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野菜の令嬢は野菜嫌いの騎士に求婚される~夏の残熱~

作者: 伊月ともや

 

このお話は前作の短編「野菜の令嬢は野菜嫌いの騎士に求婚される」の後日談となっております。


 

 万年金欠貧乏伯爵家であるグラシス家の長女、フォリア・グラシスと魔獣領と呼ばれている領地を治めている辺境伯爵家の次男、レウリオ・マルグリッタは婚約中だ。


 黒真珠のような黒髪に、海を閉じ込めたような深く青い瞳を持つレウリオは花形の職業である黒翼(こくよく)騎士団の部隊長を務めている。

 彼は見目も良く、役職もそれなりに高いため、フォリアと婚約した身であるが、他の令嬢達からの熱い視線はいまだに止むことはないらしい。


 レウリオがフォリアと彼女が作る野菜に惚れたことで、半ば一方的に縁談を申し込んできたのが始まりであるが、今は婚約期間であるため、お互いのことをもっと知ろうと、レウリオは騎士団での勤めが休みの日を使ってはフォリアと過ごす時間に充てていた。




「──フォリア嬢。日差しは暑くはないですか」


 前方を進んでいるのは黒い馬に乗っているレウリオだ。彼の少し後方では同じように茶色の毛をした馬に乗っているフォリアがいた。

 フォリアはレウリオの方へと視線を向けつつ、返事を返す。


「このくらい平気です」


 決して、農作業で日差しには慣れている、とまでは言わなかった。


「そうですか。目的地まであと少しですが、もし体調が悪くなったりしたら教えて下さいね」


「はい。お気遣い頂きありがとうございます」


 丁寧な口調で返しているが、レウリオは自分をどこに連れて行くつもりなのだろうと思いつつ、自分が乗っている馬の手綱を握りしめなおす。

 もともと、今日はレウリオが休日であるため、馬で遠乗りしようかと誘ってきたことが始まりだ。


 それならばお弁当を作るとフォリアが提案するとレウリオはこれでもかというほど歓喜した。彼はフォリアが作る料理やお菓子を食べるのが好きらしい。

 たとえ、その中に彼の嫌いな野菜が入っているのだとしても。


 馬はレウリオの家から貸してもらえたので、フォリアはその馬に自ら乗ることにした。


 必要に応じて馬や荷馬車を操る技術を持っているフォリアだが、もちろんその技術は世間が抱く「貴族の令嬢」の印象としては大きくかけ離れているだろう。


 だが、レウリオはフォリアが持っている様々な実用的技術については一切、口に出したりはしない。

 むしろ「凄いですね」と心から思っているような言葉をかけてくれるので彼と一緒に居るのは気が楽だった。


 ……最初はどうしてこの人は私と婚約したいのかと思ったけれど、いざ付き合ってみると想像以上に気が楽だわ。


 レウリオと一緒にいても、自分は素のままでいられる。野菜を作ることも売ることも、馬に乗ることも、剣を振るうことも、料理をすることも──それらは、令嬢らしくはないと自覚はしている。


 だが、レウリオはフォリアが行うことを否定せずに、全て受け入れてくれるのだ。


 ……だからこそ、私もこの人のことを好意的に思っているのかもしれないけれど。


 レウリオはフォリアによくしてくれている。優しく紳士的だが、自分に対する口調や態度の中には確かに愛情のようなものが含まれていると感じ取れていた。


 ……でも、面と向かって愛おしそうな顔をされると、妙に居心地が悪くなるのよね。


 生まれて十七年。レウリオと婚約するまでは婚約の「こ」の字も出ない上に、恋愛さえもしたことがなかったフォリアだ。恋愛に対する知識も経験も圧倒的に不足していることは自覚している。


 レウリオに気付かれないようにフォリアはふぅっと息を吐いた。せっかく婚約したのだから、お互いに距離を縮めていけたらいいと思う。

 それでも、恋愛事に慣れていないフォリアにとっては一つ一つが未知だった。


「もうすぐ着きますよ」


「はい」


 馬をゆっくりと走らせて、一時間程が経っている。最初は一軒家と畑が並んでいる風景が広がっていたが、今は青々とした平野が広がっているだけだ。

 視界の前方には森の入り口と思える場所が見えたため、恐らく今日は森の中で過ごす気なのだろう。


 もちろん、二人きりで。


 ……そう、これは『二人きり』の練習。今後のための、練習……!


 レウリオからすれば大事な婚約者とのデートという認識だが、恋愛事に慣れていないフォリアは今後のための練習だと、別方向の気合を入れているのだった。




 季節は秋に差し掛かり、頬に触れる風が幾分か涼しく思えた。


 もう少し、季節が過ぎればきのこの季節だ。日程を確認してから、グラシス家総出できのこ狩りに行くことになるだろう。


 どんなきのこ料理を作ろうかと考えている途中で、よだれが出てしまいそうになったフォリアは現実へと思考を戻した。


 遠乗りの目的地として、レウリオに連れて来られたのは森の中だ。彼曰くお気に入りの場所だという。

 緑で囲われた場所の真ん中に、小さな湖が広がっている光景はまるで物語に登場する一場面のようだった。


 馬から降りたフォリアも穏やかな風景を目に映して、一瞬で気に入ってしまった程だ。


「……良い場所ですね」


「ええ。それにこの森付近には人を襲う魔獣は棲んでいないので、どうぞ安心して下さい」


「そうなのですね」


 フォリアは視線を湖の方へと向ける。あの湖の中には魚が棲んでいるだろうか。

 せっかくなので、魚釣りの道具でも持ってくれば良かったとフォリアは密かに思ったが、顔に出さないように気を付けた。


「食べられるような魚は棲んでいませんよ」


「……」


 どうやらレウリオにはフォリアの思考はお見通しだったようだ。


「……私、そこまで食い意地張っていませんっ」


 頬を膨らませながら答えるとレウリオは楽しそうに低い笑い声を上げる。


「では、冬になってしまう前に、魚釣りが出来る場所にいつかお連れしましょう。何でも、湖の主と呼ばれている大きな魚が棲んでいるそうですよ」


「まぁ! それはぜひお願いします!」


 思わず即答してしまったことをフォリアはすぐさま後悔する。脳裏に浮かんだのは魚を使ったメニューだ。


 今、グラシス家はレウリオの資金援助によって、以前と比べればお腹一杯に食事が摂れるようになっている。


 それでもフォリアの根っからの貧乏性──いや、倹約家な性質は変わらないため、市場に行ってはよく値切りをするし、自活できる部分は工夫をしながら節約している。

 そのため、魚を自ら釣って、捌いて調理することだって当たり前に出来てしまっていた。


「もうっ……。レウリオ様、わざと私を試していますね……?」


「いや、フォリア嬢が何でも出来てしまうから、他にも何が出来るかなぁと鎌をかけているだけですよ」


「ぐっ……」


「でも、僕としてはフォリア嬢と色んなことを楽しめるから嬉しいですよ? 今日も一つ、こうやってあなたの新しい情報を知ることが出来ましたし」


 レウリオの青い瞳がすっと細められて、愛おしいものを見るような熱が帯び始める。


 その視線に気まずさを覚えたフォリアはすぐに顔を逸らしてから、馬の手綱を近場の木へと括り付けることにした。


「ほ、ほら、もうお昼ですし、昼食にしましょう? 今日は色々と作ってきたんです」


 馬の鞍に下げていた荷物を手に取ってから、フォリアはわざとらしく話を逸らす。


 そんなフォリアに気付いているのか、レウリオはどこか仕方ないなぁと言わんばかりの表情を浮かべてから頷き返した。





 季節が秋になりつつあると言っても、まだ日差しが強いため、フォリア達は木陰に布を広げてから、その上に座ることにした。


 レウリオ曰く、暑くなったらいつでも風魔法で周囲を涼しくすることが出来るから遠慮なく言って欲しいと笑っていたが、今は大丈夫だと返事を返すことにした。


「ふっふっふ……。今日のメニューのテーマはずばり、『夏野菜を克服しよう弁当』です!」


 まだ、夏野菜の収穫時期は終わっていなかったため、材料として使用した野菜は夏に多く食べられるものを使っている。


「わぁ……。お弁当の蓋が開かれる前から、どんな野菜が使われているのか、何となく想像が出来てしまう……」


 お弁当を作ってもらえて喜ぶべきか、それとも野菜がたっぷりの弁当に恐怖するべきか、レウリオはそんな表情をしながら、構えていた。


 ……野菜を前にすると、途端に小さな子どもみたいになるところは可愛いかも。


 普段は紳士的かつ丁寧な物腰のレウリオだが、素は少年のような口調と表情でいることが多い。

 今の彼は後者なのだろう。


 別にフォリアとて、レウリオに嫌がらせをするために野菜を多く使った料理を作っているわけではない。

 レウリオ自身が野菜嫌いを克服したいと思っているので、自分はその手助けをしているだけだ。


 フォリアが作った野菜ならば、何とか食べられるとレウリオは言っていたが、食べる瞬間の表情は端正な顔が驚く程に歪んでいくので、見ているこちらとしては罪悪感の方が大きい。


 フォリアは木製の弁当箱の蓋をぱかりと開けてから、中身をレウリオへと見せた。


「今日の昼食はサンドウィッチと夏野菜をオリーブオイルで煮込んだもの、夏野菜入りハンバーグ、冷製コーンスープです!」


「見事なまでに野菜尽くし……。そして、僕が最も苦手としているピーマンまで……」


 表情が次第に強張っていくレウリオに対して、フォリアはにこりと笑い返す。


「ふふふ……」


「笑顔なのに、目の奥が笑っていない……!」


 フォリアはバスケットの中から、取り分ける皿やフォークを取り出して、レウリオへと渡す。


「さて、どれから食べたいですか? もちろん、残すつもりなんて無いですよねぇ、レウリオ様」


「ううぅ……」


 レウリオが食べ始めるまでに時間がかかることは承知済みだ。何だかんだで、気合を入れることに時間はかかるが、結局は全て完食してくれる。


「い、いただきます……」


 レウリオはついに決心したようだ。

 彼が最初に手を伸ばしたのは、トマトとレタス、ゆで卵、ハムが挟んであるサンドウィッチだ。味付けとして使用しているソースももちろん、野菜が材料として使われている。


 自分よりも四歳も年上のレウリオがサンドウィッチをどこか腫れ物でも扱うように優しく触れて、両手で持っている光景は何とも微笑ましい。まるで初めてサンドウィッチを目にした幼子のようだ。

 よし、と短く気合を入れてからレウリオはぱくり、とサンドウィッチに噛り付く。


「……」


 彼がもぐもぐと咀嚼する姿をフォリアは魔法瓶からカップへと冷製コーンスープを注ぎつつ、眺めていた。


 暫く、無言で食べていたが口の中にあるものを全て飲み込んで、レウリオは不思議なものを見ているような顔をしたまま呟いた。


「美味しい……。……やっぱり、フォリア嬢が作った野菜は何故か食べられるんだよなぁ。他の野菜だと拒否反応が出るのに……」


 独り言のような呟きにフォリアはくすりと笑ってしまう。自分が作った野菜を美味しいと言ってもらえるのは作り手にとっては喜ばしいことだ。


「レウリオ様は普段、サンドウィッチを食べたりしないんですか?」


 何気なく訊ねるとレウリオはどこか気まずそうな顔をしたまま答えた。


「サンドウィッチを食べることはあるんですが、中身は卵のみの場合が多いですね。……サンドウィッチの中に野菜が入っている場合は同僚の分の中にこっそりと混ぜています。もちろん、ばれないように」


「まぁ……」


 レウリオは騎士団に勤めているが、食堂を利用する時でさえ、野菜を一切食べないという。

 以前、自分が購入した料理の中に野菜が入っていた時があったらしいが、その際には近くにいた同僚の口にすぐさま野菜を突っ込んで、そして怒られたと言っていた。それ程、野菜は嫌いなのだ。


「でも、フォリア嬢が作ったサンドウィッチは本当に美味しいです。野菜は瑞々しい時が一番美味しいと聞きますが、あなたが作ったものはまさにそれです。野菜が口に入る瞬間まで生きているような味がします」


 レウリオはにこりと笑ってから、手もとに残っていたサンドウィッチを全て食べ切っていた。よほど、食べやすかったのだろう。

 もし、気に入らなかったらどうしようかと思っていたが、食べてもらえてほっとしていた。


「あ……」


 サンドウィッチをもう一切れ、食べようとしていたレウリオの口元にソースが付着しているのを見つけたフォリアは小さく笑って、ハンカチを手に取ってから右手を伸ばした。


「レウリオ様、口元にソースが付いていますよ」


「え?」


 フォリアが手を伸ばしてきたことに驚いたのかレウリオは動きをぴたりと止めた。その一瞬を見逃さず、フォリアはハンカチでレウリオの口元をすぐさま拭った。


「ふふっ。夢中になる程、気に入って頂けて嬉しいです」


「……」


 まさか、口元が汚れたまま勢いよく食べていると自身で気付いていなかったようで、レウリオは気恥ずかしそうに頬を赤らめていた。


 ……そういう表情をされると、こちらとしては心臓に悪いわ。


 いつもは爽やかな笑顔で飄々としているので、年頃の少年のような反応をされると胸の奥が妙にむず痒くなってしまう。


「ありがとうございます。……フォリア嬢の口元にソースが付いていた時はぜひ、僕にお任せを」


「……何をするつもりですか」


「それはもちろん、舐めとる……」


「そんな破廉恥なことは却下ですっ!」


 だが、たまにこうやって紳士らしからぬことを口走るので調子に乗らせないように注意しなければならない。

 フォリアはぷいっと視線を逸らしつつ、自分もサンドウィッチに手を伸ばした。


「婚約者ならば普通のことだと思うけれどなぁ」と意味ありげに呟くレウリオの発言は無視である。


 レウリオはその後も、フォリアが作った冷製コーンスープや夏野菜入りハンバーグを美味しそうに食べてくれていた。


 以前はひき肉を購入出来る経済状況ではなかったが、レウリオのおかげでグラシス家の食料事情は大きく改善された。

 安い肉を買うことが出来るようになり、料理の幅も増え、そして弟妹達には美味しい食事を提供出来るようになったので、レウリオには深く感謝している。


 ちらりと視線をレウリオへと向ければ、彼は再びサンドウィッチに手を伸ばしている最中だった。

 野菜を食べる際には必ず自らを鼓舞しているようだが、一度食べてしまえば、本当に野菜が嫌いなのかと思えるほどに、ぱくぱくと食べていく。


 ……騎士団に勤めている人だから、食欲があると思って多めに作ってきていたけれど、あっという間に食べ終わりそうかも。


 自分が大事に育てて、作り上げた野菜を美味しいと言って食べてもらえると、頑張って作った甲斐があるというものだ。


 しかし、フォリアは見逃さなかった。

 全く手が付けられていない一品があることを。


「……レウリオ様」


「う……」


「レ、ウ、リ、オ、様?」


「ぐ……」


 苦しそうな表情で視線を逸らしているが、現実からは逃れられない。


「どうして、夏野菜をオリーブオイルで煮込んだ料理──の中に入っているピーマンはお食べになられないのでしょうか?」


 黒い感情を完全に抑え込んだまま、フォリアはにこりと笑う。


「ほらほら、私が作ったものは何でも食べられるのではなかったんですか?」


「くぅ……。だって、ピーマンだけは……ピーマンだけはっ……!」


 子どものように青い顔をしたまま、レウリオは首を横に振り続ける。他の野菜と比べて、ピーマンに対する感情は複雑なようだ。


 確かに子どもの多くはピーマンが苦手だと聞いている。グラシス家は食べられるものは何でも食べる家なので、好き嫌いは全く無く、フォリアの弟妹もピーマンは大好きだった。


 そのため、目の前で好き嫌いをする子どものように首を振り続けるレウリオのことを少し可愛らしく思ってしまった。


 しかし、それはそれ。このお弁当はレウリオの野菜嫌いを克服するために作ったものだ。彼が食べなければ意味がない。

 それをレウリオ自身も自覚しているのだろうが、やはり本能的に野菜を拒絶してしまうようだ。


「悲しいです……。せっかく、レウリオ様のために心を込めて、作ったのに……」


 フォリアがしゅんと項垂れた様子を見せると、レウリオは次第に焦り始める。

 しかし、何かを決意したのか、真剣な表情で訴えてきたのである。


「フォリア嬢がこのピーマンを『あーん』してくれるならば、食べられそうな気がする……!」


 どこか縋るように宣言したレウリオに対して、フォリアは一瞬だけ固まってしまう。


「それと無事にピーマンを食べることが出来たならば、ご褒美を所望します!」


 レウリオは更に重ねてくる。むしろ、彼にとってお得なことしかないのではと思える提案だ。


 ……でも、レウリオ様が野菜を食べようとする気持ちが大事なんだから。


 きっかけはどうであれ、野菜嫌いを直したいと努力しているレウリオは大変好ましく思える。それならば、自分は彼のために手助けするだけだ。


「分かりました。でも、無理をしないで下さいね? 無理をして食べて、更に嫌いになってしまったら、意味がありませんから」


 フォリアの言葉に了承するように、レウリオは何度も縦に頷き返す。

 そんな素直なところも好ましいと思いつつ、フォリアはフォークでピーマンを一切れ、突き刺した。


「それじゃあ、レウリオ様。行きますよー。はい、あーん」


 フォリアはにっこりと笑ってから、フォークで突き刺したピーマンをレウリオの口元へと躊躇なく運ぶ。

 恥ずかしいという気持ちが一切沸かないのは、弟妹達に向けて食べさせている感覚と似ているからだ。


 大抵の人はピーマンの苦みを嫌っているとのことだが、恐らくレウリオもそうなのだろう。


 ……でも、この人、確か体力を回復させる薬草を生のままで、もりもりと食べていたような……。あの薬草、凄く苦いのに。


 「野菜」という定義の食べ物が苦手なのか、それとも薬草は体力を回復させるために無理をして食べているのか、どちらなのだろうか。

 そんなことを思って考えていると、レウリオの顔がぐいっと自分の方へと近づいていた。


 そして、意を決したような表情を浮かべつつ、彼はぱくり、とピーマンを食べたのである。


 ……おお、見事な食いつきっぷり。


 口の中に含んだピーマンが苦かったのか、途端にレウリオの顔は泣きそうな程に歪んでいく。


 目の前にいる彼は、人に危害を及ぼす魔獣を冷徹に屠っている騎士だと聞いているが、今のレウリオは親から無理矢理に嫌いなものを口に入れられた子どものように情けない顔をしている。


 ……両目から涙が出てしまう程、辛いのね。


 嫌いな食べ物が一切存在しないフォリアには理解出来ない感情だが、苦しみながらも必死にピーマンを食べてくれるレウリオを愛おしく思えるから不思議だ。

 恐らく今、抱いている感情は婚約者というよりも、母親に近い心境なのだと思う。


「……無理ならば、吐き出して下さっても……」


「んーっ、んっー!」


 レウリオは口を閉じたまま、首を横に振る。何が何でも飲み込むつもりらしい。

 フォリアが作った野菜は食べられると言っていたが、ピーマンだけは例外なのだろうか。


 ……せめて、苦みが抑えられるように工夫していかないと。


 今後の野菜作りの方針を考えていると、どうやらピーマンを飲み込むことが出来たようで、飲み物としてカップに注いでいたお茶をレウリオはあおるように飲み干した。

 口の中に残っている苦みをどうにか無かったものにしたいのだろう。その様子はあまりにも必死だった。


「……食べ、終わった……」


「お、お疲れ様です……」


 お茶を何杯か、連続して飲み切ったレウリオはかなり疲弊しているようだ。


「うーん……。ピーマンを食べるにはまだ、早かったようですね」


 暫くピーマン料理は出さないようにしようかとフォリアが悩んでいると、レウリオは苦笑しながら首を横に振った。


「ですが、ピーマンをちゃんと最後まで飲み込めたのは初めてです。やはり、フォリア嬢が作った野菜は僕にとっては特別なようですね」


「……そうですか?」


 特に何か工夫を施しているわけではないため、フォリアは不思議そうに首を傾げることしか出来ない。


「ええ。一人で野菜を食べる練習をしようと、試しにあなた以外の人間が作った野菜を口に含んだのですが、秒速で噴き出しましたから」


「……」


 真顔でさらりと言っているので事実なのだろう。

 しかし、何かを噴き出すレウリオの姿を想像するのは難しそうだ。彼の顔があまりにも端正過ぎるので、自分の想像力が追い付かなかった。


「でも、ちゃんと食べて下さったので嬉しかったです。ありがとうございます、レウリオ様」


 フォリアはにこりと笑ってから、その場に広げていた弁当箱や皿を片付け始める。それらをバスケットの中へと片付けて、この後はどうしようかとレウリオに訊ねるために顔を上げた時だ。


 それまでは嫌いな野菜を食べるために必死な表情をしていたレウリオだが、今は何故か余裕のある笑みを浮かべていたのである。


 ……あ、この笑顔は何だか悪い予感がする。


 獲物を狙う狼のような瞳を穏やかな表情で隠しつつ、レウリオは膝をフォリアの方へと進めてくる。


「えっと、レウリオ様……」


 何故、彼は自分の方へと近づいてくるのだろうか。


「頑張って、ピーマンを食べたのでフォリア嬢からご褒美を頂こうと思いまして」


「は、はぁ……。それで、どのようなご褒美を所望で……?」


 自分の手元には、レウリオに対してご褒美になりえるものなどあっただろうか。

 フォリアが更に首を傾げるとレウリオはにっこりと笑ってから答えた。


「ご褒美、頂きますね」


「え……──」


 それまで、開けていた視界に影が差す。気付いた時にはレウリオの左手がフォリアの右肩を掴んでおり、逃げられないように固定されていた。それだけではない。


 端正な顔がいつの間にか目の前にまで来ており、レウリオの唇がフォリアのものに重ねられていたのである。


「っ!?」


 レウリオの突然の行為にフォリアは肩をびくり、と震わせる。口付けという行為をレウリオと何度か行ったことはあるが、それでも回数は少ない。

 しかも、そのほとんどが軽い感じでの口付けだったが、現状はどうだろうか。


 それまでは空いていた右手を使って、レウリオはフォリアの後頭部に手を回して、更に動けないようにと固定してくる。


「んっ……。あのっ……息、がっ……」


「こういう時は、口ではなく鼻で息をするといいですよ」


 今、そのような助言を求めているわけではない。目の前のレウリオは余裕を保ったまま、フォリアの唇を味わうように何度も()んでくる。

 あなたが嫌いな野菜を食べた後だぞ、とは決して言わないが。


 気を抜いた瞬間にレウリオがフォリアに触れたり、唇を奪うのは婚約当初からよくあることだが、慣れないものは慣れない。そして、今は室内ではなく外である。


「レウ、リッ……さま、ここは外です……!」


 身をよじりながらフォリアが必死に抵抗すると彼はこてんと首を傾げつつ、何でも無さそうに答えた。


「心配しなくても外部から見られないように、魔法で結界を張っていますよ。つまり、この場は僕とあなただけの世界ということですね」


「っ……」


 そんな高度な魔法を何故、この場で惜しみなく使っているのだろうかという疑問はとりあえず、置いておこう。


 しかし、いつの間に結界など張っていたのだろうか。フォリアとて、魔力を持っている身だが、魔法を使った気配など全く感じられなかった。


 やはり、騎士として最前線で魔獣と戦っているレウリオの実力は計り知れないものだと妙な方向に感心するしかない。


「んっ……」


 何度も、何度も確かめるように唇が重ねられていくうちに、フォリアは身体の温度が熱くなっていくのを感じた。


 気恥ずかしさと戸惑いと、もう少し手加減して欲しいという感情でぐちゃぐちゃになり、やがて瞳には薄っすらと涙が浮かんでしまう。


 きっと顔も真っ赤になっているに違いない。そんな姿をレウリオに見られることも恥ずかしいというのに、顔を隠すことさえ、許してもらえないのだ。


 ……やっぱり、お弁当にピーマンを入れてきたことを怒っているの?


 もし、そうだとしたら、何という仕返しの方法だろうか。しかし、考える余裕さえも打ち消すようにレウリオは更に深い口付けを落としてくる。


 このままではそのうち、口の中へと舌を入れられかねない。そんなことをされてしまえば、この身は恥ずかしさで爆発してしまう。


 すると、ある程度は満足したのか、レウリオの顔は少しずつ離れていった。

 とりあえず、これで彼が所望していた「ご褒美」とやらは終わったことになるのだろうか。


 そして彼はフォリアの顔をうっとりと見つめてから、感嘆するように呟いた。


「……涙を浮かべる姿も可愛らしいです。……このまま押し倒してしまいたい……」


「っ……。そ、そんなことをしたら、全力で抵抗します……!」


「抵抗する姿も見てみたい……」


「くっ……」


 今のレウリオには何を言っても無駄だろう。恍惚に陥っている時の彼は熱に浮かされ、溺れているような状態だ。

 フォリアが何を言っても、彼にとって都合の良いように受け取られてしまうのだ。


「僕の下で必死に抵抗するあなたは、きっと最高に可愛いのでしょうね。早く結婚して、一日中あなたを愛でたい……」


「……」


 昼間から何を言っているのだろうか。股間でも蹴り上げてやろうかと思ったが、それは本当に手を出された時に取って置くべきだ。


「ほら、そうやって反抗的な瞳も可愛らしさが増長されるだけですよ」


「レウリオ様くらいですよ。私のことを心底、可愛らしいなんて仰るのは」


 二人きりの時だと、レウリオは砂糖よりも甘い言葉を自分へと吐いてくるのが常となっていた。


 以前、彼が勤めている騎士団の詰め所に連れて行ってもらったことがあるのだが、その際には部隊長らしく毅然とした態度で部下達に接しており、表情を緩めることなど一切無かった程だ。

 なので、本当に同一人物かと疑ってしまいそうになる。


 フォリアの言葉に、レウリオはどこか不服そうな表情をしてから──突如として、押し倒してきたのである。


「っ!? ちょ、あのっ……」


 これにはさすがのフォリアも驚いてしまう。

 しかも、ちゃっかりと股間が蹴り上げられないようにフォリアの両足は彼の足によって組み敷かれてしまっているため、力が入らない。


「僕が本気になれば、あなたを押し倒すことなんて、簡単なんですよ」


「ひっ……」


 フォリアはこう見えて、力はある方だ。力作業だって出来るし、いざとなれば剣を握って、領地に侵入して来た魔獣と戦うことも出来る。

 これまではお金がなかったので、ギルドなどに登録して実力を確かめる機会はなかったが、B級にランク付けされている魔獣を屠ることだって出来るのだ。


 だからこそ、失念していたのかもしれない。やはり、男女には力の差が出てしまうということに。


 フォリアの両腕はレウリオの左手一本で簡単に掴み上げられてしまっている。下半身も動けないため、抵抗という抵抗が出来ない状態になってしまっていた。


「は……破廉恥ですよ……!」


 唯一出来る抵抗は言葉と視線によるものだが、それは全て無意味だった。むしろ、それによって、レウリオを更に煽っていることは自覚していない。


「……あなたはもう少し、自覚して欲しいな。僕はこれでも抑えている方なのに、そうやって何度も煽るんだから……。結婚前だというのに、本当に手を出してしまいたくなる」


「そっ……」


 それは自分のせいではないと言いたかったのだが、再びレウリオの唇が自分のものへと重ねられたことで言葉は途切れてしまう。

 本当にレウリオに食べられているような状況だ。


「──フォリア、好きですよ。気が狂いそうになる程に、あなたのことを愛しています」


「っ──」


 身体全てを溶かしてしまうような甘い声が耳元で囁かれる。その声に痺れて動けなくなるのは何度目だろうか。


 ……うぅ、恥ずかし過ぎる。


 今日は普通に馬で遠乗りをして、お弁当を食べて、森を散策する予定だったはずだ。本当ならば、こんな予定ではなかったはずなのに。


 しかし、フォリアは決断する。これ以上、この男を調子に乗らせてはならないと。


 空いている右手を使われて、この身に手を出される前に自分が先手を打たなければならない。

 気付かれないように心の中で深呼吸してから、フォリアはその時を待った。


 フォリアが抵抗しなくなったことに油断したのか、レウリオは一度、唇を離していく。その際に彼が押さえ込んでいたフォリアの両腕の拘束はほんの少しだけ緩まった。


 この瞬間を狙っていたように、フォリアは勢いをつけて、レウリオの額へと思い切りに──頭突きした。


 

 ──ゴンッ。


「っ──!」


 呻くような短い声がレウリオの口から漏れたと同時に、自分を抑え込んでいた手が完全に離れていくのを見逃さなかったフォリアはすぐにもがくようにしながら、レウリオの下から抜け出す。


 そして、レウリオと距離を取るように立ち上がったフォリアはにやりと笑った。


「ふ……ふふ……。油断しましたね……。こう見えて私、石頭なんです」


「まさか、頭突きをしてくるなんて……」


「自分の得意武器は隠しておくものですよ」


 レウリオは涙目になりながら額に手を当てつつ、同じように立ち上がった。相当、痛かったのだろう。

 しかし、フォリアは後悔などしていない。もともと、手を出そうとしたレウリオが悪いのだからと態度を改めなかった。


「大体、このような場所で……そ、その、はっ、破廉恥、なことをする方が悪いのです……!」


 びしっと人差し指をレウリオへと向けつつもフォリアの頬は紅潮したままだ。


「私は謝りませんからねっ……!」


 ぷいっと顔を逸らしつつ、フォリアは腕を組む。自分の額は全く痛くはないのだが、レウリオは暫く痛みが続いているようだ。


「申し訳ない。僕も少しだけ、調子に乗り過ぎていたようです……。……あなたが本当に僕の婚約者だということを認識しては、嬉しさで感情が昂ってしまうんです」


「少しは自制して下さいっ!」


「怒っていますか……? 許可なく、あなたを堪能したことを」


 レウリオは水で濡れた犬が耳を垂らしているようにしょんぼりと悲しげな表情をする。


「ぐっ……。そ、んな……令嬢受けが良さそうな表情をしても、私は……」


「僕のこと、嫌いになりました……?」


「くぅ……」


 フォリアは目の前の表情に弱い。普段は爽やかかつ凛としているレウリオが甘えるような表情をするので、その際に起こる激しい温度差によって、心臓が高鳴ってしまうのだ。


「う、あ……うっ……。き、嫌いには……なりません……」


 完敗である。無理である。

 目の前の子犬のような表情に厳しい言葉をかけることが出来るわけがない。


「良かった……。……まぁ、あなたに嫌われてしまっても、逃すつもりはありませんから」


 最後に聞こえた一文は無視しておこう。いつものことだ。


「でも、そうですね……。お詫びとして、次の僕の休みには王都で人気のケーキ屋に行きませんか」


「ケーキ……」


 思わず、ごくりと喉の奥が鳴ってしまう。いや、自分は食い意地が張っている人間ではない──と思いたいが、身体は正直である。


「そこのケーキ屋のおすすめはですね、雲のようにふわふわとした食感のケーキだそうです。そこにクリームや蜂蜜をかけて食べるそうですよ」


「ふわふわ」


「ええ、ふわふわです」


 じゅるり、とよだれが垂れそうになってしまったフォリアはぐっと堪えた。これでも貴族令嬢だ。よだれを垂らすことなど出来るわけがない。


「なので、そのふわふわでとても美味しいケーキをフォリア嬢にお詫びとしてご馳走しようかと思いまして。いかがでしょうか。……食べたいですか?」


「食べたいです!」


 即答である。やはり、食い気には勝てなかった。

 そんなフォリアを見て、レウリオはどこか安堵するような笑みを浮かべる。


「……まぁ、でも、フォリア嬢の唇に比べたら、それ以上に甘いものなんてありませんけれどね」


「そういうところですよ、レウリオ様! 一言多い!」


「おっと、僕としたことが。つい、心に思ってしまった事実を口走ってしまいました」


 わざとに決まっているため、フォリアは小さく睨むだけに留めておいた。


「でも、機嫌が直ったようで良かったです。……さて、心もお腹もいっぱいになったことですし、少しだけ湖の周りを散歩しましょうか」


 まるでお姫様を相手しているような笑顔を浮かべて、レウリオはフォリアへと手を差し出してくる。


「……」


 結局のところ、自分もレウリオに心底惚れてしまっているのだろう。先程の深くて甘ったるい口付けに対して、怒りなど一切沸いていない。

 ただ、恥ずかしくて、そして──求められたことが嬉しかっただけだ。


 もちろん、本人に伝えることはしない。毎度のこと、あのように押し倒されてしまえば、自分の心臓が停止しまいかねないからだ。


 ふっと短く息を吐いてから、フォリアはレウリオの手に自分の右手を重ねる。


「それでは行きましょうか、僕のお姫様。ゆっくりとご案内致しましょう」


「お姫様扱いは止めて下さい……」


 一度握ってしまえば、もう離すことは出来ないと思える程に、強く握り返される。

 こうやって触れることは嫌いではない。むしろ、お互いの温度を確かめることが出来るので、結構好きだ。


 レウリオから受ける愛情は確かに大きすぎる時はあるものの、嫌だと感じたことはない。


 ただ、日に日にレウリオともっと触れ合いたいと思ってしまう自分がいて、気恥ずかしさによる自己嫌悪に陥ってしまうだけだ。


 ……私も自分で自覚している以上にレウリオ様のことが好きみたい。


 レウリオのために、美味しい野菜を食べさせたいと思うし、彼のために愛情に応えたいとも思う。

 結局は全て、レウリオが好きだからという気持ちに辿り着いてしまうのだ。


 ……これは想像以上に重症かも。


 自分もいつのまにかレウリオという人間に溺れてしまっていたのかもしれない。

 そんなことを思っているとレウリオがフォリアの顔を覗き込んできた。


「どうかしましたか?」


 彼は本当に自分の様子を機敏に察してしまう嗅覚を持っているようだ。


「レウリオ様の次のお休みが楽しみだなぁと思いまして。雲のようにふわふわのケーキなんて、初めてです」


「きっと気に入ると思いますよ。……そうだ、お土産用としていくつか購入しましょう。ぜひ、ご家族に渡して下さい」


「宜しいのですか?」


「グラシス家の皆さん、甘いものもお好きでしょう?」


「ええ! ありがとうございます、レウリオ様。気遣って頂いて」


「いえいえ。あなたのご家族は自分にとっても、新しい家族になるのですから」


 家族、その言葉にフォリアは再び顔を赤らめてしまう。確かに言葉にすれば、今後はそういう関係になるのだろうが、直接言われて照れないわけがない。


「ふふっ、また赤くなっていますよ」


「……」


 フォリアはふいっと視線を逸らすがそれでも手はしっかりと握ったままだ。


 身体中が熱いのはきっと、過ぎていったはずの夏の熱がまだここに残っているからだ。そう思いたいのに、繋がれた手からは新しい熱が生まれてしまう。


 ……季節が変わっても、この熱はずっと続きそうね。


 フォリアはくすり、と小さく笑う。


 激しくなくていい。この柔らかな温度が続くだけで、自分は幸せだ。

 密かに幸せを噛み締めつつ、フォリアはレウリオの隣で緩やかに笑っていた。



 


               完



  

  

 

前作の「野菜の令嬢」の後日談でしたが、いかがだったでしょうか。

想像以上にありがたい反響を頂けて、嬉しさのあまり、後日談を書いてみました。


そして、今日更新している活動報告の方にはフォリアとレウリオのキャラデザを載せています。お目汚しになるかもしれませんが、気になる方がいれば、どうぞご覧くださいませ。


また、「野菜の令嬢」の今後について、少しだけ活動報告に書いています。更に後日談を書くか、もしくは連載出来たらいいなぁ、なんてことを綴っています。


読んで下さり、ありがとうございました!!

 

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― 新着の感想 ―
[一言] レウリオ様甘〜い\(//∇//)\ 早速の続編ありがとうございました(๑˃̵ᴗ˂̵) フォリアちゃんの作ったピーマンならパクパク食べれるのかと思っていたらそうでもなかったところが今後どう変わ…
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