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8 上機嫌な冷徹公爵


 翌日、カールはいつもと変わらず眉間に皺を寄せながら屋敷を出た。だが、彼の気分的には上機嫌である。


 なんといっても昨晩はローズと「たくさん」会話をしたからだろう。顔には出さぬが声音や足取りに上機嫌っぷりが表れている。


 それは長く付き合いのある執事長のブライアンくらいしか違いが分からない程度だが……。


 出勤時にカールを見送った執事長ブライアンの表情はいつもより頬が引き攣り気味だった。あの程度で上機嫌になってしまうのか、とも言いたげに。主の恋愛経験値が低すぎる事を再確認した次第だろう。


 ともあれ、本人は上機嫌なのは間違いない。城の廊下を歩く足取りも軽く、同僚や上司に朝の挨拶をする際もいつもより声に若干の張りがあった。


 職場でカールの雰囲気に気付いたのは親友のジャン。仕事を始める前に彼はカールの執務室を訪ねて「どうだった?」と問うと――


「たくさん会話をしてしまった」


「ほう」


 念の為に語るが、このカールが言う「たくさん」とジャンが思う「たくさん」は違うという事を知っておいて頂きたい。


「残念ながら酒の席には誘えなかったが、お前のアドバイス通りにしたらたくさん話せた。感謝する」


 相変わらずの表情であるが、カールの周辺には春の陽気が漂うような暖かさがあった。もう花でも舞いそうな勢いである。


「よかったじゃないか。まずは一歩前進だな」


「ああ」


 少し疑いつつも、本人が上機嫌ならば良いかと諦めに似た納得をして。ジャンとしても親友が小さくとも一歩進めたのならアドバイスの甲斐があったというものだろう。


「ところで、ベルトマン公爵主催の夜会は出席する事にしたのか?」


「まだ決めかねている。ベルトマン卿も気を使ってくれてな。殿下が嫌がるのであれば次回の茶会から出席しても構わないと言ってくれたのだが」


 ベルトマン公爵家とはリアソニエ公爵家と並ぶ王国二公爵家である。リアソニエ家と同格で昔から協力態勢を敷いてきた仲間というべき家だ。


 王家を支える事を命題とされた二公爵家は昔から独自の方法で王家を支えてきた。


 リアソニエ家は外国との外交を特に力入れてきたが、今代からはカールの才能を活かして魔法関連を主としている。外交に関しては、リアソニエ家の先代が病死した時点でベルトマン公爵家が王国経済に関する事と同時に担っているという状況だ。


 そういった事情もあってベルトマン公爵家の誘いとあらば、出席しないわけにもいかないのだが――。


「ローズ様はダンスが苦手……というか、そういった類の事は経験してこなかった方だからな」


 夜会にはダンスの時間がある。夫であるカールは問題無いがローズが問題だ。この夜会には王族も出席するし、公爵家夫人となったローズが出席すればダンスを踊らなければ少々体面が悪い。


 しかし、彼女の半生が騎士生活漬けだったが故に彼女はダンスが踊れないと第二王妃のサリスとヴェルガから情報が降りてきている。加えて、夜会でのマナーや公爵夫人としての振舞い等、まだまだローズには足りない物が多い。


 昼に開催される庭園での茶会であれば夜会よりも必要とされる作法は少ない。ベルトマン公爵は「ダンスの時間も無いのでそちらに出席してはどうか?」とも言ってくれていた。


「ローズ様に恥を掻かすわけにはいかないしなぁ」


「私は別に気にしないのだがな。殿下は騎士だ。騎士には騎士の振舞いがある」


 ローズを愛するカールはそう思っているようだが、しかしながら貴族社会というのは恐ろしい。こういった一つの綻びからどんな化け物(ウワサ)が誕生するか分からない。


 それによって傷付くのはローズだろう。カールとしてもそれは避けたいし、同じ命題を背負ったベルトマン公爵も気を使ってくれたのだろう。


「王城の試験を突破した超有能侍女が付いているという話だが?」


 ジャンの言う通り、ローズには王城で選ばれ抜かれた有能な侍女がついている。彼女であれば一から十まで必要な事を教えてくれるだろうし、足りなければ手配もしてくれるだろう。


「家で侍女からの報告は受けているが、私としてはあまり強要したくない」


 本来、休まる場所である家で辛い思いをするのは非常にストレスが溜まる。カールはそれを過去の経験から()()()()()()()。故にローズには同じ経験をしてほしくないと思っているようだ。


「相変わらずベタ惚れだねぇ……」


 その想いを口にすれば話も早かろうに。ジャンがため息を吐くのも当然だ。


「まぁ、でも、今回はベルトマン様の気遣いに頼るのが妥当じゃないかね。下手をすれば地方貴族共の餌になりかねん」


 数々の侵略を跳ね除けてきたルーベルト王国の現在は平和の一言に尽きる。王家は善政を敷いているし、民が飢える事もない。だが、獅子身中の虫がいないとも言い切れなかった。


 特にうるさいのは王国の地方に領地を持つ一部の貴族達だ。王家の目が届き難いのをいいことに、好き勝手している貴族もいる。騎士団の一部、情報部の噂では敵国と繋がっている可能性もある家すらあるとか。


 王家批判の材料を与え、王国が割れてしまう最悪の事態は避けたいというのが王都の本音だろう。


「まったく、どいつもこいつも。王国繁栄の為に力を尽くす事が貴族の在り方だろうに」


 カールは眉間の皺をいつも以上に深くして舌打ちまで鳴らす始末。


「人は欲深いものさ。清廉潔白なヤツなんざ存在していない」


 人の汚さを知るジャンは肩を竦めながらそう言った。


「そう、かな……」


 しかし、カールは立ち上がって部屋にある窓の外を見た。見つめる先はローズがいるであろう、王国騎士団の訓練場。あそこには正に清廉潔白と呼べる騎士がいるのではないだろうか。


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