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3話「幼馴染みに絶対言えない秘密がある少女」







 夜になろうと、都市は眠らない。

 無人化された運送車両や街灯、不夜城のごときオフィスビルの灯りが途切れることはない。

 多国籍企業オムニダイン・グループの企業城下町たるこの都市は、インフラのあらゆる場所にオムニダインの息がかかっている。

 いたるところに設置されたカメラ群によるリアルタイム監視システムもその一つで、急速な発展を遂げていったこの街の治安は、監視社会という単語を具現化したようなシステムに守られていた。


――テクノロジーによって制御された人の悪徳。


――科学によって拡張される知性と抑圧される獣性。


――宗教に代わる新たな経典としての科学。


 エーテル・リアクターの実用化後、一早くエーテル関連技術に手をつけたオムニダイン創業者の思想そのもの。

 その社是は現代にまで脈々と受け継がれ、この都市という形で芽吹いていた。

 住民の平和と安全を保証し、適切な労働と報酬と休養、社会保障に守られた科学万能時代の理想世界ユートピア

 その恩恵が嘘ではないから、多くの人間がここに集っている。

 樹液にたかるカブトムシのように。


「ほんと、バカみたいだね」


 誰の耳にも入ることのない独白と共に、ベルカ・テンレンは自宅の一室で情報端末に向かい合う。

 ベルカとて何も、幼馴染みの動向を把握するためにハッキングしているわけではない。

 天真爛漫な天才美少女という表の顔ではない、もう一つの裏の顔。

 決して幼馴染みには見せられない活動のために、あどけない少女は都市監視システムを利用し、ときに欺いている。

 かねてから目をつけていた施設――オムニダイン傘下の企業が入る予定のビル――に不自然な人の出入りを確認。

 おそらく近隣で事件が起きても、警察はそれを閲覧することすら叶うまい。

 都市の真の支配者たるオムニダインもまた、裏の顔を無数に持った多頭蛇ヒュドラだ。

 オムニダインやその同盟者たちの暗躍は、密かに不気味な怪事件をいくつも引き起こし、都市伝説を作り出していく。

 科学万能時代にあるまじきオカルト全盛期。

 それもまた、この都市の嘘偽りない姿なのだ。


 曰く、人食いの怪物。

 曰く、幽霊の軍隊。

 曰く、赤いマントの殺人鬼。

 曰く、海を渡ったジャージーデビル。

 曰く、蘇ったヒバゴン。

 曰く、UFOを隠蔽する黒服たち。

 曰く、現代の毒ガス男。

 曰く、髑髏の死神。


 その大半は大昔の流言飛語の焼き直しであり、事件や事故を面白おかしく脚色した後世の創作のデッドコピーにすぎない。

 だが、ベルカは知っている。


 いくつかの噂は真実、この都市に巣くう陰謀の一端であり――自身もまたその一部なのだということを。


 自室の情報端末を閉じて立ち上がる。

 集めていた情報が正しければ、おそらく今夜、奴らはことを起こす。

 根も葉もない噂話に紛れたおかげで、ベルカのこれまでの活動は奴らに察知されていない。

 ラフな部屋着――シャツとジーンズ姿の彼女は、一見すればあどけないミドルティーンだ。

 同年代の平均身長未満、一五〇センチと少しの背丈に豊満な胸のふくらみ。

 くりくりとした青い瞳に素晴らしい蜂蜜色の金髪。

 成熟し始めた曲線を描く肢体は、やわらかくしなやかな少女の美を宿している。


 けれど。

 この肉体のありようは偽りの姿。

 それは幼馴染みのイヌイ・リョーマとて知らぬこと。

 ベルカ・テンレンという名前を、彼女が得たのは養父に引き取られてからであり――それ以前は人間ですらなかった。

 姿見の前に立ったベルカは、鏡に映るおのれを無言で見つめた。

 何の感情も浮かんでいない顔。

 一枚一枚、衣服を脱ぎ捨て、一糸まとわぬ姿になったベルカ・テンレンは、灯りのない部屋の中で呟いた。


「擬態、解除」


 肉体が作り変わる。

 通常物理法則に則って構築された物質態が否定され、幻影物質ファンタスマゴリア・マテリアルによる肉体再定義が発生。

 一気に質量が増大する。

 骨格ごと作り変わっていく肉体――身長も肩幅も増していき、成人男性のそれに軽々と追いつく。

 それは異形のモノだった。

 まず、毛髪がない。

 それどころか毛皮も皮膚もなく、発達した外骨格が鎧のように肉体を包んでいる。

 生き物というよりも、生物的な意匠を持った甲冑とでもいうべき造形。

 人類が生成に成功した数少ない外宇宙技術の複製品――かつてそれは、とある組織によってこう呼称されていた。




――超人兵器〈二八号〉。




 ゆらりとうごめくようにして、室内からそれの姿が消えた。

 人間の目はそれを視認できない。カメラはそれを記録できない。

 暗い青の人影が、夜闇を駆け抜ける。

 恐怖をもたらすことで、あらゆる悪を闇に葬り去るために。









 夜風が吹く。

 月明かりなどなくても、文明の灯が夜闇を駆逐して久しい。

 寂れた地方都市に過ぎなかった都市を、経済発展の中心地に押し上げた大企業――それがオムニダインの表の顔だ。

 しかしインフラの再開発と称して、彼らが地上から地下にまで手を加えた都市のあちこちには、意図的な空白地帯が存在している。

 いくつもの高層ビルが建ち並ぶオフィス街の中でも、有数の一等地。

 オムニダインが所有する高層ビルの屋上――ヘリポートとして整備されたそこもまた、その例にもれず監視網の死角として作られていた。

 当然だ。

 これより行われるのは人目を忍ぶ秘儀――由緒正しき神秘学オカルティズムの最先端なのだから。

 地上一〇〇メートルの屋上に無数の人影があった。

 その中でも一際目立つのは、顔の上半分を隠す仮面を被った人影――赤いドレスに身を包んだ怪人。


 浮世離れした美貌の、若い女だった。

 その口元を見る限り、まだ少女といっていい年頃であろう。

 揺れる亜麻色の髪――日中、イヌイ・リョーマへシンシアと名乗っていた少女であった。

 ドレスのように優雅でありながら、コルセットのように躰を締め付ける戦闘服に身を包み、少女は眼下の都市を一望する。


――光。何百万もの命の営みの証。


――今宵、生け贄として消費されるものたちの色。


 シンシアとは人間としての名前。

 偉大なる組織の上級エージェントとしての名は――バロネス。

 彼女の周囲では合成亜人間レプティリアンの兵士たちが、一糸乱れぬ動きで配置についている。

 人工皮膚によって一見、人と変わらぬ容貌だが、彼らは人と似て非なる生体兵器であった。

 重量のあるボディアーマーを着込みながら、二四時間、疲労することなく動き回れる肉体と命令に従順な頭脳。

 人間よりも安価で強靱な肉体を持つ安価な自律無人兵器――彼らが携行するのは、分間一二〇〇発の銃弾を吐き出すオムニダイン製短機関銃だ。

 ビルの階下には、このレプティリアンの兵士たちと、それを指揮する下級エージェントが控えている。

 万全の警備体制であった。


――我々はより多くの知識を、異界から得なければならない。


 かつて人類は、エーテル・リアクターという無限のエネルギーを手に入れた。

 しかしそのテクノロジーが何処からもたらされたのか、真実を知る人間は限られている。

 エーテルと呼ばれるもの――虚空元素、幻影物質とも呼ばれるそれは、本来、この宇宙にありえない異端のテクノロジーである。

 この世界に豊かさをもたらした来訪者エイリアンたちは、異界からのマレビトだ。

 本質的にこの基底現実と相容れない異界存在たちは、自らに住みよい新世界を作るために人類の文明と歴史をねじ曲げた。

 その成れの果てのユートピアが現代である以上、それを盲信する人間が出るのも必然だった。

 十分に安全性が立証されていない異端科学を崇拝し、濫用する科学者・企業体・軍部の結びついた巨大組織――マジェスティックと呼ばれる秘密結社はそうして誕生した。


――そのための召喚式、そのために集められた都市の住人たちだもの。


――だから、これは仕方のないこと。


 知るものは少ないが――人間は魂を持っている。

 虚空元素、幻影物質などと呼ばれるエーテル体は、高次元の情報記録媒体であり、永久機関を実現するために欠かせないファクターだ。

 内燃機関に代わる新エネルギーたるこの奇跡を手にして、人類の文明は飛躍的に発展を遂げた。

 あるべき戦争を回避し、あるべき対立を消滅させ、あるべき貧困を一掃した。

 この世界は豊かで満ち足りている。

 世界のどこかに貧しさや理不尽を押しつけて、自分たちだけが繁栄する愚かな旧世界は一掃されようとしている。

 先人たちの築き挙げた理想世界が、まだ人類を救えていないのは、善導が足りないからだ。

 組織の理想に殉じるべく育てられたバロネスも、いずれ、名もない犠牲の一つとして新世界の礎に捧げられるだろう。


――ああ、なのに。


 ちくり、と胸が痛む。

 街で偶然知り合っただけの少年の顔が、脳裏をよぎった。

 おのれの感情など、崇高な使命に比べれば取るに足らないものだ。

 そのはずだった。

 いずれにせよ、もう儀式は決行される。

 バロネスがたたずむこのビルそのものが、巨大な魔法陣を内部に組み込まれたエーテル増幅機構。

 異界よりマレビトを招くための門であり、その燃料としてこの都市に集められた人間の魂は消費されるのだ。

 無論、せっかく集めた生け贄を一度で全滅させるような真似はしない。

 数百万人から収集されるエーテル体の量は膨大だが、一人一人の消耗は些細なものであろう。

 精々、明日、体調が悪い人間が増えるだけのこと。

 幾人かの運の悪かった生け贄は、その魂のすべてをマレビトに貪り食われるだろうが――それが顔見知りである確率など天文学的なものだ。


「これは愚劣な人類が、真なる霊長へと進歩するための犠牲。人類という種にとって、偉大な一歩だから――きっと赦される」


 独りごちたバロネスは、ふと、視界の隅に違和感を覚えた。

 暗い。

 再開発されたオフィス街は、人工の照明にあふれている。

 この儀式のため建築されたビルも例外ではない――だというのに、光源から発される光がバロネスの視界に届かない。

 まるで深夜、月明かりさえ雲に隠れた真の夜闇のように。

 異様であった。

 戦闘服に内蔵された通信機に、異常を伝えようとして。

 異様な音が聞こえた。

 ざ、ざ、ざざざざ、ざざざ――砂嵐のごとき不快な音。

 電波妨害だ。

 掠れたような人の声が聞こえる。

 悲鳴と銃声が重なって聞き取れない――連続する発砲音だけが通信越しに響いて、そして、何も聞こえなくなった。

 階下の部隊が何者かに襲われている。

 バロネスは苦々しげに口元を歪めた。


「――襲撃です。怪しいものを見かけ次第、射殺しなさい!」


 レプティリアンたちに命じて周囲を警戒させる。

 合成亜人間は夜目が利く。

 如何なる手段での妨害であれ、彼らの目を、夜闇に紛れて免れるなど不可能。

 それから何秒経ったろうか。五秒、一〇秒、あるいは三〇秒――それとも数分は経っただろうか。

 儀式の実行時刻が近い。

 瞬きをした、そのとき。


――死神がやってきた。


 まず音もなくヘリポートに穴が開き、何かが飛び出してきた。

 ヘリポートの隅に配置されていた、四体の合成亜人間が、何もできずに切り裂かれた。

 数メートルの間隔をおいていたにもかかわらず、瞬時に血煙が舞った。

 まるで芝刈り機で刈り取られた雑草のように、人間と似て非なるモノたちの腕が、足が宙を舞う。

 切り裂かれたボディアーマーの断面から、蛍光塗料のように毒々しい合成血液が吹き出した。

 反射的に発砲しようとしていた指が、空中で銃の引き金を引く。

 めちゃくちゃな方向に飛んでいく銃弾を合図にして、二〇体はいる他のレプティリアンたちが一斉に銃火を放った。

 音もなく現れた人影に動じることなく、短機関銃を目標のいる場所――四体のレプティリアンが惨殺された地点へ照準。

 数発ごとに切り撃ちし、弾倉交換のタイミングをずらすことで絶え間なく放たれる銃弾の雨。

 かれこれ一分は続く銃火の中、バロネスは奇妙なことに気づいた。


――銃声が、聞こえない?


 音は聞こえる。

 だが、耳をつんざくような短機関銃の発射音にしてはあまりに小さく、小鳥のさえずりのように頼りない。

 これは敵の攻撃だ。

 おそらくは五感に作用するようなエーテル操作――バロネスと同じ種類の異能を持った超人。

 闇が濃くなった。ほんの一〇メートルほどの距離なのに姿が見えなくなる。

 レプティリアンたちの姿も、何も見えなくなって。

 真っ二つに引き裂かれたレプティリアンの死骸が、おもちゃ箱の中身のようにぶちまけられた。

 暗い青色。

 ごろごろと転がる腕、足、頭を足蹴にして、ダークブルーの人影が現れた。

 全身にプロテクターのような外骨格を身にまとった、身長一八〇センチほどの男――見たところ武器の類は見あたらない。

 素手でレプティリアンを惨殺したというのか。

 骸骨のような白い仮面が、ぼうっと暗闇に浮かび上がる。


「……髑髏の、死神……」


 バロネスは思い出した。

 昼間、イヌイ少年との雑談の中で躱した他愛のない話題――蘇ったド田舎の珍獣ヒバゴンや赤いマントの殺人鬼などと同じ、根も葉もない都市伝説を。

 この都市の暗闇に潜み、何処かへと生者を連れ去る死神。

 髑髏の頭を持った怪人の名は――




「――実在したというの、スカルマスク!!」




 超人兵器〈二八号〉は、無感動な瞳――髑髏の仮面の奥に埋め込まれた光学素子で敵を見据えた。

 敵の被った仮面の効能なのか、相手の容姿に関する精確な認識は不可能。

 音声照合も不可。

 おそらくは〈二八号〉の持つ認識阻害結界・暗黒領域ダークフィールドと同種のエーテル操作の産物。

 まあいい。

 敵が何者であれ関係ない。

 それが少女のかたちをしていようと、実態がそれに即しているとは限らないのだ。

 あの兵士たちが、人の皮を被った合成亜人間、生体ロボットの類でしかないように――異端科学崇拝組織マジェスティックの尖兵にとって、姿形など何の意味もない。

 ベルカ・テンレンだったもの――〈二八号〉/スカルマスクがそうであるように。

 超人兵器〈二八号〉は、電子戦能力すら持つ完全自律型の人型兵器である。

 階下の敵兵は掃討済み。

 であれば、気兼ねなくこのビルの仕掛けを破壊できるというものだ。

 しかし最後の敵は〈二八号〉の予想を超えていた。


「あなたがマジェスティックの障害となる前に――こここで仕留めさせてもらう!」


 赤いドレスの裾が、ふわりとはためいて。

 バロネスの仮面の奥、二つの瞳が煌々と輝いた。

 瞬間、電磁波を遮蔽する暗黒領域に光源が生まれた。

 紫色の輝き――オーロラのように揺らめく妖しい光が、巨人のかいなを形作って飛来する。

 〈二八号〉は迷わず跳躍。

 轟音。

 粉々に砕け散った建築素材と死骸のミックスされた破片がぶちまけられた。

 ヘリポートに大穴を開けたそれは、幻影物質ファンタスマゴリア・マテリアル――この世ならぬエーテル体で編まれた異形異能の力だ。

 コンマ数秒回避が遅れていれば、スカルマスクとて損傷は免れなかったであろう。

 即座に、レプティリアンから奪い取った短機関銃を照準、引き金を引く。

 ボディアーマーを貫く高初速弾の雨がバロネスを襲う。

 だが、届かない。

 空中で静止した弾丸が潰れて、頼りなく重力に引かれて落下。

 揺らめく紫色の光のカーテンが、あらゆる物理干渉を遮っていた。


「攻性キネシス……超能力者か」


 くぐもったスカルマスクの声は、奇妙な残響を伴っている。

 声帯ではなく、スピーカーから発せられる合成音声の響き。


「儀式の邪魔はさせない――死んでください!」


 嵐のように、光の腕による殴打が襲い来る。

 それは音速を超えて飛来する疑似質量体のハンマー、巨人が振るう鉄槌にも似た破壊の権化だ。

 ヘリポートはものの数秒で陥没だらけの瓦礫の山と化し、使い物にならなくなっていた。

 回避を続けるスカルマスクは、エーテル体の隙を縫うようにして銃弾を届かせようと射撃を続け――撃ちきった。


「ちぃ!」


 弾切れの短機関銃を投げ捨てる。

 〇・四秒後、バロネスの放ったエーテルの巨腕がそれを粉砕した。

 巨人の拳打の嵐を前に、スカルマスクはなすすべなく逃げ惑うのみ。

 紙切れのように人体を引き裂くスカルマスクに、近寄る隙を与えない――バロネスの能力は、このエーテル体で編まれた疑似質量を自在に振るうこと。

 単純極まりない力押しであるがゆえに、暗黒領域の効果が途切れた今となっては隙がない。

 銃弾は彼女に届かない。爆弾の爆風も破片も彼女を傷つけることはない。

 ゆえに人は決して、この怪物に勝てない――そう、相手が人であるならばバロネスの敗北はあり得ない。


「――そろそろか」


 〈二八号〉/スカルマスクは冷たい目で超人を見据えている。






 突然、ヘリポートのドアが勢いよく破られた。

 バロネスが目を向けると、そこにいたのはオムニダイン製のガードロボットだった。

 鳥足型の関節が特徴的な法務執行ドロイドは、強力な大口径機関銃を内蔵している。

 異変に気づいたセキュリティシステムが、スカルマスクを排除しに来たのだとバロネスは信じた。

 だが。


『侵入者を排除します』

「なっ!?」


 ドロイドの腕部機関銃が火を噴いた――バロネスに向けて。

 不意打ちであった。

 彼女は、辛うじて展開したエーテル体で弾を防いだ。

 無線通信を通じたハッキングで、オムニダイン謹製のセキュリティシステムはスカルマスクに掌握されていた――超人兵器〈二八号〉の支配下に置かれたガードロボットの奇襲。

 この一瞬に生じた隙に、スカルマスクは超能力者を無力化すべく突撃。

 ドロイドの機関銃の無力化と、スカルマスクの迎撃――その両立を迫られたバロネスは判断を誤った。

 まず重機関銃を止めるべく、ドロイドに巨人の拳を打ち出してしまったのだ。

 銃弾を止める盾と、ドロイドを攻撃する拳。

 相手がただの人間なら残りのエーテル体でも難なく迎撃できただろう。

 だが、しかし、スカルマスクは人ではない。

 電光石火。

 気づいたときには、目の前に白い髑髏されこうべが浮かんでいた。


「ひっ――」


 思わず悲鳴をあげたバロネスを、誰が責められようか。

 脳裏に、バラバラになった合成亜人間たちの死骸がフラッシュバックする。

 死ぬのか。

 こわい。

 いやだ。


――ああ、だって、まだ。


――あの人とお話ししたいことが、たくさんあるのに。


 着任した土地の下見をするはずが、道に迷った自分に、親切にしてくれた人。

 客観的に見て、世間ズレした自分を珍奇に思うことなく、下心もなく優しくしてくれた。

 くだらない雑談に、くだらない買い食い。

 そんな何でもないことが、楽しいと教えてくれた彼。



「――イヌイ、くん」



 こぼれたのは愛おしい少年の名前。

 瞬間、腹に突き刺さるような衝撃。

 破壊されて機能停止したドロイドの足下に、赤いドレスの少女が転がっていく。

 息ができない。

 うつぶせになって倒れたまま、彼女は、バロネス/シンシアは必死に呼吸を試みる。

 あまりに強い衝撃に、むせるように喘ぐことしかできなかった。


「げほっ、ごほっ……! かひゅー、ひゅー……」


 内蔵は傷ついていない。

 痛みはあるが、致命傷にはほど遠い。

 力加減して蹴り飛ばされたのだと理解する。

 どうして。

 わからない。

 顔を上げてみる。

 髑髏の死神の姿は、忽然と消えていた。

 現れたときのように、天井を穿って階下に降りたのかもしれない。

 追撃しようと思えばできた。

 なのにシンシアは、惚けたようにうずくまっていることしかできなかった。









「遅かったか」


 あの上級エージェントとの戦闘で時間を使いすぎた。

 スカルマスクの目的は、このビル――否、ビルに見立てた召喚装置の破壊だった。

 高層ビルを人体に見立てた巨大な循環器系――それがこのビルに埋め込まれたエーテル増幅回路であり、単純な物理破壊で無力化すると二次災害を引き起こす厄介な代物だ。

 ビルを基部から爆破するような安直な方法を使えば、周囲に増幅したエーテル波を放出、凄まじい衝撃波をまき散らすと来ている。

 その場合、三〇キロトンのエーテル爆弾に匹敵する破壊が市街地で引き起こされる。

 夜間とはいえ、オフィス街でそんなものが炸裂すればどれだけの犠牲者が出るか考えたくもない。

 ヘリポートに設置されていた増幅回路は破壊できたから、当初の目的は八割方、達成されたと言えなくもないが。


「不完全な門でも、フェーズ3の実体化には十分か」


 高層ビルの中内部に設けられた立体駐車場――異界への門を開くその場所に、毒々しい光が集っていた。

 凝縮されたエーテルの光。

 虚空元素、決してこの世に存在するはずがない幻影ファンタスマゴリアのごとき物質。

 人類が原子力の代わりに手にした力は、その量と密度を高めることで別次元からマレビトを呼び込む。

 異次元からの侵略者――波動情報生命体と呼称されるものたちを。


 空間が軋む。

 びりびりと大気が震え、ビル全体が地震に襲われたように振動していた。

 目も眩むような高密度エーテルによって実体化しつつある巨影。

 うごめく巨人の手足があった。

 太陽のようにらんらんと輝く眼球を見た。

 剣のごとき牙の生えた口が見えた。

 まだ躰の一部しか現れていないにも関わらず、二〇メートル以上はある異形。

 〈二八号〉/スカルマスクの肉体と同じ、物質化したエーテルによる肉体――桁違いの規模を持つそれが顕現すれば、この地上は異世界になり果てるだろう。

 それが今よりも幸福なものなのか、おぞましいものなのかはわからない。

 だが、そこに今日の延長線上にある明日はやってこない。

 スカルマスクは静かに、右手を前に突き出した。

 黒鉄色の腕。

 〈二八号〉/スカルマスクがどうしようもなく異形である証――そう、人間ではないことの証明。

 昔、そこに重ねられたぬくもりがあった。




――超能機構・振動破砕を起動。




 スカルマスクの躰が震える。

 永久機関であるエーテルリアクターを内蔵した肉体が、その腕を出力装置として大量のエーテル波を放出。

 エーテル振動波――周囲の物質と空間に干渉し、致命的な崩壊を引き起こす攻性波動兵器だ。

 泣き女バンシーの金切り声にも似た異音――死を告げる甲高い泣き声が響き渡る。

 あらゆるものが分解され、崩壊していく。

 立体駐車場の床が砂のように崩れ、天井が崩落した。

 それはエーテル体とて例外ではない。

 真っ向から、マレビトの躰を構築するエーテル体を破壊し、無へ還元していく――巨影が身じろぎして悶えていた。

 スカルマスクの腕がひび割れ、ボロボロに崩れていく。

 傷一つなかった胸部装甲に亀裂が入った。

 エーテル振動波の攻撃転用は、減衰させてなお、自らの肉体をも欠損させていく両刃の刃だ。


「痛いな」


 独り言に応えるように、声が聞こえた。

 大いなる巨影が語りかけてくる。

 そうも傷ついてまで、今の世界に執着する価値はあるのかと。

 優しく穏やかな冷笑――上位者の口ぶり。


「なるほど、たしかにこの世界は手遅れだ。人類は愚かだ。我々は異物だ」


 否定はすまい。

 超人兵器〈二八号〉がこの世に生まれ落ちたことが、その証明なのだから。


「だが貴様らの存在を、私が赦す理由にはならない」


 どんなに救いようがない陰謀が渦巻いていようと、スカルマスクがすべてを諦める理由にはならない。

 エーテル体が消し飛んでいく。

 降臨せんとしたマレビトの断末魔が聞こえた。




「――砕け散れ」




 〈二八号〉/スカルマスク/ベルカ・テンレンは笑う。

 自らを呪うように。








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