狂人人形技師と迷いの森の人形館
僕の名前はアンディ・マルコシアス。
しがない人形技師をやらせてもらってました。
というのも僕は無実の罪で大罪人にされ、町を追放された挙げ句に、迷いの森に放置されるハメになりました。
ただ僕は人形のモチーフになりそうな女の人を観察し、後ろから髪の毛をハサミで少し頂こうとしただけなのに。なんでこんな目に遭うのか理解に苦しみます。
衛兵に森の入り口を見張られ、僕は逃げることは叶わず、迷いの森の中へ。迷いの森を進んでしまえば二度と出られない、深い霧に、方向感覚を惑わす花の香り、もう入り口が見えなくなり、僕は絶望しました。
人形、僕は人形を作りたかっただけなのに、どうしてこんな仕打ちを受けなくてはならないのだろう?泣きそうになりながらも僕はひたすら前を歩き続けます。そうするしか出来ることはありませんでしたから。万に一つも出れる可能性が無いとしても。
同じ様な木々、同じ様な風景が続く、頭がおかしくなる。森に入って何日経っただろうか?薄暗くて昼も夜も分からない。お腹も空いて意識が朦朧とする。もう駄目だ。
木々の一つにもたれ掛かり、ズルズルと座り込む。もう生きる希望も無いけれど、人形、ともかく美しく綺麗な人形を最後に見たかった。
ぼんやりと前を見つめる。すると薄らぼんやりと建物が見えた。死にそうな僕が見ている幻?
しっかりと目を開けてみる。眼前に広がるレンガ造りの立派な館。どうしてこんな所にこんな館が?
明らかに怪しいけど、もう四の五の言ってられない。僕は体の力を振り絞り、館に向かってヨロヨロと歩き始めた。
"ドンッ!!ドンッ!!"
「すいませーん!!」
呼び鈴が無いので右手で扉を叩く、硬い鉄の扉なので手が痛くなるけど、これだけ大きな館だ。大きな音じゃないと、中の人にとても伝えられないだろう。
"ガチャリ"
僕の願いが通じたのか、扉の鍵が開き。
"ギィイイイイイ"
鉄の扉がゆっくりと開いた。
「こんばんは、当館にご用の方ですか?」
扉が開いた先に現れたのは、白いドレス姿の少女。金髪の長い髪、完璧に整った顔、サファイアの様な青い瞳、透き通るような白くて綺麗な肌。彼女は僕が今まで見た中で一番美しい人だった。
「き、綺麗だ。」
思わず口に出てしまった。心臓の音が高鳴る、興奮してしまう。その肌に触れてみたい。そうして頭から爪先までじっくり観察し、彼女の精密な人形を作ってみたい。
「綺麗?私のことですか?どうもありがとうございます。」
丁寧なお辞儀。所作まで何もかも美しい。
「それでどういう御要件で?」
「はい、実は道に迷ってしまって。」
「あら、それならどうぞ当館に泊まっていって下さいな。」
「い、良いんですか?」
願ったり叶ったりである。何も命が助かったのが嬉しいだけじゃない。彼女を側で見れる機会が出来た事が嬉しいんです。
「はい、それではどうぞお上がりください。」
彼女の後ろに付いて、館の廊下を歩く。綺羅びやかな装飾、赤い絨毯、怪しく光るロウソク、そして彼女の後ろ姿。まるでその全てが一つの芸術の様です。そういえば彼女の名前も聞いてなかった。
「あの、貴方のお名前は。」
恐る恐る私がそう聞くと、彼女はコチラを振り返り、ニコッと笑ってこう答えました。
「ドロシーです。」
「ぼ、僕はアンディ・マルコシアスと言います。」
「どうです♪当館のお食事は?」
「と、とても美味しいです。」
二人でこじんまりした丸テーブルに座っての食事。てっきりバカでかい何十人にも座れる食堂に通されると思ったのだけど、小さな部屋で助かった。なんでも僕が落ち着かないだろうと、こういう部屋を用意してくれたらしい。その配慮が大変嬉しい。
料理は保存しやすい燻製料理ばかりだったが、こんなに美味しい燻製の料理は初めて食べた。
「すいません、燻製料理ばかりで、何分こんな場所に立っている館ですので、新鮮な料理は出せなくて。」
申し訳無さそうな態度まで美しい。後生なので髪を拝借できないだろうか?・・・落ち着け僕、まだその時じゃない。
「質問しても良いですか?」
「どうぞ。」
「どうしてこんな場所に館を立てたんですか?」
「館の主人である私のお父様が大変な人嫌いでして、それでこんな場所に館を立てたのです。もうお父様は亡くなってしまいましたが、遺言で館を守るように言われてまして、なので私はここに残って館の管理をさせて頂いてます。」
「そうなんですか?大変ですね。」
「いえ、私は生まれた時から、この館に居ますので苦労はありません。使用人達も居ますから寂しくありませんし。」
「そうなんですね。あの先程から使用人の方々の姿が見えないのは?」
「申し訳ございません。彼等はとても恥ずかしがり屋でして。アンディ様が望むなら出てくる様に申し付けましょうか?」
「い、いえ。結構です。」
この二人だけの空間を壊されたくない。部外者は不要だ。
夕食を食べ終わると、僕は一つの寝室に通された。
高そうな壷や絵、フカフカのベッド、床一面に赤い絨毯も敷いてあり、窓際には可愛らしい年代物の女の子の人形もある。
「ここがアンディさんに泊まって頂く部屋でございます。お気に召さなければ部屋を変えますが。」
「いえ、大丈夫です。こんな素晴らしい部屋に泊まれて光栄です。」
「それは良かった。シャワーとトイレはそこの扉を開ければありますので、分からないことがあれば、外の廊下を右に行って突き当りの部屋が私の部屋なので、いつでもいらっしゃって下さい。」
ご丁寧に自分の場所を教えてくれるなんて・・・ありがたい。
「分かりました。何から何まですいません。」
「いえ、久しぶりに外界の人と話せて楽しかったです♪では、おやすみなさい♪」
「はい、おやすみなさい♪」
ドロシーさんが静かにパタリと扉を閉める。一人だけになった部屋で僕は声も無く笑った。きっとさぞ良い笑顔をしていると思ったけど、鏡に映った僕は何故か邪悪だった。
シャワーを浴び、すぐにベッドに入りランプの火を消した。
そうして暗闇の中、彼女のことばかり考えていた。
彼女を見つめたい、彼女に触れたい、これは恋か?いや、僕は人には恋をしない筈だ。僕が恋をするのは人形、そのことを忘れてはならない。あまりに彼女が美しいので気が動転してしまったようだ。
夜も更けた。そろそろ起きよう。真っ暗闇の中、ムクリと起き上がった僕は、ポケットからハサミを取り出し、刃先を見てニンマリと微笑んだ。
ん?何かの視線を感じて、窓の方を見た。しかし、無論そこには人形しかいない。
「お前が、僕を見ていたのかい?」
思わず話しかけてしまったが、人形が話すわけないか。
さて、そろそろ用件を済ましに行くか。
ギィッと扉を開け外に出ると、廊下の明かりは消されて真っ暗だったが、夜目は効く方だ問題ない。
"シャキン、シャキン"
ハサミを鳴らしながら歩く。高揚感が湧いてきて魂の高ぶりを感じる。今だけは犯罪者なんかの気持ちがよく分かるなぁ。
暫く歩くと突き当りの部屋に辿り着いた。話によるとここがドロシーの部屋なのだろう。僕は生唾を飲み込みながらドアノブに手を掛け、バァン!!と勢いの良く扉を開けた。
するとどうだろう。暗闇の中から血生臭いが鼻を突き刺した。
おまけに肉の腐った匂いまでする。
「おえぇぇ!!なんだこれは!?」
吐き気がして、後ずさりしながら右手で鼻を覆う。
こんな所にあの子が居るのだろうか?
「どうなさいました?アンディ様。」
突然、後ろから話しかけられ。体が震え、心臓を手で鷲掴みにされた様な気分になった。この声はドロシーだろうか?
「すいません。その部屋は片付けがまだ終わっておりませんで。」
廊下に明かりがひとりでに灯る。彼女の美しい声が今は大変恐ろしく、後ろを振り向くことが出来ない。息が乱れ、心臓の音が高鳴る。体が危険信号を出しているのだろうが、今の僕には逃げ場が無い。
「こっちを向いて、顔を見せてくれませんか?」
怖い、嫌な予感なんてものじゃない。ガサゴソと何かが蠢く音が聞こえるんだ。確実に何かがいる。
「ねぇ、こっちを向いて。」
ま、まるで耳元で息を吹きかけられてるみたいだ。背筋が凍る。鳥肌が立つ。手に持っていたハサミが床に落ちた。完全に恐怖が僕を支配していた。
振り向けば、そこには地獄が広がっているだろう。それでも人間ってのは不思議なもので、好奇心がそれを上回った。
意を決して振り向くと、やはりそこは地獄だった。
大勢の小さな人形達が鈍器や刃物を握って、ギョロッとした目でコチラを睨んでいる。その真ん中で蜘蛛のように地を這って、ドロシーがニコリとコチラを見て笑っている。
「アンディ様、この子達が召使いです♪可愛いでしょう♪ウフフフフフフフ♪」
ドロシーの顔が反転してケタケタ笑う。あまりに猟奇的で狂気的な笑顔だ。人にしか見えなかった彼女は人形だったのだ。
「アンディ様、ごめんなさいね。私はあなたの血を頂きたいのです。でも良いですわよね?私が助けてあげなければ、どうせあなたはこの森で野垂れ死んでたんだし。」
ドロシーが言っていることは一つも頭に入って来なかった。
怖いから?それは違う。僕の中にすでに恐怖なんて感情は無かった。あるのは一つの情熱的な感情だ。
「美しい!!」
「はぁ?」
僕の心からの叫びにドロシーの反転した顔は困惑しているようだ。だが僕は続け様に叫んだ。
「君は人形だったんだね!!見抜けなかった!!本物の人間みたいだ!!いやぁ、素晴らしい!!」
僕は人形技師としては三流かもしれないが、人形好きとしてはドロシーの様な人形に出会えたことは幸運でしかない。
「はぁ、はぁ・・・そのきめ細やかな肌や仕組みと構造を見せて頂けませんか?まずは服を脱いで!!」
「あ、あなた気持ち悪いわね。」
ドロシーは僕に危険を覚えたのか、彼女は顔を元に戻し、這うのをやめて立ち上がった。あぁ、やはり立ち姿が素晴らしい。
「あなたみたいな変態の血を吸ったら、私の体にどんな不調があるか分からないわ。もう殺してしまおうかしら。お前たち、やってしまいなさい。」
人形達がジリジリと僕に詰め寄ってくる。冗談じゃない、運命の出会いをして早々に殺されてたまるか。
「待って!!取引しよう!!」
「取引?迷い人のアナタに何が出来るって言うの?」
「き、君は血が必要なんだろ?」
「そうよ。私は血吸人形。この綺麗な肌を保つのも、活動を維持するのにも人間の生き血が必要なの。まぁ、アナタのは吸ってあげないけどね。」
ドロシーは先程までの丁寧言葉をやめ、高圧的な態度になっている。今までは猫を被っていて、これが本性なのだろう。まぁ、性格などどうでもいい。彼女の美しさの前には他の全てがどうでも良くなってしまう。
それにしても血を使って動く人形なんて、どういう構造なのだろう?と、今はそんなことを気にしている場合ではない。
僕はこんな提案をした。
「君が血を吸う手助けをするよ。僕が人間達をこの館に誘い込む。」
「アナタ正気?私の為に同族を生贄に捧げるっていうの?」
「そりゃそうだよ。それがどうかしたの?」
ドロシーが生きるなら、たとえ万人を犠牲にしてもお釣りが来る。
「ア、アナタって本当にイカれてるのね。」
「そうかな?ただ君のことは好きだ。愛しているといっても過言では無い!!」
「・・・こんな人形にそんなこと言うなんて、とんだバカ野郎ね。」
彼女はそう言うと恥ずかしそうに少し頬を赤らめた。本当に完璧だ。こんな完璧な人形が存在するなら、もう僕が人形を作る理由なんか無いな。
「はぁ・・・良いわ。アナタを下僕として使ってあげる。有用で無いと判断したら即座に殺すからそのつもりでね。」
「ほ、本当かい?ありがとう!!僕は君の為に生涯を捧げるよ!!」
人生最高の瞬間である。愛しい人の為に尽くしていけるなんて僕はなんて幸せな人間なのだろう。
神よ、感謝する。
私の名前はライネス。職業はトレジャーハンターといったところだろうか?
迷いの森の館の噂は前から耳にしていたが、いざ辿り着いてみると、そこは完全な廃墟だった。壁は崩れ、ガラスは割れ、人の気配なんてまるで無い。
探索を続けると至る所に人形が転がっており、ある部屋にはいくつもの人骨が乱暴に放置されていた。
どうやらここで人間が殺されていたのは間違いないらしい。
更に探索を続けると、隠された地下室への入り口を見つけた。下に降りるとそこには棺桶が一つポツンと置いてあり、埃被ったその蓋を開けると、赤いドレスを着た干からびた少女のミイラが、大事そうに両手で一つの骸骨を抱えて横たわっていた。ここの館に住んでいた人だろ
棺桶をよく見ると少女の傍らには一冊の本が添えられており、私はその本を手に取り読んでみることにした。
本はとある男の日記の様で、内容は明らかに異常者のモノであった。
迷いの森に入って来た人を館に誘い込む様子や、その人が怯えて逃げ惑い殺される様子を鮮明に書いているかと思えば、少女の人形に対する愛の言葉を書いているページもあり、情緒不安定でイカれた男の日常が何十年にも渡って描かれていた。
狂気的な人間は今まで散々見てきたが、狂人というのは普通の人間らしい一面も持っていて、それがまたその人の狂人らしさを際立たせているものだ。
日記が後の方になると男は病魔に蝕まれたらしく、紙に血がこべりついている箇所も見受けられた。そして「ドロシー愛してる」とページ一面に殴り書きされているだけになり、それが暫く続くと、男はとうとう息絶えたのか、何も書かれていない真っ白なページが続いた。もう何も書かれていないだろう思ったが、最後のページ綺麗な文字で「私もアナタを愛していたわ」と書かれていた。
日記を棺桶に戻してミイラの少女を見る。乾燥してシワシワになっているが、整った顔立ちだ。これが日記に書かれていた人形のドロシーだろうか?だとすれば血を与えれば血の気が通い、再び動き出すのだろうか?・・・少し興味があるが無粋なことはやめよう。だって彼女の寝顔はこんなにも安らかなのだから。
正確な方角を指し示す特別なコンパスを確認しながら私は帰路に着く。結局あの館の物は何も持ってこなかった。金になりそうな物も無かったしな。
あの日記の男のしたことは、吐き気を催す程に邪悪で胸くそ悪い凶行でとても擁護できるものでは無かったが、歪んでねじ曲がっていたにせよ、そこには確かなドロシーに対する愛があったのでは無いだろうか?