを話してるのかさっぱりわからないんですが」
「怖くて、わからないくせに、了承してから訊くのか」
「俺かティリーかなら、俺しかないし」
どっちかしかないなら、俺なんだよ。でも、なにがどうなるのかを訊かないままっていうわけにはいかないだろう。
「とにかく、なにが起きてるのかを教えてください」
「グラン・グランを知っているか」
「大魔法使いグラン・グランのことですか? 六、七十年くらい前に亡くなった人ですよね。ものすごくたくさんの魔法を作ったけど、かなりの数が隠匿された。いまもまだその半分も発見できてないっていわれてます」
グラン・グランは、俺にとっては昔の天才魔法使いの一人だ。歴史で習ったし、魔法関連の本でよく目にする名前だ。
でも、精霊にとっては違うのかな。精霊は、種類によっては、人間じゃ想像できないくらい長い時間を生きるっていう。そうだったら、グラン・グランがいなくなったのは、つい最近のことになるのかもしれない。
この精霊をみてたら、なんとなくそう思った。
「まあ、そうだな。そして今日、あの女の遺産の一つである黒箱がこじあけられた。よく知っている魔法の気配がしたからのぞいてみたら、正しい手順を踏まず無理に壊したせいで、中に入っていた魔法がゆがめられてまき散らされた。魔法は、近くの人間の魔力にとりついて発動するところだったが――」
精霊が右足を上げて、つま先で俺のあごをくいっともちあげた。顔を俺に近づけて口の両端をニイッと上げる。精霊のくちびるは、彫像みたいな完璧なかたちと大きさだ。それなのに、なぜか口が耳まで裂けて、その中に漆黒がみえた気がした。
「少年が、いまそれを妨げている」
「おれぇ!? 妨げたおぼえなんてないんですけどっ」
「妹に、グラン・グランの魔法が降りかからないようにしただろう? 少年は妹だけをかばおうとしたのかもしれないが、結果として黒箱に入っていたすべての魔法を自分の中に入れてしまった。私は、少年がなぜそんなことをしているのかに興味をもったから、おまえと魔法をこの空間に連れてきたわけだ」
ティリーに悪いものが来る、って思った。たしかに、妹じゃなく俺にしろって願った。でも、どうしてわざわざ俺と魔法を別の空間に来させたんだろう。そんな心を読みとったみたいに、精霊がつぶやいた。
「少年がいなければ、グラン・グランの魔法が一斉に発動しておもしろいことになっていただろうな」
「へえ、おもしろい魔法なんですね」
それはいいなって思ったら、精霊がうなずいた。
「暴走しているからなあ。かけられた魔法に耐えられない人間は、魔力も体も破裂しただろう」
「はれつした」
「跡かたくらいは残るかな? 血と肉片程度だが。そのあと帰依する先を失った魔法同士が衝突して、広間のある棟あたりは吹き飛んだか」
「それのどこがおもしろいんですか!」
「すべて瓦解するまではいかないのが惜しい。城には護りの魔法がかかっているからなあ。そうだ、だが少年、おまえがその気になれば、ここにある魔法に指向性をあたえて城を粉々にすることができる。やってみるか」
「ぜーったいにやりません!」
精霊を人間とおなじ感覚で考えたのが間違いだった。そんなのはおもしろくないって主張したら、精霊から「おまえ、つまらないぞ」って言われた。つまらない人間でいいです、平穏なのが大事です!
「いまの状況を知りたいといったな。おまえは黒箱の魔法を引きよせて、縁ができたというわけだ。さて、この縁をどうする?」
「魔法……って、いったいどんな」
この空間で、みちみちうごめく魔術式をみまわした。もしかして、どれだけの量があるのかわからないこの魔術文字が、文字が構成する魔術式が、みんな黒箱に入ってたグラン・グランの魔法なのか。
もう、不安しかない。
「なに、たいした内容じゃないさ」
くっくっと精霊が喉を鳴らす。
「むしろバカバカしいものばかりだ。楽しみにしてろ」
そうはいっても大魔法使いの魔法だよ。さっきの「おもしろい」発言もある。そんなものを楽しみにできるわけがない。
精霊が、足元を起点にくるんと上下に一回転した。
光の波が広がって、魔術式が震えたかんじがした。
「黒箱をこじあけたヤツは、かなり腕が悪かったようだ。致命的なゆがみが出ている。このままでも私には関係ないが、ふむ」
思わせぶりにことばを切るのはやめてください。俺の心臓がもちません。精霊はそれ以上なにも言ってくれなくて、しかたないから質問した。
「このままだと、どうなるんですか」
「おまえは、魔法を留めようとして、一時的に自分の身の内に束縛しただけだからな。そんなもの、もたないよ。この空間からおまえと魔法が放出されれば、束縛が解けて、さっきいったとおりの結果になる」
精霊がパチッと指を鳴らすと、光が四散した。それがまるで人の体がパチンと飛び散ったみたいに思えたのは、誤解じゃないだろう。
「ああ、本来はそんなことは起こらない魔法だぞ。これは、黒箱を壊して魔法をゆがめたヤツが悪い」
「それ、魔法をかけられた人は死ぬってことじゃないですか! バカバカしくないですって!」
「魔法の内容がバカバカしいだけで、魔法そのものが弱いとはいっていない。それに、おまえは無事だぞ。この魔法は、魔力が少なかったり抵抗力が弱い人間から先にとりつくからな。少年くらい耐性があれば、そもそも魔法がよりつかない」
「だからって、他の人が死ぬってきいて平気じゃいられないですって。あ、いや、俺が魔法をぜんぶ肩代わりしたらいいのかな?」
俺は死なないっていわれたもんな。だけど、精霊は意味ありげに口をつぐんだ。ティリーに降りかかった魔法を引き受ける覚悟はあるけど、ほかの魔法はどれくらいあるんだろう。
「……魔法は一つだけですか?」
精霊はなにも話さない。でもからかうような表情が、俺の「一つか、せめて二つや三つくらいであってほしい」っていう期待は叶わないと教えてくる。
「いくつあるんです?」
「知ってどうする」
「ええっと、人が死なないようにはできないんですか」
「命をおとさない程度に収めたいなら、魔法をなだめなければならないな」
魔法をなだめるっていうのが、どういうことなのかは想像できなかった。でもこの精霊なら可能で、俺にはムリなんだろう。そう感じる。
「あのぉ、あなたの力で魔法をなだめてもらえないでしょうか」
「自分ですればいいだろう」
「俺じゃできないでしょう。それくらいわかります」
「もし、できるとすれば?」
「あー、まあ……、やれるだけのことはするかと……」
精霊の手伝いをするくらいなら、しかたないかって思った。精霊がシャラシャラ笑うと、光の粒が広がった。
「それなら精霊契約だ」
精霊の髪の毛が空間いっぱいに広がる。毛の一本いっぽんが魔術式にふれて、彼女とつながっていくのが感じられる。
精霊が、歌うように話し始めた。それは俺との契約内容だった。
ノアに話しかけた少年は小茶会の常連。以前ここで出会った少女にひとめぼれして、口説くチャンスをねらってる。