7 両者実戦
仕事を終えたカールが帰宅してから1時間後、リアソニエ公爵家の屋敷では夕食が始まっていた。
本日のメニューは鶏肉のソテーとスープにサラダ、それとパンといったルーベルト王国では至って普通の料理が並ぶ。庶民も同じようなメニューを食べるが、公爵家との違いは調理法や使われる素材の違いだろうか。
当主であるカールがいつも通り食事をする中、ローズは侍女のマリーダからマナーに気を付けるようにと言われているせいもあって悪戦苦闘。
結婚前ならば鶏肉のど真ん中にフォークをぶっ刺し、口で直接噛み千切るところであるが……。マナー重視の食べ方となれば、ナイフを使わねばならない。
一口サイズに切ってから口に運ぶのがルールだ。当たり前だが咀嚼音も鳴らしてはいけない。
ローズの顔には「面倒だな」と相変わらず億劫に感じているような表情が浮かぶものの、言われた通りに食事のマナーを実践していた。
カールはそんなローズをチラリと見て、今がチャンスと思ったのだろう。
「殿下、本日は何をしておられたのですか?」
「ん? ああ……」
鶏肉をナイフで切る時、下にある皿に当ててはいけない。切った際に音を立ててはいけない。この注意点に意識を持っていかれていたローズの集中力が切れたせいか、小さくキィと音を立ててしまった。
鳴った瞬間、ローズが嫌そうな顔をした。「クソがッ!」と叫びそうな顔である。正直、カールが話し掛けたタイミングはあまりよろしくなかったと言えるだろう。
「茶を飲む練習だ」
ため息を吐いたローズがナイフとフォークを動かす手を止めてカールの問いに答える。恐らく、彼女は「どうせ答えても短い返答しかない」と思っていたのだろう。答えた直後、再び鶏肉を切ろうと手を動かそうとした。
「そうですか。……慣れませんか?」
だが、今日は違った。「そうですか」の後に続く言葉があった。ローズは動かしそうになった手にブレーキをかけて、少し驚いた表情をしながらカールの顔を見る。
「あ、ああ。やはり、この手の作法には慣れんな」
彼女の言葉にも驚きの感情が含まれていた。なんたって結婚以来、初めて行われた会話のキャッチボールの二巡目である。食事時に話し掛けられるという行為にも驚くが、今日はそれ以上の進展があったのだから。
「そうですか……」
しかし、そこで終わってしまう。若干、気まずい雰囲気が流れるものの、ローズの目の端に黙ってリアクションを取るマリーダと公爵家執事長であるブライアンが映った。
(何か会話を!)
(話を続けて! チャンス!)
両者は口の前で手をパパパッと動かしながらローズへジェスチャーを送る。本日訪れた変化に必死なのは使用人達の方であった。
ローズは2人のリアクションを見て、庭でマリーダと話していた事を思い出す。今が問うチャンスではないか、と。
「わ、私は鍛錬をしたいのだが……」
「はい」
「公爵家の庭で鍛錬しては体面が悪いと聞いた。ど、どうすれば良い……?」
ローズの問いに対し、冷徹公爵と呼ばれる所以の癖を出しながらカールは短く返事を返す。
ローズは相手の顔色を窺いながら質問を重ねた。彼女の予想では「体面を気にするのでNG!」と返ってくるのだと思っていただろう。
「私は特に体面など気にしませんが」
しかし、意外にも返ってきた答えはローズの行動を容認するものだった。
「え?」
返答に対して驚くローズだったが、カールは気にせず言葉を続けて……。
「ですが、そうですね。気になさるのでしたら、王城の訓練場に出向いてはどうでしょう?」
城で鍛錬したらどうか、と勧めてきた。てっきり、カールは騎士という職から身を引かせたい父と兄の意見を尊重するのかと思っていたようだが、どうやら違うのだろうか。
「良いのか?」
「鍛錬は構わないと思います。さすがに任務には出れないと思いますが」
任務には出ないのは当然だろう。部隊の処遇が決まっていない以上、仕方がない。そこはローズも理解できるところだ。
だが、彼女としては一種の自由を得たような気分になっただろう。億劫で面倒なマナー講義から脱却し、鍛錬で汗を流せるのはローズにとって嬉しい事だ。
「そうか、そうか! ありがとう、カール!」
嬉しさのあまり、ローズは満開の花のように笑って礼を言った。例え男社会に染まった女性騎士であっても、マナーがなっていないと貴族令嬢達に噂されようとも、ローズはとびきりの美人である。
彼女が嬉しそうに笑う顔からは、彼女が本当に心から喜んでいるのが窺える。その嬉しそうな笑顔は暖かな陽を浴びていきいきと咲き誇るひまわりのような、まさにローズらしい笑顔だった。
「い、いえ……」
その笑顔の直撃を受けたカールは顔を俯かせ、急に黙り込む。
「やはり私はマナーうんぬんよりも剣を振るう方が性に合う!」
「え、ええ……」
「剣を振るうと気持ちが良いのだ! 汗を流したあと、爽やかな風を浴びると気が晴れてな!」
「は、はい……」
気を良くしたローズは饒舌に語るが、カールは顔を俯かせたまま短い返答を返すだけ。先ほどまで順調に会話のキャッチボールが行われていた状況が一変し、カールの様子がどこかおかしい事に気付くローズ。
「んん?」
カールの顔を見れば、彼はいつもよりも眉間に皺を寄せて口に料理を運ぶ手の速度が速くなっていた。パクパクと無言で食事をして、全て平らげると急ぐように席を立つ。
「失礼、仕事が残っておりますので」
そう言い残し、カールは眉間に皺を寄せたまま急ぎ足で食事の席を後にした。
「何なんだ?」
急に態度が変わったカールに首を傾げるローズ。もしかして、気に障る事を言ってしまったのだろうかと疑問に思うが答えは出なかった。
「ああ、旦那様……」
一部始終を見ていた執事長のブライアンはローズには聞こえぬよう小さく言葉を口にしながらため息を零す。
長く公爵家に仕えてきたブライアンはカールがどんな人間かよく理解しているのだろう。急に態度を変えた理由も知っているに違いない。
故にため息は吐いて、主の態度に「それではダメだ」と内心で注意をしているようだった。
一方で、急いで自室へ戻ったカールは一人掛け用のソファーに腰を下ろし、背もたれに背中を預けながら顔を手で覆った。
「あの笑顔は反則だ……」
鍛錬の許可を出しただけで見せる、あの純粋無垢な笑顔。庭に咲く花達など目じゃないくらい美しく、同時に可愛らしさすらも併せ持つとびきりの笑顔にカールは一撃でやられていた。
顔に燃えるような熱を感じ、ローズの顔をまともに見れないくらいにはダメージを負っている。
心を落ち着かせるように息を吐き出していると、ふとテーブルの上に置かれた酒瓶が目に入った。
「結局誘えなかった……」
あの笑顔を見た状態では仕方があるまい。親友のアドバイス通り、会話を続けることはできたのは確実に進歩していると言うべきだ。
「しかし、たくさん喋れたな」
真面目な顔で食事の席を分析するカール。あれだけの会話で「たくさん」と言えるあたりが残念極まりないのだが。
しかし、会話の糸口は掴めたろう。ローズは鍛錬に関する話になると盛り上がる。次もこれを話題にして会話を始めればもっと長く話せるかもしれない。
「次も頑張ろう」
冷徹公爵と呼ばれるカールには似つかわしくない、拳を握って気合を入れる様。もし、ローズがこの姿を見た時、彼女を想う気持ちの真意を知った時……。
ローズはどう思うのだろうか?
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