9 ローズの鍛錬
カールが王城に出勤してから少し遅れ、ローズも王城にある騎士団訓練場へと向かう事に。
ここ最近、屋敷では自宅用として用意された簡単なドレスを着用していたローズは久しぶりに騎士服に袖を通している。彼女をよく知る者は「やはり騎士服が似合う」と口を揃えて言うだろう。
愛用の剣と槍を持って訓練場のドアを潜ると、騎士達の威勢の良い声が響き渡っていた。それを耳にしたローズは口角が自然と吊り上がってしまう。
「え? ローズ様?」
ローズがやって来た事にいち早く気付いたのは第一騎士団所属である年下の女性騎士だった。彼女は剣術の朝訓練を終えたところなのか、濡れたタオルで顔を拭いている際にローズを見つけて思わず声を上げた。
「おはよう。アランはいるか?」
「はい、あちらに」
広い野外訓練場の奥を指し示した女性騎士。ローズは彼女が示した方向へ顔をやり、目的の人物を見つけると礼を言って歩み寄って行く。
「おや? ローズ様?」
「久しぶりだな」
歩み寄ってきたローズに気付き、騎士礼を取るアラン。ローズの師といえども家臣には変わりない。既に強者へと至ったローズへ「教える事はない」と言っている事もあって、数年前から『師と弟子』から『姫と王家に仕える家臣』といった関係性の方が強くなっていた。
「任務には出れませんぞ?」
苦笑いを浮かべながら先読みするように言うアランだったが、ローズは「分かっている」とため息を吐きつつも訓練場で模擬戦を行う騎士達を指差した。
「混ぜてもらって構わんか?」
「構いませぬが……。公爵家の方は良いのですか?」
「ああ。許可は取っている。屋敷でマナーの勉強ばかりでは気が滅入って仕方がない」
腕も鈍るしな、と付け加えた彼女にアランはますます苦笑いを浮かべた。
「やはり、お辛いですか」
「辛いどころの話ではない。私は剣を振っている方が性に合っているとつくづく感じたよ」
「でしょうな」
大きなため息を吐くローズを見て、アランは彼女が公爵家に入って大人しく夫人生活を送るはずがないと予想済みだったようだ。
しかし、さすがは歳を重ねた家臣の一人。彼はローズの顔からフラストレーションが溜まっていると察したのか、早速彼女の要望に応え始めた。
「百人でよろしいですかな?」
「ああ、最後はアランで頼む」
「承知しました」
そう言い合って、ローズは準備運動を行い始める。アランは部下に指示を出しながらローズの相手となる百人を選ばせる。
二人の会話から15分後、訓練場にあった模擬戦用の場所にはローズと相対する男性騎士が木剣を持って立っていた。アランの発した開始の合図と共に、二人は剣を構え始める。
「行くぞッ!」
先に動き出したのは勿論、ローズだった。直線的で力を以って捻じ伏せる事を良しとする彼女らしいと言うべきだ。
剣を下段に構え、そのまま真っ直ぐ相手に向かう。ローズの実力と好む戦い方を知っているせいもあって、相手は初手から防御の構え。剣を中段に構えつつも、ローズの剣を受け止めようと考えているようだ。
「甘いッ!」
しかし、そんな事はローズにとって予想済みである。彼女は突撃の最中にすぐさま構えを下段に変え、地面に剣先を擦り付けながら相手の剣を下から掬い上げるように当てる。
相手の剣を絡み取るように手を捻って剣を動かし、見事相手の手から剣を弾き飛ばした。これで一人目は勝負あり。
「次ッ!」
最初の相手に使った時間は僅か1分程度。ローズとしてもまだまだエンジンが掛かっていない。次の相手を呼び、また勝負をして。どんどん相手を倒し、体が完全に温まってエンジン全開になったのは、最後に待ち受けるアランまで残り70人程度となった頃。
そうなるともうローズを止められる者は早々いなくなる。遂には最後の百人目となるアランまで順番が回って来た。
「全然鈍っていないようですが?」
「馬鹿言え。一ヵ月前の私だったらあと30分は早く終わっていた」
今まで相手になった騎士達も含め、全員がローズの腕が鈍っているなどと思ってはいまい。だが、本人としては結婚準備の期間から剣を振っておらず、その間に生じた怠けを感じ取って痛感しているようだ。
「やれやれ。……行きますぞ!」
騎士団総長であるアランの歳は今年で五十五になる。騎士としてはもう老齢で、前線では剣を振るわぬ歳であった。実際、戦になればアランは後方に作られた作戦本部等で策を考えるのが主になっている。
だが、ローズと相対する彼は歳の衰えなど全く感じさせない。
エンジン全開になったローズの剣を真正面から受け止め、鍔迫り合いになっても一歩も退かず。それどころか、鍔迫り合いの間でも涼しい顔をしながら剣の角度を変えて、ローズの剣をいなそうとしてくるのだ。
さすがは騎士団総長と言うべき相手。王国最強の異名は伊達じゃない。相対するローズの方が歳の甲に負けてしまいそうになる。
しかし、ローズもローズで負けていない。アランが年を重ねて得た経験と技術を駆使するのであれば、対するローズは若さと鋭い勘の良さが強みだ。
アランの表情から「何か仕掛けてくる」と感じ取ったのか、鍔迫り合いを拒否して間合いを取った。直後、ローズの居た場所にアランの蹴り技が空ぶった。
「さすがはローズ様。やはり鈍っておりませぬよ」
そう言って笑うアランだったが、ローズの方はヒヤリとして笑えない。
ルーベルト王国の剣術は極めると『何でもアリ』だ。剣と剣で戦っている最中に蹴りだろうが拳だろうが砂だろうが何でも使う。勝てば良し、を目標とした剣術を現代において百パーセント体現するのがこの男である。
「やはりこうでなくてはなッ!」
ビリビリと感じる緊張感からか、獰猛な笑みを浮かべたローズは再びアランへ突撃を開始した。
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「お疲れ様でした。ローズ様」
「うむ。楽しかったな」
アランとの勝負は結果から言うと引き分けだった。何度も打ち合い、間合いを取ってからの接近を繰り返しつつ、両者は蹴りもタックルも拳も駆使するが明確な決着は付かず。
次第にギャラリーが増えていった模擬戦であったが、誰も「ローズ様の剣は相変わらず鋭く、女性らしいしなやかな動きでアラン殿を追い詰める」との総評を口にした。
「少しは心のモヤは解消できましたかな?」
「ああ。助かった。だが、やはり剣を振る方が性に合うというのか変わらんな」
アランとの勝負をしてしまったからか、いつも以上にそう感じてしまうのだろう。やはりこの道は捨てたくないと彼女は口にした。
「捨てる……。ふむ。ローズ様は少し思い違いをなさっているようだ」
「どういう事だ?」
アランの問いにタオルで汗を拭きながら首を傾げるローズ。顎に手を当てていた老騎士アランは自身の考えを言い始めた。
「貴女様の剣は王国にとって非常に重要なものです。これは陛下もヴェルガ殿下も承知しているでしょう。ですが、お二人が問題視しておられるのはローズ様が戦で命を落とす事です」
これは家族を失う悲しみも勿論あるが、ローズが王女として血を残さねばならないという責務も関係する。王家に生まれた以上、政治や家の事に関して逃れられないのは必然だ。
「任務や戦には出れなくとも、家族を守る方法はございます。それは後進の育成です」
「後進の育成? アランのようにか?」
「まぁ、大枠で言えばそうでしょう。新人騎士の育成、訓練教官として腕を振るうのです。ご想像頂きたい。ローズ様の剣を継いだ騎士が何人も王国にいたとしたら?」
簡単に言えば王国騎士団の平均値を上げることだ。ローズ級の腕前を持った騎士が何人もいれば、それこそ最強の騎士団が誕生するだろう。
「しかし、王国は今や魔法に傾倒しているのではないか?」
ローズの言う通り、ルーベルト王国は魔法の開発と復活に注力している。部隊の仲間が言っていた話によれば、三つある騎士団と同じ程度の予算が組まれて金も人員も注ぎ込んでいるという話だ。
戦場で見せたカールの一撃必殺を良しとし、近接戦闘を主とする騎士を徐々に廃するのではないかという噂も聞こえていた。
「はっはっは! まだお若いのに爺のような事を言ってはなりませんぞ!」
だが、その爺にカテゴライズされる歳であるはずのアランは「頭の固い年寄り連中のような事を言うな」と笑った。
「時代は変わる物、剣も魔法も使えばよろしいではないですか。弓が無ければ魔法を使えば良い。剣が折れれば魔法で作れば良い。そんな時代が来ると私は思っております」
アランの言う通りだ。何も剣を全て捨てるわけじゃない。剣も魔法も、全て使えば良い。勝てば良し、勝つ為に全てを使う事こそ、ルーベルト王国剣術の真骨頂である。
ならば、魔法すらも使ってみせるのが王国騎士の新しい姿ではないか。アランはそう言ってローズに聞かせた。
「魔法で剣を、か」
「ええ。一つに囚われてはいけませんぞ。何事も柔軟に」
それはアランが幼き日のローズへ最初に教えた言葉でもある。勝つ為に、全てを利用せよ。己の身一つでは限界がすぐに来る。何事も柔軟に考え、自身の力と周囲の力を使えてこそ真の強者である、と。
その教えは確かにローズを高みに導いた。突撃を華とするローズであるが、彼女は剣だろうが槍だろうが武器は何でも使う。
ならば、魔法だって同じ事。物理的な武器だけじゃなく、幻想的で摩訶不思議な神秘をも取り込む時代がやって来たというだけの話だ。
「それに……。公爵家夫人として生活していても、見える事はございましょう。ローズ様の不得意とするダンスやマナーも役立つ日がきっと来ます」
加えて、さすが老騎士だと言うべきアドバイスを付け加えた。敬愛する王家の考えを尊重し、ローズに新しい目標と現状への活力を注ぐ言葉を授けて。
……決して、専属侍女からの報告を聞いて苦笑いを浮かべる王の顔を脳裏に思い描いたからではない。
「それと、私にも一つ目標が出来ましてな」
「なんだ?」
そう言って、アランはとても良い笑顔で笑う。
「私はローズ様のお子様を見てみとうございます。生まれた子が男子であれば剣を教えるのでしょう? 薔薇の剣を受け継いだ最強の男子の誕生は王国にとっても良い事でしょうな」
「わ、私の子か……」
自分が子を産んで母になる。その姿を想像してしまったのか、ローズは顔を真っ赤に染めた。その赤は決して鍛錬を行って火照ったからではない。
「はっはっはっ! 私も長生きせねばなりませぬ!」