1 どうしてこうなった
春を感じられる暖かな陽の光と爽やかな風が吹く中、ルーベルト王国王都貴族街にあるリアソニエ公爵家の庭でドレスを着た一人の女性がティーカップに注がれたお茶を飲もうとしていた。
庭には色とりどりの花が咲き誇り、本日の丁度良い気温と天気も相まって、外でお茶を飲むには絶好の日と言えよう。
お茶を飲もうとしている女性もまた、花達に負けず美しい容姿をしていた。
金髪の長い髪、健康的な肌、綺麗な緑色の瞳に若干赤みを帯びた頬。男の誰もが憧れるような美女である。
椅子に座ってはいるものの、彼女の背丈は平均より高く、また運動をよくしているせいかスタイルも引き締まって。貴族令嬢のお供であるコルセット無しでも十分にウェストラインを重視したドレスを着こなせる理想的な体型だろう。
しかし、そんな美女のティーカップを持つ手は震えている。ぷるぷるぷると小刻みに。手が震えているせいで、カップの中身である紅茶の水面は荒れた天気の海のようだ。
「手が震えておりますよ、ローズ様」
傍に控えていた侍女が冷静な声音で言うも、カップを持つ女性――ローズ・リアソニエは震えを抑えきれない。
何故、手が震えているのか。それは、この注意した侍女が怖いわけじゃない。
普段慣れぬ手の筋肉を使いつつ、張り付けたような笑顔と公爵夫人らしい所作を強要されているからだ。
因みに、庭でのティータイムはまだ始まったばかり。開始からまだ10分程度、最初の一杯目である。
「ズズズ……」
手を震わせながらようやくカップの縁に口をつけて、ローズはお茶を一口。だが、彼女が行った『お茶を飲む』という行為はあまり褒められたものではなかった。
「ローズ様、音が鳴っております」
再び侍女からの注意が飛ぶ。理由は簡単だ。お茶を飲む際、啜ってしまったから。当然ながらお茶を飲むときに啜る音を出してしまえば下品とされ、それは優雅とは言い難い。
ただ、彼女としても故意に啜ったわけじゃない。当然だがいつも通りであれば音を立てずに茶を飲むなど意識しなくとも出来る。
だが、今は難しい。彼女にとって最大の難関が控えていて、それに意識を取られているからだ
「ふ、ふひっ……」
ローズは侍女に言われた最後のステップを完遂しようとした。が、意識しすぎた故に失敗した。
食後のお茶を飲む際に「丁度良い」と、侍女から与えられた課題は『公爵夫人として相応しく、優雅な所作でお茶を飲む事』である。
優雅に音を鳴らさずカップを持ち、中身を口にした際には音を立てず、一口飲み込んだら優しく微笑む。この三ステップだ。
まず最初、優雅にカップを持つ……は手が震えてカップがソーサーに当たって音を立てたのでバツ。
彼女はティーカップでお茶を飲むよりも、グラスやジョッキでエールを握り締めながら豪快に飲む方が得意だ。というより、そちらが常だ。
次の中身を飲む動作も啜ったのでバツ。
こちらは最後のステップを意識しすぎたからだが……。それにしても最後の笑顔は特に酷い。頬が引き攣り、目はこれから殺す敵将を睨みつけるかの如く鋭かった。
「ローズ様、お顔が――」
「分かっとるわァ!!」
開始一杯目で根を上げたローズはカップをソーサーに叩きつけるように置いて叫んだ。ガチャンと音が鳴ったソーサーは小さくヒビが入り、カップの中身は弾け飛んでテーブルの上に飛散する。
「私はどうしてこんな事をしているんだ!?」
ローズは目をクワッと見開いて、まるで地獄で受ける拷問を受けているかの如く顔に絶望感を滲ませながら侍女に問う。
ここ三日間でローズは何度この言葉を口にしただろうか。律儀で優秀なローズの専属侍女――マリーダに回数を問えば「本日で二十一回目でございます」と教えてくれるに違いない。
「ローズ様が公爵家に降嫁したからにございます。リアソニエ公爵夫人となったからには、公爵夫人として相応しい優雅な所作を身につけなければなりません」
マリーダはローズの問いにサッパリと答えた。明確な答えだ。そして、もちろん間違っていない。
ローズ・リアソニエ。旧姓で彼女のフルネームを呼ぶならば、ローズ・ルーベルト。歳は今年で二十五になる。
ここ、ルーベルト王国の第一王女として生まれた彼女は、数日前にめでたく結婚した。
お相手となったのはリアソニエ公爵家の若き当主、カール・リアソニエ。国内に二家しかない公爵家の一家、早くに先代当主が病で他界した故に十五という若さで公爵家を継いだリアソニエ家の一人息子であった。
顔は超絶イケメン。普段の目付きはやや鋭いが、中性的な顔の造りが相乗効果を生む。ローズの兄である第一王子と双璧をなすほどの男前。歳はローズよりも二つ上、今年で二十七歳になる。旦那となるには理想的な年齢だろう。
顔だけじゃなく頭も良く、政治や他国との外交に関しても優秀な知識を持っていて城で政治手腕を振るう王からも頼りにされている。
公爵家当主と両立する職業は王宮に勤める上級魔導師。この国において、魔導師とはエリートコースを走る若者達の憧れである。
学園で優秀な成績と魔法に関する専門分野の深い知識が無ければ、職に就く際の試験すら受ける資格が得られない。だが、合格すればエリート中のエリートと呼ばれ、国を支える未来の逸材と呼ぶべき存在になれる。
勿論、給料も良い。
総じて言えば、ローズの旦那となったカール・リアソニエはスペックは高い。公爵家当主として相応しいスペックの持ち主で、顔も良い事から王都に住む貴族令嬢からは縁談がひっきりなしに舞い込んできたという。
彼が王宮の廊下を歩いているだけでイケメンパワーにやられた貴族令嬢は熱を含んだ目線を向けながら内股になっていたという逸話を持った男性である。
数か月前までは王国王都にいる貴族令嬢達の中で「誰が相手となるのか」「あの家の令嬢が最有力候補」などと競馬のレース予想のような事がなされていたそうな。
「分かっている! 分かっているが……。私には無理だッ!」
しかしながら、件のイケメン公爵と結婚したのは庭に置かれたテーブルへ両手を荒々しく叩きつけるローズだった。
彼女は国の第一王女であり、彼女が公爵家へ降嫁するのは身分的にも政治的にも間違っていない。だが、貴族令嬢達の立てたレース予想の中では大穴中の大穴である。
まぁ、それも無理はない。第一王女でありながら王女らしい――いや、貴族社会の上位にいる女性として必修であるマナーがまるでなっていない。お茶の一杯ですら、誰もが憧れる国の王女様らしい優雅な所作を披露できないのだから。
現に王都の貴族令嬢ネットワーク内では「はぁ!? アリエネーッ!」「あのガサツで男勝りな王女が!? だったら私の方が数百倍マシでしょ!」と阿鼻叫喚。ローズの結婚を祝う同性はそう多くなかった。
「はぁ、面倒だ」
ローズは姿勢を崩すと椅子の背もたれに背中を預け、股をガッツリ開きながら足を伸ばす。まるで戦場にいる兵士が疲れた時に見せるような姿だが、彼女はだらけきった姿勢のまま顔を空に向けた。
この姿もそこら辺の貴族令嬢が見れば「野蛮! やっぱりローズ様はカール様に相応しくない!」と騒ぐに違いない。
しかし、ローズ自身もこの結婚は「あり得ない」と思っているようだ。
「なんでこんな事に……」
そう。なんでこんな事になったのか。
王女として、王族の女性として、貴族社会で構成された国の女性として、高貴な優雅なマナーや仕来りなど、そういった知識を持ち合わせてない彼女がどうしてハイスペックなイケメン公爵と結婚する事になったのか。
それを語るには、まずこれまでローズが歩んできた半生を振り返らねばなるまい。