10 これは戦争である
鍛錬を終えたローズは支度を整えると敷地内にある道を通って王城内部へと向かおうとしていた。
彼女としてはせっかく王城に来たのだから父と兄の顔でも見ておこう、という考えだ。同時にアランの言っていた後進の育成に関する件を伝えて一緒に考えてもらおうとも思っていた。
しかし、ローズが王城の正面玄関へ続く曲がり角を曲がろうとした時、彼女はとんでもない事を耳にしてしまう。
「そういえば、ベルトマン公爵様が主催する夜会に参加致しますの?」
「ええ。勿論ですわ」
王城の正面玄関を出た先の片隅で家の馬車を待っているのであろう貴族令嬢が二人。彼女達は現在流行りの煌びやかなドレスを着て、世間話に花を咲かせていた。
曲がり角を曲がろうとしたローズが二人の貴族令嬢を視界に捉え、彼女達まであと数メートルといったところ。だが、二人はローズを背にしていた事もあって彼女の姿に気付いていない。
故に彼女達は口にしてしまう。
「きっとカール様もご出席致しますわ。二大公爵家の繋がりは盤石であるとアピールするに違いありませんことよ」
「まぁ。という事はローズ様も?」
「どうでしょう? ローズ様はダンスが踊れないとか。恥を掻かぬよう、出席なさらないかもしれませんわね」
オホホ、と笑う二人の貴族令嬢。彼女達の口ぶりにはローズに対する侮辱の色が明らかに含まれていた。
「カール様もお可哀想に。きっと陛下やヴェルガ様に頼まれてローズ様を娶ったのですわ」
「じゃなければ、あんな男勝りで粗暴な姫など娶りませんわよ! 正当な選出方法であれば他の方が婚約者レースに勝っていたでしょうね!」
剣の振りすぎで腕が太い、女子としては筋肉質すぎる、戦で体に傷がある、男の中で育ったから夫人としてやっていけるわけがない。
そりゃあもう二人の口からはローズに対する悪口が飛び出しまくった。それと同時にカールに対して哀れに思い、もっと相応しい女性がいる、そのうち愛人を作るに違いないなど言い放題。
二人の貴族令嬢は言い放題して迎えの馬車に乗り込むと颯爽と去って行き、話を聞いていたローズだけがその場に残った。
「…………」
「ヒィ!?」
射殺すような視線を去って行く馬車へ向けたローズに気付く事はなく、代わりに入れ違いで正面玄関から出てきた貴族の男性がローズの視線を目撃して悲鳴を上げた。
「私が、負けるだと!?」
二人の話を聞いていて、彼女は初めて自分に対する評価を知った。だが、特に気に障ったのは「他の者が勝っていた」という言葉である。
何でそこに、もっと他に思うところがあるだろう、と他者は思うかもしれないが、ローズにとって何よりも「負け」というのが受け入れ難い。そして、話を聞く限りでは「自分は父や兄によって勝ちを譲られた」と変換される。
「私がァ……ッ! 負けるだとォ……ッ!」
最早、ローズの心中では「ふざけるなあああ!」と雄叫びを上げていただろう。奥歯をギリギリと噛み締め、拳を強く握って、今にでも王城の壁辺りを「セイヤァッ!」して器物破損しそうな勢いである。
折角、鍛錬で良い気分になったのに台無しだ。しかし、ローズは思う。
「このままでいいのか」
己に問うように、そう呟いた。別に貴族令嬢が何をほざこうが気にはしない。のうのうと暮らす純粋培養されたお嬢様が何を言おうと勝手だとも思っていただろう。
騎士の役目も騎士が負っている命題も理解しようとせず、守られているだけのクソボンボン共が自分に対して何を言おうが気にはしない。
だが、勝負を受けたつもりもないのに「勝ち」扱いされ、不戦勝のような扱いには我慢がならなかった。
「そうだ、言う通りじゃないか。勝負とは正当に行ってこそ意味がある」
故にローズの胸に炎が宿った。家族や侍女でさえも点火できなかった『ダンス・礼節・マナー』といった貴族令嬢に必要とされるものを使った勝負の炎が。
「やったるわァ! クソボケがァ!」
ローズはそう叫び、腰の回転を見事に活かしたパンチを王城の壁に叩き込んだ。壁にはヒビが入った。
-----
ローズは王城に寄らずに屋敷へ帰宅。帰宅した直後、侍女であるマリーダと公爵家執事長のブライアンへ高らかに宣言した。
「私は完璧な公爵夫人になるぞォー! そして、あのクソ令嬢共をギャフンと言わせてやるのだァー!」
シャァ、オラァッ! とばかりに気合十分な叫びである。
「えっ」
「えっ」
しかし、宣言された当人達は目が点だ。一体何がどうしてこうなったのか。ローズの意識を変えた出来事とは何だったのか。
二人は詳しい理由を聞くと、揃って「ああ、なるほど」とため息を漏らす。
「まだ若い家のご令嬢でしょうな。確か、去年は子爵と男爵が増えましたよね?」
「ええ。恐らく当たっているでしょう。外で堂々とそのような話をするなど、歴史ある家ではあり得ませんし」
優秀な侍女と執事長の頭の中には全貴族のデータがインプットされているようだ。ローズが語った口ぶりや、城の前で堂々と自国の姫を侮辱するやり取りを聞いて、どの家の令嬢なのかある程度は目星がついているのだろう。
ともあれ、ローズがやる気になったのは二人にとって有難い。しかし、勝負の場としてローズが指定した会が問題だ。
「夜会まであと二週間もありません。些か難しいのではないでしょうか?」
正確に言えば、残り十二日だ。これから全てを覚えるのは全く何も知らぬローズにとって厳しいのでは、とマリーダは言う。
「ならん。勝負は勝負。私は負けることが一番嫌いだ」
しかし、ローズは頑なに譲らない。この勝負はローズの与り知らぬところで終わった事。だが、再戦の場は近く訪れる。負けたままでは大好きな鍛錬すらも手につかん、と彼女は頬を膨らませた。
「……手が無い訳ではございません」
「ほう。どうすれば良い!?」
静かに呟いた侍女の言葉にローズは乗り気だ。マリーダは一度咳払いをすると、真剣な表情で告げる。
「サリス様のお力を借りることです」
「は、母上か……」
ローズにとっては不意打ちに近い答えだったろう。側室として迎えられた第二王妃であるサリスは確かにローズの母となったが血の繋がった母ではない。同時に彼女が母であろうと努力した時期に、ローズ自らが寄り付かなかったのもあってサリスに対して少し気後れしてしまう。
歳を重ねて当時の状況などが理解できる歳になったローズだが、正直に言えば今も「気まずい」というのが本音だろう。
「サリス様はダンスやマナー、全てにおいて完璧です。王国令嬢の模範であり、見本となられる方。それに第二王女であるマリア様の王女教育にも携わっておりました」
ローズを産んだローナと同じように、サリスもまた優秀だ。母としても女性としても隙がなく、ローナを失った王国の王妃として完璧に後を継いでいる。
第二王女であるマリアを産んでからは彼女の教育にも携わり、教育方針や教育方法などにもサリスの優秀さが出ていたと王城では有名だ。現に教え子であるマリアは完璧な王女として君臨しているのだから。
「し、仕方がない……。教えを乞わなければならぬ立場だしな……」
こればっかりは一人ではどうにもできない。断られるのを承知でマリーダの提案に頷くと、彼女は早速向かいましょうとローズの背中を押した。
騎士服から着替えず、馬車で再び王城へ向かってサリスの執務室へ。後に退けぬようにする為か、マリーダがローズに代わって執務室のドアをノックした。
ドアを前にして立つローズは大きく深呼吸すると、緊張した面持ちで部屋に入った。
「あら。ローズ?」
執務机の上に積まれた書類を処理する女性。第二王妃であるサリスは珍しい人物の訪問に驚いた。
「は、母上……」
ローズとしては父や兄を抜きにしてサリスと会うのは幼少期以来か。銀色の髪と茶色の瞳を持つ血が繋がっていない母を前に背筋を伸ばす。
どうしたの? と至って普通に問うサリスを前にローズは人生最大の緊張を感じた事だろう。
「お、お願いがあって参りました。私に夜会でのダンスとマナーを教えて頂きたいのです」
ローズの頼みを聞き、サリスは黙ったまま彼女の顔を見ていた。傍から見れば、ぽかんと呆けていたように思えただろう。だが、王妃らしくすぐににこやかな笑みを浮かべると――
「ええ。構わないわよ」
ローズが思っていたよりもあっさりと了承を得られた。
「もしかして、ベルトマン公爵主催の夜会かしら?」
サリスがそう言いながらマリーダの顔を見る。マリーダが無言で頷いたのを見て「なるほど」と小さく呟く。
「でも、急にどうしたのかしら?」
「実は――」
急な心境の変化を問うと、ローズは切っ掛けとなった事をサリスに話す。話を聞いている最中、サリスのこめかみが何度かピクピクと動く場面があったものの、緊張しているローズはそれに気付かない。
「なるほど。わかりました」
話を聞き終えたサリスの顔は真剣だった。顔に一切の笑みはなく、まさに王妃として相応しい真剣な表情。女性として――いや、王国に上位に属する女として『勝負』に挑む顔であった。
そして、彼女は一言強く言い放つ。
「戦争ね」
これは戦争である、と。
「戦争、ですか?」
「ええ。そうよ。時として女も戦わなければならないのが貴族社会というもの。これは勝負ではないわ。貴族令嬢共全員を相手にした女の戦争よ」
剣と槍を使う男主体の戦争ではない。一人の女性として、貴族の女性としての戦争であるとサリスは言う。
彼女の言葉に思わずローズは口を半開きにして呆けてしまう。まさか血の繋がらぬ母がここまで好戦的な事を言うとは思ってもいなかったのだろう。
「私が全力で戦い方を教えてあげる。文句を言う小娘共を全員ぶっ飛ばすわよ」
口角を吊り上げながらそう言ったサリスの顔は、まさに気高き雌獅子のようであった。




