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12 母と娘


 サリスに教えを乞うてから、ローズが過ごす日々は王城が中心になった。


 朝起きて朝食を食べたあと、カールが出勤した後にローズも王城へ向かう。そこからサリスと合流してダンスのレッスンが夕方まで行われるのだ。


 本日でレッスンは十日目を迎え、夜会まであと三日。ローズのダンスも仕上がって、本人としても出来栄えには大変満足いくものとなっているのだが……。


「その、母上。毎日のように教えてもらっていますが、執務はよいのですか?」


「ええ。大丈夫よ」


 ローズがサリスの事を気にしても、彼女は「大丈夫」と言ってニコニコ笑うだけ。この十日間、ほぼ付きっ切りで相手してくれたサリスにも王妃としての仕事があるはずなのだが。


 とにかく、ローズは基本のステップから今回披露するダンスまで完璧に頭の中に叩き込んだ。先日には楽団まで呼んで、実際に音楽を奏でてもらいながら踊ったのもあって準備は万端だ。


 講師であるサリスからもお墨付きは出たし、傍で見ていたマリアも興奮するほどの出来栄えである。


 本日で教えを乞うのは最終日となり、前半はダンスの確認作業。それを終えるとマリアを交えて夜会において夫人としての立ち回り講座が開かれた。


「夜会において夫人側は基本的に夫の横にいるだけよ。挨拶されたら挨拶を返すだけ。挨拶の仕方は――」


 と、要点をまとめて簡潔に教えてくれるのだ。


 サリス曰く、夜会で夫人に求められる能力は夫の横で静かに待つものだという。彼女が言った通り、挨拶のやり方さえ間違えなければ問題ない、と。


 途中で使用人が配るワインをグラスで飲む事もあるだろうが、そちらは普通に飲めば良い。夜会の会場にはビュッフェ形式で軽食も並べられるが、後にダンスも控えているので手を付けない方が無難だとも教えられた。


 これらを最終日に回したのはダンスよりも重要性が低いとされたからだろう。実際問題、夫人として出席するローズのメインはダンスだ。そこで周囲の度肝を抜かしてやれば勝負アリといったところ。


「問題は夫人同士の会話と未婚の令嬢に誘われた時ね」


 しかしながら、度肝を抜かした事を前提に考えても、夜会において一番怖いシーンが『女性同士の歓談』だとサリスは真剣な顔で言った。


 貴族令嬢という生き物は本心を隠して生きている者がほとんどだ。同時に何か言ったとしても、建前かそうでないかを見極めねばならない。


 特に回りくどい言い方をして相手を陥れようとする者もいる。例えば、意地悪で野心家な令嬢が言葉巧みに家の事や夫婦間の事を聞き出して、下手に答えたら次の日には令嬢ネットワーク内を駆け巡る噂となっている事もあるという。


 一度、貴族連中は『歓談』の意味を勉強しなおした方が良いとサリスはぼやく。


「そんな事があるのですか?」


「ええ。特に中堅貴族はそういった事を駆使して上の者を崩そうとすることもあるわ。身分の低い男爵家の者を子飼いにして、自分の手を汚さぬようにと考える姑息な家もあるわね」


 王国内に存在する貴族全員がそうではないが、中にはそういった野心家は必ず存在するものだ。


「そういった家はブラックリスト化されているけど、ベルトマン公爵は王国経済も担当しているから誘わざるを得ない家もあるのよね」


 王国貴族内には上位に君臨する者ほど、そういった野心家にも立ち向かわねばならないといった独特な雰囲気がある。上位の者こそ清廉潔白で公平に物を見ねばならない、という風習が捻じ曲がった結果だ。


 同時に上位者ほど数が少なく、中堅ほど数が多い。上位者になればなるほど圧倒的な権力や財を武器に戦う一騎当千の者、中堅は肩を寄せ合って数の力で押して来る一種の軍団といったイメージだろうか。


 これは王国内貴族のパワーバランスを取るべく過去に作られた王国貴族社会独自のシステムだが、今となっては厄介極まりない。これは公爵だろうが、王家だろうが例外じゃないとサリスは言う。


「反王派なる者達が王国内にいると?」


「……否定はできないわね」


 例えば外国の風習や政治に感化された者達だ。隣国には貴族制度を廃止している国もあり、自由でオープンな政治体形を持つ国も存在する。


 そういった国に感化された、もしくは『思考を毒された』王国貴族は少数ながら存在する。特にこういった他国からの干渉は地方貴族に対して行われる事が多い。内を滅ぼす為にまずは外側から、とある意味で侵略に似たやり方だ。


「王都学園でもそういった家に関係する派閥やイジメがあります。私も注意しているのですが……」


 母が苦悩を漏らすように、まだ学園生であるマリアからも同じような苦悩が告げられる。


 貴族の子と平民が入り混じって通う学園も貴族社会の縮図と言えよう。爵位が高い者が上位者を気取り、庶民の子供に対して権力を振りかざす。といっても、これはどの国も同じような有様と言える。


 サリスもマリアも一生付き合っていかねばならぬ事だと割り切っているようだが。


「そのような事が……」


 しかし、これまで政治的な部分を考えてこなかったローズにとっては新鮮でありながらショックでもあった。


 まさか王国の内部――貴族社会の裏側にそのような面倒事が巣食っていようとは思いもしなかったというべきか。反省すると同時にそういった狡い者達の存在に嫌悪感を抱くような表情を浮かべる。


「あら? 騎士にも身分による差はあるんじゃないかしら?」


 ローズの表情を見たサリスの言う通り、騎士団内部にも貴族社会に関するパワーバランスは確かに存在する。例えば身分の高い家の次男坊が騎士団に入団し、庶民出身や実家より爵位が低い上官の命令を無視したりという行為だ。


「ええ。ですが、騎士団は総じて()()しますので」


 騎士団には騎士団のやり方があるとローズは言う。教育的指導―― 一種のシゴキで上官への命令は絶対だと理解させるのが騎士団に入団してからの最初の一歩。半年も経てばそういった輩は消えるとローズは言った。


「羨ましい限りだわ」


 騎士団のやり方はストレートでシンプルだ。王城内にある政争で同じ方法が取れればなんと簡単な事か。それ故に、ローズは政争に関する苦労を知らなかったのだが。


「話が逸れてしまったわね。夜会の時は、そうねぇ……。何か家の事を言われても、まだ日が浅いので勉強中とだけ言えば良いと思うわ」


 これは今回限りの手だけどね、とサリスは付け加えた。


「それに夜会にはマリアも出席するから、リアソニエ卿が他の当主と話し合っている際はマリアと一緒にいればいいわ」


 言われてローズは隣に座るマリアの顔を見た。彼女は満面の笑みをローズに向けて、ニコニコと楽しそうに笑っている。


「お姉様と夜会に行けて、私は嬉しいです!」


「そ、そうか?」


 純真無垢な妹の笑顔にローズは若干、心が痛むのだろう。彼女の笑顔を見てぎこちなく笑う。


 よくよく考えれば身勝手なことだ。サリスが母として努力していた事を突っぱね、妹が産まれても騎士学園の寮に引き籠って実家に帰る事もしない。幼い頃のマリアと会ったのは片手で数える程度、騎士団に入ってからも同じようなものだ。


 むしろ、マリアはよく自分の事を姉と呼んでくれるな、と感心してしまうほどだろう。そう思うからこそ、胸が痛む。


 今になって捨てたはずの教えを乞い、それを受けれてくれたサリスに対して。姉と認めて笑ってくれるマリアに対して、ローズは申し訳なさが込み上げてきたのか顔を俯かせた。


「そ、その……。母上」


「どうしたの?」


 ローズの心中は荒れる海のようだ。本音を言って、彼女は何と答えるか予想できなかったから。


「私のような者に……。教えて下さり、ありがとうございます」


 誠心誠意、頭を下げた。幼少期に母となった彼女の手を振り解き、騎士の道に向かった自分を顧みて。そんな自分に嫌な顔せず教えてくれて、ありがとうと。


「ローズ。貴女は勘違いしているわ」


「え?」


「私は誰が何と言おうと貴女の母です。貴女を産んだのはローナ様だけど、私も母であると思っているわ。それにね、貴女は剣で家族を守る道を選んだ。それは正しい事なのよ? 貴女は私の、王家の誇りよ」


 サリスはローズの両頬を優しく手で包むと、彼女の顔を上げてニコリと微笑む。


「頼ってくれて、凄く嬉しかったわ。母らしい事を今までしてやれなくてごめんなさい」 


「母上……」


 そう言って、サリスの目尻には涙の粒が浮かぶ。ローズの頭を胸に抱きしめると彼女の髪にキスをした。


「……マリアもすまない。ずっと、姉らしい事をしてやれなかった」


 サリスの胸から解放されたローズは目尻に浮かんでいた涙の粒を手でぐしぐしと拭き取ると、マリアに向かってそう言った。


「いいえ。私はお姉様のこと、ずっと好きでした。剣を振るうお姉様はカッコよくて、凛々しくて、大好きでしたよ?」


 そう言って、マリアは満面の笑みでローズに抱き着いた。母共に抱き着くのは共通する愛情表現なのだろうか。


 しかし、マリアは本当に騎士としてのローズが好きなようで。抱き着きながらカッコ良いと思える場面を何個も言って、ローズの方がたじたじになってしまう。


「ふふ。ローズ、あまり気負わないで。これからは何でも相談しなさい? 家族なんだからね」


「はい……。母上」


 これはローズにとって「結婚して良かったな」と思える最初の出来事だったろう。距離があると思っていた家族と分かり合える切っ掛けをくれたのだから。


 ……丸め込まれて結婚したのは置いておいて、だが。


 とにかく、三人が家族としての愛情を確認していると、広間のドアがノックされた。やってきたのはマリーダで、彼女はサリスに告げる。


「サリス様。例の物が完成して届きました。この場にお持ちしますか?」


「ええ。お願いするわ」


 マリーダにお願いしたサリスはローズの顔を見てニコニコと笑った。一体なんだ? と首を傾げるローズだったが広間に続々と人がやって来て、最後に布が掛けられた物が運び込まれる。


「これは私からのプレゼントよ」


 そう言ったサリスの言葉を合図に、マリーダが布で隠されていた物の正体を晒す。


 隠されていた物の正体は『ドレス』だった。濃い青をした新しいドレスであり、形も世に二つとないデザインをしたドレスである。


 新しいデザインとあるように、見た目は現在の貴族令嬢が好むレースを重ねて作ったふわふわで広がるようなスカートを主軸とした既存のデザインとはかけ離れている。


 胸元を隠しながらも肩と背中がガッツリと露出するホルターネックタイプのドレスだ。ドレスの丈は膝まであるが、ふとももの半ばからスリットが入っていて、既存デザインのドレスのように足を完全には隠せない。


「これはローズ用のドレスよ」


 サリスが言う通り、騎士としての鍛錬で体を絞ったスタイル抜群のローズにしか着こなせぬデザインだろう。


 ぬくぬくと育った貴族令嬢はコルセットを着用するが、ローズはそれを必要としない。訓練で鍛えられたが故に絞られたウエストときゅっとしたクビレにコルセットはむしろ邪魔だ。


 足もそうだろう。走り込みで鍛えた足には健康的な筋肉がありながらも女性らしくスラッとして美しい。それにローズは背も高く、足も長いこともあってスリット入りのドレスは大変栄えること間違いなし。


 既存の堅苦しいドレスよりも露出は高いが、その分だけ彼女の動きを阻害せずに動きやすいという利点がある。ローズの良さを活かす、デザイン的にも機能的にも優れたドレスだろう。


 この既存デザインからかけ離れた新しいデザインのドレス、そして覚えたダンスを用いてガツンと一撃ぶちかませ、というサリスの魂胆だ。


「……いつ作ったのです?」


「この前、サイズを測ったでしょう?」


 そう言われ、ローズは思い出す。ダンスの練習が始まってから二日目だろうか。あの時、数人の女性達に体の至るところを測られたな、と。

 

「これを作る為だったのですか」


 まじまじとドレスを見るローズ。普段見た事もないデザインのドレスに「本当に似合うのか?」と少々疑問を沸かせているようだ。


 それと彼女はドレスの腕部分が無い事に気付く。


「母上、その、私は腕に傷があるのですが」


 ローズは過去の戦いで、左腕の前腕部分に剣で斬られた傷がある。


 これは仲間を庇った際に出来た名誉の傷なのだが、貴族として体に傷があるのはよくないとされていた。特に女性とあれば猶更だ。口の悪い者が見れば「傷物」などと言って失笑される、とマリーダから聞かされていたが。


「ああ、大丈夫よ。腕は黒い手袋を用意してあるの。肘まである長さのね」 


「傷なんて隠さなくても……。特にお姉様の傷は名誉の傷ですのに!」


「そうなんだけどねぇ。何と鳴くか分からない厄介な小鳥もいるのよねぇ」


 マリアがそう言って、サリスも彼女の言葉に同意する。サリスにいたっては「本当に嫌になるわ」とため息をセットにして。


 しかし、家族が傷に対してそう言ってくれるのがローズにとって嬉しかったのか、自然と笑顔になっていた。


 そんなローズにサリスは真剣な顔を向けると、獰猛な雌獅子の如く口角を吊り上げた。


「これは戦場へ向かう娘へ母からのプレゼントよ。ローズ、これを着てぎゃふんと言わせてきなさい!」


 戦に向かう騎士へ誂えた特注品の鎧のように。夜会という戦場へ向かう娘が着る戦闘服であると、サリスは告げる。


「母上……」


 血は繋がらなくとも家族。そんな母の愛情を知って、感じて。ローズの胸には空高く燃え上がる炎のようなやる気が漲った。


 ローズは騎士礼を取る時と同じように背筋を伸ばし、それからサリスへ頭を下げて礼を言う。顔を上げた彼女は――


「母上から賜った鎧と武器を手に、うるさく鳴く小鳥共を粉砕して必ず勝利します」


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