2 ローズの半生
どうしてローズが結婚する事になったのか。
それを語る前にローズが歩んできたこれまでの半生を語らねばなるまい。
旧姓、ローズ・ルーベルト。彼女はルーベルト王国第一王女としてこの世に生まれた。
彼女を産んだのは、現国王であるヴェルナルディ・ルーベルトの正室であるローナ王妃であった。
ローナ王妃はルーベルト王国の東に領地を持つ侯爵家の娘。容姿端麗、頭脳明晰で夫である王を支える優れた王妃と呼び声高く、また子に愛情を注ぐ母としても優秀で愛の溢れる女性だった。
ローズには四つ上の兄がいて、第一王子の名はヴェルガという。父と母、自分を可愛がってくれる兄に愛されて育った彼女の人生は輝かしい未来が約束されていただろう。
しかし、ローズが四歳になった頃に事件は起きる。
ローナ王妃の父である侯爵家当主の病が悪化し、彼女は父の最後を看取ろうと実家へ向かう事となった。
王都から馬車で三日の道のりを護衛として近衛騎士を連れての出立である。
夫であったヴェルナルディも妻が実家に戻ることに関して、距離も短く十分な護衛があった事から然程心配はしていなかった。ローナはまだ四歳でお転婆の盛りであったローズ、既に次期国王として教育が始まっていたヴェルガを王都に残して出発した。
出発したが――向かっている途中、2日目にて王妃一行は野盗の集団に襲われた。
当時の捜査記録によると野盗の数は50を越えていたという。侯爵家が治める領地までの街道とその周辺は騎士団が事前調査を行っていたが、ここまで大規模な野盗の集団が現れるなど兆候や噂等の情報は一切無く。
護衛していた近衛としてもここまでの数は想定外だったろう。当然、近衛騎士達は自分達の誇りを掛けて戦うも苦戦を強いられてしまう。二倍以上の人数差もあったが、野盗の練度や技量なども想像より遥かに高かったようだと記録に残っている。
先ほどから「ようだ」と語るしかないのは結果から導き出された推測で語るしかないからだ。というのも、王国のエリート集団である近衛騎士達は全滅してしまって当時の戦闘を語れる者は残っていない。
そう、ローズの母であるローナ王妃は謎の野盗集団に殺されてしまった。
護衛として随行していた近衛騎士達が全滅した様と、馬車の横で胸に剣を刺されて死亡していたローナ王妃の亡骸を見つけたのは王都へ向かう途中の行商であった。この行商が事件発覚の切っ掛けとなる。
行商は王妃の遺体を丁寧に包み、王都へ急いだ。王都入場門にいた門番に訳を話し、王城へすぐさま知らせは届けられた。
急な妻の死を受け、ヴェルナルディ王は混乱と悲しみに暮れる。同時に王城に設立された騎士団本部は現場へ騎士達を向かわせ、調査を開始した。
現場に残っていた痕跡や野盗の遺体など調査を進めると、どうやら野盗はルーベルト王国人ではなく外国人だったようだ。当時の騎士団内部では手練れ揃いの近衛とまともに戦える事から当然ながら「相手は本当に野盗なのか?」と疑問の声も上がっていた。
王城内での混乱と推測合戦はさておき、まだ小さかったローズにはそれらの事実を受け止める事はできなかっただろう。
王妃が死に、王城は慌ただしくなった。王である父は毎日のように怒声を上げながら事態の把握に大忙し。唯一、ローズの相手をしてくれたのは兄であるヴェルガだけだった。
「お母様はどうしたの?」
「……病気になって死んでしまったんだ」
兄であるヴェルガはローズの問いに対して、まだ幼いながらも気を使ったのだろう。母が殺されたという事実を知ればショックを受けると思ったのかもしれない。だからこそ、死因だけはぼかして母が急死した事実だけを告げた。
しかし、ローズはまだ母の温もりが恋しい年齢だ。夜になって寂しくなったローズは侍女の目を盗んで一人で父の寝室を訪ねると、そこで宰相と父の話を聞いてしまった。
愛する母は野盗に殺された。実際、当時二人が語っていた話の内容は「王妃を殺害したのは野盗に扮した外国の勢力だろう」というモノである。まだ幼かったローズには全てを理解するのは難しかっただろう。
だが、ローズは母の死が「病死」ではなく「殺害された」という事実を知った。
ヴェルガが心配した通り、真相を知ったローズはショックを受けた。母を失ったという事実だけじゃなく、誰かに、他者に母を殺害されて奪われたという事実に。
ローズはフラフラと自室に戻り、ベッドの中で母を想いながら泣き続けて気付けば朝になっていた。だが、朝を迎えるとローズの胸には一つの決意が宿る。
「強くなろう」
母は殺された。愛すべき母は殺されてしまった。じゃあ、父はどうだ? 兄はどうだ? 幼いながらに考えた末の決断は、自分が家族を守るという漠然とした決意であった。
王妃の国葬が終わり、王城に落ち着きが戻った頃。ローズはとある人物を訪ねたいと侍女にせがんだ。
その人物はルーベルト王国騎士団総長、アラン・サンフォード。いくつもの戦争で指揮を執り、王国を勝利に導いた者。同時に剣や槍の腕は外国の騎士にも負けない剛の者。ルーベルトの軍神とも呼ばれる者であった。
ローズは彼に「戦い方を教えてくれ」と乞う。
勿論、まだ四歳の少女に言われてもアランは「どうしたのか」と問うだけだった。しかし、当時の彼はローズの話す心中を知っていくうちに確かに見た。ローズの瞳の中に燃える決意の炎を。
家族を守るという決意、それを携えてローズは何度も教えを乞うたのだ。
「ローズ様。戦いとは男の方が有利です。女性であるローズ様は人一倍努力せねばなりませぬ」
「それでもやる。私は決めた」
何度問うても、何度苦難の道になると言っても、ローズの決意は変わらない。アランも遂に決意してローズを弟子として迎えたのだ。
ローズは四歳から基礎体力をつける訓練、剣術・槍術の訓練を開始。この時、まだアランの個人レッスンのような形であったが、確かに彼女は騎士の道を進み始めた。
五歳になれば王都の騎士達に混じって訓練をした。6歳になった頃には小さな剣をまともに振れるようになった。7歳になった頃には丈の短いショート・スピアを使えるようになった。
八歳になった頃、ローズは王家の女性としてマナーや礼節を学ぶ歳になる。だが、彼女はそれら一切を拒否した。
「私は騎士になる。王立学園にも行かない。騎士学園に入学する」
さすがにそう言い出した時は王城に勤める貴族達が止めに入った。貴族達はローズがアランの元で訓練を受けている事を一時的な子供の稽古感覚だと思っていたのだろう。
しかし、アランから事情を聞いていた王と兄は止めなかった。本人の意思を尊重して騎士学園の入学を認める。
この時、2人の心境はとしては……。
「騎士の境遇を知り、騎士として育ち、将来は騎士団の上役として活躍すれば良い」
「母の死を乗り越えられるなら良い事だろう。王家女子としての教育は後でやればいい。まずはローズの気持ちの整理が最優先」
前者はヴェルナルディ、後者はヴェルガ。父と兄が抱く想いは、何よりローズが母の死を受け入れて乗り越えられるようにというものだった。
しかし、王城の中で一人だけ正しく彼女の将来を見ていた者がいた。それは師であるアランだ。
最初に剣を振った時は貧弱だった。当然だ。体も出来ていない少女なのだから。しかし、歳を重ねるに連れてローズは才能を開花させていく。
アランからしてみればまだまだ未熟。然れど眩い光を放つ。
彼はローズの姿を見て『王国最強へと至る原石だ』と彼は思ったに違いない。当時からアランは「この国で一番、自分を越える騎士になれる」と確信があると語っている。
十歳になったローズは宣言通りに騎士学園に入学。王家女子である待遇は受けないと入学時に宣言し、他の騎士候補生と同じく厳しい訓練を望んだ。
加えて、入学と同時に学園の寮に入り、王城から通う事を拒否する。
彼女が王城から通う事を拒否した理由の一つとして、同時期に王である父が側室を迎え入れたというのもあるだろう。
側室となった第二王妃の名はサリスという当時25歳の女性でルーベルト王国西にある侯爵家の娘であった。彼女も亡くなった第一王妃と同じく優しく優秀な令嬢であり、同時に母を失ったヴェルガとローズを支えようと考える良い王妃であった。
サリスは2人の母になろうと努力を怠らなかった。結果、ヴェルガは彼女を母と認めたがローズは……受け入れられなかった。
思春期特有の感情、死んだ母への想い、母を失ったという気持ちの整理がついていなかったというのが要因だろう。新しく母となろうとしてくれたサリスを嫌ってはいない。だが、母としては心が受け入れられないといった複雑な感情を抱いていた。
産んでくれた母とは違う女性。髪の色も、瞳の色も違う。その違いが、どうしてもサリスを「母」と認識できなかったのかもしれない。
複雑な気持ちを抱えたローズは、王城に居場所がないと感じたのか、新しい母と顔を合わせるのが辛かったのか。ローズは寮に入ると一度も自らの意思で王城へは帰らなくなる。帰る時は父に『王命』として呼び出される時くらいだった。
しかしながら、この出来事はローズを更なる高みへ上らせる切っ掛けともなった。
騎士学園で毎日剣と槍の鍛錬をこなし、毎日欠かさず長い距離を走り込んで。王国女子が特に手入れをする指の爪は常に割れていて、手は剣と槍の鍛錬で硬くなっても尚、彼女は弱音を吐かなかったし女性らしさを求めもしなかった。
過酷な訓練で血反吐も吐いた。全身泥だらけになりながら軍行訓練も行った。不味い携帯食料を持って森に入り、食糧が尽きれば動物を狩って飢えを凌ぐという地獄の訓練も泣き言を漏らさずクリアした。
十五歳、ローズが騎士学園を卒業する頃になると同年代で彼女に敵う者はいなかった。それどころか、王都騎士団に在籍する騎士達でさえ敵わない。
唯一、彼女を満足させるのは一握りの者だけ。師であるアラン、第一騎士団の団長や副団長といった強者に手が届くようにまで成長したのだ。
十七歳、所属した第二騎士団の領内警邏で初めて野盗と戦闘を行う。訓練で培った戦闘能力を活かし、野盗を斬った。人生初めての殺人に何度も吐いた。
それでも心が折れなかったのは『家族を守る』という決意があったから。同時にローズにとって野盗とは母を殺した仇という念もあったのだろう。
二十歳、隣国から宣戦布告を受けたルーベルト王国は戦争になった。ローズも戦争に参加し、前線で騎士として戦った。
「殿下。ご武運を」
彼女の背後に立つのは師であるアラン。彼女の意思を知るアランは問答無用でローズを前線へ送る。当時は「危険な真似をさせるな」と王女を他国へ嫁がせようと考える貴族達から声も出たが彼はそれらを一蹴した。
王に「ローズは大丈夫か?」と問われても「殿下であれば何も心配はない」と答えるほどの信頼と期待があった。
「突撃ィィィッ!!」
前線に立たされたローズは馬上で槍を構え、志を同じくする仲間達と共に敵へと突撃を開始。
何人もの敵兵を屠り、馬が矢で撃たれれば己の足で戦場に立ち、槍が使い物にならなくなれば愛用の剣を抜いて敵兵へ迫る。
戦場でローズは幾人もの敵を斬った。当時の記録によれば敵兵の殺害数は他の誰よりも多い。過酷な戦争の中で時には敵に斬られる事もあったが、それでも彼女は確かに生き残った。
戦争が開戦してから1年後。遂にローズはアランの期待に見事応え、前線で敵国の支柱たる名高い敵将を討ち倒す。
ローズの所属する隊が敵国に重い一撃を加え、敵国の戦線は瓦解。正しくローズが活躍したからこそ、ルーベルト王国は勝利したと言っても過言ではない。
勿論、後方で控えていたアランが戦術や戦略を練ったという事もある。他にも魔法を行使する魔導師達が前線騎士達をサポートしたという事もある。
だが、それでも危険な最前線で敵将の首を刎ねたのはローズだ。最早この時、王国でローズに対して「騎士うんぬん」と文句を言う者はいなくなっていた。
同時に彼女には異名が付く。
血濡れの薔薇
一見すれば王家の女性として凄まじい色香と美貌を持つ姫騎士と呼べるような見た目。
しかし、一度戦場に出れば敵の返り血を浴びながらも攻め続け、泥を被る事すら厭わず次々に敵の首を刎ねる女騎士。
弱き者を襲う野盗には全くの容赦はせず、見つけ次第に鬼の形相で駆逐する。名高き敵将であっても怯まず突撃して確実に殺す。
まさに綺麗であれど鋭いトゲを持つ薔薇だ。彼女へ迂闊に近づけば、彼女の持つ強烈なトゲに刺し殺されるどころか首が飛ぶ。殺害した相手の返り血を浴び、獰猛な笑みを浮かべる『赤き薔薇』になるというのだから笑えない。
彼女は二十歳という若さで至ったのだ。ルーベルト王国内で、五本の指に入る強者の一人。最強に最も近いとされた騎士へと至った。
これが彼女の歩んできたこれまでの人生。母の死を知ってベッドの中で泣くだけの女という弱い自分を捨てた、ローズという女性騎士の人生である。