13 リハーサル
「殿下。夜会の件なのですが」
サリスから戦闘衣装を受け取った日の夜。夕食前に珍しくもカールの方からローズへ話しかけた。
「お、おおう。どうした?」
リビングにいたローズはサリスから教わった夫人の立ち回りについて、マリーダと復習している最中の事。それもあったが、やはりカールから話し掛けてきた事にびっくりしたのだろう。
「殿下がダンスを踊ると聞いております。つきましては、一度確認しておきたいのですが」
「一度踊っておきたいという事か?」
「はい」
カールの申し出は至極当然の事だったろう。サリスからダンスの内容を知らされていたとしても、ぶっつけ本番は避けたいところである。
「うむ。いいだろう」
ローズとしても同じ意見だ。といっても、ローズの方は「コイツ、踊れるのか?」と疑問に思っての事だったのだが。
「では、広間へ」
公爵家にはパーティー用の広間がある。公爵家ともなればこういった部屋も用意せねばなるまい。カールの性格上、普段は全く使われていないが。
マリーダを連れて三人は広間へ向かう。音楽無しであるが、通しで踊ってみようという事になった。
広間の真ん中で向き合うカールとローズ。背を比べるとカールの方が高い。ローズの目線を真っ直ぐにすると、丁度カールの首に位置する。
「失礼します」
相変わらず眉間に皺を寄せて……いや、カールはいつもの倍くらい険しい顔だ。すごくゆっくりとローズの腰に手を回し、彼女が差し出した手を握って。
「……カール。お前、体温が高すぎないか?」
これからダンスを踊るが故にカールに密着するローズ。密着した箇所からカールの体温が服越しにも伝わるが、それでも熱いと感じるほどである。
「いえ、正常です」
そうは言うが、カールの顔は真っ赤だった。
「顔も赤いが……。風邪か?」
違う、そうじゃない。広間の端っこで二人を見ていたマリーダは内心でツッコミを入れたに違いないだろう。
「いえ、大丈夫です。最初は基本のステップからでよろしいですか?」
しかし、そんなマリーダの気持ちなど知る由もない二人。カールの合図でダンスは始まった。
最初に始まったのは緩やかな曲に合わせるダンスだ。これはダンスの時間が開始された直後に踊る定番のモノである。
基本的に最初の一曲目は夫である人物と。二曲目も同じような曲が流れ、主催者と親しければ相手側のパートナーと交換して踊る。ローズの場合はベルトマン公爵だ。
「完璧ですね」
僅か数日で完璧に踊れるほど上達するのは、ローズにダンスの才能があったからかもしれない。
「なに、剣術の足さばきと覚え方は同じだ」
そうは言うが、ローズは基本的に『体で覚える派』である。頭で次のステップを考えながら動くより、繰り返し練習して体に染み込ませるタイプ。
しかし、王国式の剣術を学んでいた事が活かされた。違いを比べて「ああ、ここはこうか」と理解するまでがスムーズだったのもある。それと併せて、サリスがやらせた徹底的な反復練習が上達の肝だったのだろう。
「ダンスは好きになれそうだ」
お茶を飲む事や食事の作法に比べて、ダンスは体を使うこととあってかローズは苦手意識を捨てられた様子。ひとまず、ダンスが踊れれば王国女子としてある程度の体面は保てよう。
あとはマナー等にも精力的に打ち込めば公爵夫人として完璧なのだが。そちらはまだ苦手意識があるし、今日サリスから教わった貴族令嬢とのお喋りについても悪戦苦闘しそうである。
「では、例のダンスを」
「いいだろう」
基本のステップは完璧だと分かった。次は招待された貴族令嬢の度肝を抜かす必殺技だ。
二人はマリーダに目を向けて、視線を受け取った彼女が手を叩きながら曲の代わりを行った。マリーダの叩く手はそれなりに早く、これでも実際の曲に比べると少し遅い。
それにしても、ローズのステップは完璧であった。複雑なステップであっても物ともしない。足がもつれて転びそうになることもなく、危ない場面など一つもなかった。
「ここでターン」
ローズが小さく呟きながら、ダンスは続く。ターンをして、次は腕を伸ばしてクルクル回って。練習通りの素晴らしい動きだ。
踊りながらローズはカールの顔を見た。授かった必殺技は並の貴族では踊れぬような激しいものだという。だというのに、カールの顔はいつも通りだ。
眉間に皺は寄っているものの、息を切らしているような仕草もない。ローズからしてみれば軽々とこなしているようにも見える。
「踊れるのか」
「ええ。幼少期に叩き込まれました」
ダンス中に出たローズの問いにもステップとリズムを崩さずに難無く答える。やはり公爵家で育った一人息子は伊達じゃないようだ。
ただ、ここからダンスは密着したままクルクルと回るタイミングへ入る。よって、二人は密着しながら顔を見合せるのだが……。
「ふむ……」
この時、ローズはこう思ったことだろう。『コイツ、確かに顔は良いな』と。未婚の貴族令嬢が騒ぐのも頷けるほど顔の造りが整って中性的だ。ローズの美的センスでも確かにそう思えるほどだろう。
「…………」
この時、カールはこう思ったことだろう。『相変わらずお美しい』と。カールが彼女に惚れた理由は決してローズの美貌からじゃないが、やはり間近で見ると美しさを再認識してしまうのだろう。
「お前、体が熱いぞ!? 風邪か!? 移すなよ!?」
「正常です」
間近で確認してしまったが故の悲劇である。
「ふぅ。どうだ、完璧だろう?」
「ええ。お見事でした。これを夜会で披露すれば翌日の話題になるでしょうね」
「いや、話題になるのは勘弁願いたいが……」
しかし、カールの言う通りローズが華麗にダンスを踊ったら令嬢ネットワークは大いにザワつくだろう。加えて、夜会における公爵夫人としての立ち回りも上手くいけばローズの事を悪く言っていた者も黙るしかない。
「だが、そうなれば私の勝ちだな」
ふふん、と胸を張るローズ。
「勝ち、ですか?」
なんの勝負? とばかりに聞き返すカール。ローズがダンスを練習する事になった経緯をカールはまだ知らなかったのだが。
「ああ。私の事をダンスもマナーもなっていない王国女子失格のような口ぶりで話していた者がいて――」
「誰がそのような事を?」
そこまでローズが言ったところで、カールは顔を険しくしながら彼女に一歩踏み込んだ。ずい、と顔を覗かれてローズは思わず背中を反らせてしまった。
「だ、誰かは分からん……」
「他にどのような事を言っていましたか?」
「え、ええっと……。私は父上と兄上の命令があったからカールと結婚したとか何とか……」
あの時に見た貴族令嬢が言っていた言葉は正確には違うが似たような者である。ローズがカールと結婚できるはずがない、カールは押し付けられた、といったニュアンスだろう。
「…………ッ」
それを聞いたカールの眉間にはいつも以上に深い皺が刻まれて、今にも舌打ちしそうなくらい怒った顔を見せる。
「失礼、やらねばならない事ができました」
「え?」
そう言って、カールは足早に広間を出て行く。広間から出てきた彼を目撃したメイドによれば、夕食の時間が近いにも拘らず自室へ向かったとのことだが。
しかし、広間に残されたローズは「何なんだ?」と言葉を漏らすしかできない。
マリーダからしてみれば「そうじゃねえだろ。そこは好きだから結婚を申し込んだと言うところだろ」と声を荒げたいところだ。
こういったところが、恋愛経験値の低いカールらしさなのかもしれない。いや、今日の彼はそれでも頑張った方だろう。ある程度は自然に話せて、ダンスまで踊ったのだから。
……まだまだ道のりは長そうだ。




