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1話「幼馴染みに通い妻状態で攻めていく少女」



挿絵(By みてみん)


Nitoさんの支援絵「ベルカ・テンレン/スカルマスク」 ※無断転載禁止











 たぶん、最初から人間にも世界にも期待なんてしていなかった。

 この命が助かったのはただの偶然で、利害調整の些細な産物だと知っていた。

 硬く尖った黒鉄色の腕、おのれが異形である証。

 肉を切り裂き、鋼を引き裂くための肉体。





――この世界に、ヒーローなんていない。





 それでも、重ねられた手のぬくもりは忘れられなかった。

 手を伸ばして、あなたに追いつきたかった。









 爽やかな朝だった。

 抜けるように青い空、小鳥のさえずり、澄んだ空気のにおい。

 少しひんやりとした風が気持ちいいのは言うまでもない。

 しかも休日である。

 最高だった。


「それじゃ父さん、イヌイさんのとこ言ってくるからねー!」


 朝が弱い養父に一声かけた後、少女は玄関から歩み出た。

 美しい少女であった。


――つまり美少女だからね!


 ベルカ・テンレンは自他共に認める美少女である。

 開口一番、おのれの容姿を誇る女などろくな性格ではあるまいと余人は言うだろうか。

 なるほど、この推察は的を射ている。

 ベルカは十代半ばにして傲岸不遜であり、また天才であった。

 生まれたそのときに二本の足で立ち上がって「天上天下唯我独尊」と言ったとか言わないとか、まことしやかにささやかれる程度に才気あふれていた。

 凡夫が二〇年も三〇年もかけてようやく身につける知識や技能を、カップラーメンでも作るような気安さでマスターしていく学習の天才である。

 いわゆる神に愛された一芸の天才と比すれば、器用貧乏という言葉を使いたくなるかもしれないが――その天才たちとて努力で才覚を磨いているのだ。

 凡俗から見ても天才から見ても腹が立つタイプの超人であった。

 つまり万事に強い生き物なのである。


 そして美少女である。


 ミルク色の白い肌によく映える、西洋人形のように整った造形の顔――あどけない顔立ちに、優しげなタレ目が愛嬌を与えている。

 南国の海のように澄んだ青い瞳は、彼女の先祖が北方の生まれであることをを主張。

 長く伸ばした蜂蜜色の髪は、耳の下で二つ結びにしてまとめている。

 同年代と比しても背が低い、小柄な体格と相まって小動物めいた印象――されどその胸部は豊満であった。

 巨乳(大きな乳房を指す俗語。煩悩を克服できず、このように下卑た表現を持つこと自体、人類が絶望的に愚かな証拠だとベルカは思う)である。

 青いワンピースの胸元を押し上げる膨らみは、幼馴染みの気になるあいつを制するための武器。


――朝だ、突撃だ!


 この世界は豊かさにあふれている。

 大昔、二〇世紀初頭に実用化されたエーテル・リアクターによって人類が飛躍的に発展を遂げ、平和のうちに世界統一政府が樹立したのは一般常識である。

 多国籍企業オムニダイン社のお膝元である都市は、近年の再開発によって急速に発展を遂げている。

 巨大な経済のうねりは良かれ悪かれ、その土地に住むものに大きな影響を与える。

 家族ぐるみで付き合いのあるイヌイ家もその例にもれず、朝早くから父母が不在であった。

 オムニダイン関連企業に勤めるイヌイ家の母と、長期入院を余儀なくされている父――在宅の仕事が多いテンレン家が、もとい下心ばりばりのベルカがその世話を買って出たのはそういう事情があった。


 住宅街の一角に、イヌイ家はあった。

 二階建ての一戸建ての玄関に合い鍵を差しこむ――この瞬間の得も言われぬ高揚感!

 幼馴染みの役得である。


――素晴らしいね、この通い妻っぽさ!


 朝からテンションが高いベルカだが、別に変な薬物を常用しているわけではない。

 しいていうなら乙女心がもたらす効能である。

 時刻は朝八時半を過ぎている。玄関の靴を見た――どうやらこの家の妹君はいないらしい。

 チャンスだった。


「おっはよー、リョーマ! ご飯作りに来たよ、起きろ!」


 幼馴染みの少年の名を呼ぶ。

 ドアが開閉音、続いて階段が少し軋む音。

 平日は早寝早起きを基本とするイヌイ・リョーマは、やや不機嫌そうな顔で二階から下りてきた。

 この分だと、週末はだらしなく夜更かししてみるという思春期の男の子全開の不摂生をしていたらしい。


「おはよう、ベルカ……お前、朝から元気いいな」


 イヌイ・リョーマは精悍な少年である。

 いわゆる映画スターのような二枚目ではないものの、大昔の時代劇に出てくる侍みたいな顔つきをしている。

 笑っているとひょうきんに感じるが、顔が険しくなると凄みがある。

 眼光鋭く、タフな男になりそうである。

 昔は背丈もベルカと大差なかったのだが、父親の血筋なのか、近頃はもりもりと成長している。

 もうすぐベルカとの身長差は二〇センチを越えるだろう。

 生意気である。


「あれ、ナツミはどうした」


 玄関の収納棚の上に書き置きがあった。

 さっと目を走らせたベルカは、ふにゃりと顔を歪めた。


「自慢ではないけど、わたしはキミの妹さんから嫌われているのですっ!」

「おう、本当に自慢することじゃないぞ」


 メモ帳の切れっ端をひらひらと揺らし、リョーマに見せびらかす。


「兄貴はこの人に泣かされないよう頑張ってください、って書き置きして先に家を出たよ-?」

「泣かされるの俺なのか……」

「そりゃまあ、わたしはリョーマに泣かされることないと思うし」

「ベルカってひどいこと言うよな」


 イヌイ・リョーマとベルカの付き合いは長い。学校(この場合、統一中央政府によって定められた若年者向けの義務教育を行う教育機関を指す)の初等部からだから、もう七、八年は顔を合わせているだろう。

 二人が十代半ばであることを考えれば、人生の時間の半分ぐらいは一緒にいた計算になる。

 気心知れた仲にもなろう。


「簡単なご飯作っちゃうから、顔洗ってきなよ」

「いつも、ありがとな」

「ふっふっふー、代償は高くつくのです」


 なんじゃそりゃ、と言いながら洗面所へのしのし歩いていくリョーマの背中は、一年前よりずっと大きかった。

 眼を細めてそれを見守るベルカは、靴を脱ぎそろえて台所に向かう。

 二つ結びにされた蜂蜜色の髪が、犬の尻尾みたいにぶんぶん揺れていた。









 ベルカ・テンレンはあざとい女である。

 もちろん、すべては計算に基づく演出であり作為しかない。

 あざとさは兵器だ。

 原始時代は腰ミノ姿でダンスを踊って求愛していたが、文明が進歩した昨今は違う――たぶんボディコン姿で踊り狂う人種は野生に回帰したのだろう――のだ。

 思春期の女学生たちが作り上げる部族社会(人間は頭のよくなった猿なので、基本的に習性が猿と変わらないのは周知の事実である)において、畏怖をもって讃えられる勇者であった。

 というか、ハングリー精神ありすぎでやや引かれている。

 そんなこんなで幼馴染み大好きなのが周知されている彼女だったが――


「……悪い虫の気配がする」


 特に科学的裏付けのない勘であった。

 リョーマに朝食を作った後、合法的通い妻ムーヴによって着々と既成事実を積み重ねていくノルマを達成(イヌイのおばさまとの仲もばっちりだ)。

 近所の自宅に戻って、養父の仕事に関する雑談と夜の雑事の準備をして過ごし、ランチを食べた昼下がり。

 嫌な予感がしたベルカは、おもむろに自室の情報端末を立ち上げた。

 彼女は天才なので、街中の監視カメラをハッキング――リアルタイムの映像情報を引っこ抜く。

 違法行為だがバレてないのでセーフ。

 いた。

 見慣れた少年が、知らない女と一緒に街を歩いていた。

 決断的に立ち上がった。


「父さん、わたし用事ができた!」


 真剣な表情だった。





「うおおおぉおおおおーーー!」


 自転車で道路を爆走する少女(背が低くておっぱい大きい)がいたと思っていただきたい。

 ベルカ・テンレンは天才なのでハッキングはするが、交通ルールを守る淑女だった。

 自動運転車のレンタルサービスを使わず、動力補助つき自転車を頼っているのは小回りが利くからだ。

 

――誰だよあの女ァ!


 ベルカは自信家だが、幼馴染みに近寄る泥棒猫には敏感であった。

 可能性があるなら除去すべきだ、早急に。

 監視カメラで観測した最終地点の近辺を重点的に捜索――顔見知りの主婦への挨拶も忘れない。



 走り回ること五分、目標は見つかった。



 そこにはものすごい美人(未知の女に対する表現。ベルカ・テンレンがナルシズムに目覚めたわけではない)がいた。

 亜麻色の髪が、はらりと揺れる。

 リョーマと一緒にいた謎の女――亜麻色の君は浮世離れした美少女だった。

 具体的な描写はさし控えよう。

 今、ベルカ・テンレンの心に去来した衝撃を表現するには、空白こそが最も相応しいのだから。

 儚げで、綺麗な人だった。

 白のフリルブラウスを着るために生まれてきたような容姿――なんだこの男の子のファンタジーから抜け出してきたような生き物は。

 全身が総毛立つのを感じながら、ベルカは声を張り上げた。


「へいへいへーい、そこのイケてる男子、お茶しない!?」


 幼馴染みエントリー!

 ボーイ・ミーツ・ガール気取りの泥棒猫を威嚇しつつ、華麗に自転車を停車。

 きぃーっと甲高いブレーキ音がした。

 吃驚したような様子で、リョーマがこちらを振り返った。すぐに何とも言えない生暖かい目線になった。


――おいやめろ、なんだその可哀相な子を見る目は。


「ベルカ、お前もうちょっと落ち着きを……」

「ガッデム! わたしがいながら浮気デート!」

「勝手に修羅場をこしらえるのをやめろ」


 しかめっ面で応じるリョーマは手慣れたもので「またか」という呆れ顔だった。

 リョーマは腕組みしながら、亜麻色の君の方を向いた。


「あー、すいませんね。ちょっと俺の友達が春の陽気に誘われて乱入してきたみたいで」


 珍獣みたいなあつかいに、ベルカは無言で抗議――にらみつけると少年は目を逸らした。


「私は構わないわ、イヌイくん。ええっと、はじめまして――私はシンシア。イヌイくんに道案内をしてもらっていたの。私って方向音痴みたいで、いつも助けてもらっていて」

「こちらこそ、はじめまして。わたしはベルカって言います。そっちのリョーマくんの近所に住んでる幼馴染みです」


 先ほどまでの奇行はどこ吹く風、ベルカはすまし顔で自己紹介。

 しかしその胸中は穏やかではなかった。

 親しげだ。

 無駄に親しげだ。

 いつも助けてもらってるってなんだ、逢い引きか。

 疑問が無限にループする中、笑顔だけは完全であった。

 アイドルをプロデュースする職業の人が「決め手は……笑顔です」と勧誘してくるであろうレベルの完全な笑みだった。

 得体の知れない圧力に、リョーマの顔が険しくなっているのは言うまでもない。

 しかしシンシアは、余裕綽々で暴言を言いはなった。


「近所の幼馴染み――なんだ、雑魚か」

「雑魚ォ?」


 ベルカの顔が男子諸君にお見せできない感じになった。

 ホラー映画みたいな迫力あふれる顔面――悪鬼羅刹のごとき眼光だった、と形容しておこう。

 一〇〇年の恋も冷めるかもしれない鬼の形相である。

 ちょうどシンシアのからだが死角になってそれを見ていないリョーマは幸運だった。


「こう見えて私は少年漫画を嗜んでいるの、あなたもラブコメを読むといいわ。幼馴染みは敗者であり弱者――存在価値が見あたらないって様々な名作で語られているもの」

「創作と現実の区別つけなよ……」

「ふふふ、ごめんなさい。私ったらまたイヌイくんに会えて浮かれているみたい。きっと運命ね、これって」


 完全に喧嘩を売られている台詞だったが、妄言としか思えなかったのでベルカは寛容になった。

 白昼堂々、頭のおかしい女がのたまう反・幼馴染みキャンペーンを真に受けるほど暇ではないのだ。

 そう、夜勤明けの労働者が真昼の住宅街でプロパガンダをまき散らす選挙カーに青筋を立てる感じで。

 つまりむかついている。


「それじゃあイヌイくん! また会いましょう!」


 自分をボーイ・ミーツ・ガールのヒロインと勘違いした美少女(美しい少女のこと。人間は視覚情報に好悪を左右される動物なのだ)が上機嫌で去っていく。

 後ろ姿まで完璧に浮世離れしていた。

 歩き方など不思議の国の姫君と言われても納得できる。


「――で?」

「いいか、お前が思ってるような浮ついた話じゃない。昼飯を食べに街をぶらついてたら、毎度毎度、きょろきょろ挙動不審で困ってる風の女の子がいるんだ。それがシンシアさんで、なんか懐かれた」


 ベルカの放つプレッシャーにも動じず、ふてぶてしくリョーマは事情を説明。


「街に出てくる度に迷子になってる女の子を放っておくのも目覚めが悪いだろ」


 この幼馴染み、変なところで嗅覚が鋭く、なんだかんだで自分に悪意を持ってる相手とそうでない相手の見分けがつく。

 お人好しではあるが、引き際というものを弁えているのだ。

 であるからして、おのれの行いには一分の非もないと主張している。


「……そういえば、なんでお前がここにいるんだ?」

「友達がオカルト研究サークルやっててさ。その取材協力で走ってたら、リョーマがいたので、つい」


 少女は息を吸うように嘘をついた。

 しかし嘘はついていない。

 ベルカ・テンレンの親友の一人は、アマチュアながらオカルトライターの真似事をしており、ベルカもその助手をよく引き受けている。

 元々、古い伝承や新興の都市伝説の類には事欠かない都市なのだ。

 この手のオカルト話には需要も供給もたっぷりあるから、ネタには事欠かない。

 件の友人の意向で本格的な検証記事にすることも多いから、ベルカのような助手がいると大助かりなのだ。


 リョーマはふと、心配そうに少女の方を見た。

 彼の方が頭一つ分は大きいから、見下ろされるような形になるのが悔しい。


「取材って現地調査とかするのか? 幽霊より、変質者やチンピラの方が怖いだろ」

「まあ、だよね。流石に肝試しの真似事はしないよ。図書館で資料を漁ったり、近所の人に尋ねるだけだから安心して、リョーマ」


 アマチュアのオカルトライターの真似事に命をかけていられるものか、と肩をすくめる。


「それがいい……その、ベルカは美人なんだから悪い虫だってよってくるだろ。気をつけろよ」


 放任主義の養父よりもよっぽど保護者らしいことを言ってくるリョーマ。

 心なしかその顔は赤く、照れくさそうに目を逸らしていた。

 かわいい。

 すっごくからかいたくなった。


「ほっほーう? 悪い虫と言ったね、リョーマ。それってわたしの目の前にいる男の子も入りますー?」

「ばっ、お前、あのなぁ!」


 別れ際には、すっかり謎の美少女のことを忘れるベルカだった。







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