五:ウィー・ニード・レボリューション!(後編)
いやいやいやいや! 何言ってんの!
とか
は? なんで?
とか
それだけは絶対に嫌だ!
とか、言いたいことは色々あったけど、僕がそれを口にする前に、とんでもなく大きな声が割って入った。
「そ、それは本当ですか、雫さん⁈」
「あらカイトさん、こんにちは。今日も子供たちのお世話、ご苦労様です。保育士さんって大変ですよね」
「くぅうううう! 今日も尊い! 笑顔が尊いですね、雫さん! その笑顔だけで、俺は今日何も食べなくても生きていけます!」
「うふふ、そんなのダメですよー。ちゃーんとご飯、食べてくださいね?」
「あぁああああ! 優しい! 優しすぎるっ! その優しさだけで俺は――――ってそうじゃなくて!」
びしぃっと僕を指さし、大きく見開いた目で僕を見据えてカイトさんは言った。
えらく騒々しい人だなぁ。本当に保育士なのか?
「この男と一緒に住むというのは本当ですか⁈」
「えぇ、本当です」
「なぜ⁈」
あぁ、いい質問ですね、カイトさん。
貴方が来なければもう少し早く聞けていたんですけどね。
後すごくどうでもいい事なんですけど、イサオとかタケシとか、そういう名前の方が似合うと思います。見た目的に。
「んー、研究所の人からそう言われたから?」
なんで疑問形なんだ。というか、そんな事があるはずがない。
「僕と出会ってから、まだ研究所の人とは顔を合せていないんだけど」
「さっきCMSUにメールが来たんです」
「CMSUの電源は切ってるって言ってなかった?」
「AIの電源だけ落として、基本機能の方は使えるようにしてるにきまってるじゃないですか、馬鹿なんですか?」
「何のひねりもない罵倒をありがとう。そしてふざけるな。君と一緒に住むなんて断固お断りだ」
「何故だ⁈」
「あの、すみません。少しだけ静かにしててもらえますか、カイトさん?」
というか、貴方は僕が彼女と一緒に住むことに反対してたんじゃないんですか。
「雫さんと一緒に住みたいと言ったやつが、俺を含めてどれだけいる事か……それを! お前みたいなポッと出のやつに!」
あぁ、なるほどなぁ、と。
ごちゃごちゃと何か言っているカイトさんを眺めながら、僕は納得した。
雫の能力、「魅了」。
彼女は全ての生物に愛される。
その愛され方には個体差があるということだったけど……どうやらこれ位の歳の男性にとっては、「恋の対象」としての愛され方をするらしい。
かく言う僕も、最初は一目ぼれしちゃったわけだし。誠に遺憾ながら。
なんにせよ、そういう事なら話は早い。
僕は色々な感情を消し去って、にっこりと笑って、カイトさんに言う。
「大丈夫ですよ。僕は絶対に、この人の事を好きになったりしませんから」
「……? それはどういう……?」
【彼は能力持ちのスリーパーです。能力は「感情制御」。雫さんの「魅了」の効果を受けません】
「なるほど……しかしそれは、その気になればいつでも好きになれるってことじゃーーーー」
「あはは、大丈夫ですよ。一度「魅了」抜きでこの人と会話したら分かりますけど、好きになる要素がひとっっっつもないので」
「な、なんだとぅ⁈」
いや、何故そこで怒る。
まぁ説明はこれくらいでいいか。
魅了にかかった人間の相手はこんなにめんどくさいのかと、僕はつくづくうんざりした。
これはもう洗脳に近いんじゃないのか。
「じゃ、そういう事なので。雫、案内して」
「ま、待て! 話はまだ――――」
「せんせーやめとこーぜー。男の嫉妬はみにくいって母ちゃんが言ってたー」「わたしもそうおもーう」「あきらめようぜ、先生」
「っぐ……」
あきらくん、君はつくづくいい仕事をする子だ。
僕は心の中で彼に御礼を言いながら、そそくさとその場を後にした。
「口ではなんやかんやと言いつつ、私の家に来たかったんですね、楓さん。うふふ、体は正直、というやつですね」
「んなわけあるか。あの場を収めるのに、一番手っ取り早い方法だと思ったんだよ。ほら、早く研究所への行き方教えてよ」
カイトさんはじめ、子供たちから遠ざかったところで、僕は切り出した。
あの場でごちゃごちゃやり取りするのが面倒だったからああ言ったけど、この子と暮らすなんてまっぴらごめんだ。そもそも意味が分からない。
「んー? 行ってどうするんですか?」
「必要最低限のモノをもらうんだよ。スリーパーなら、貰えるんだろ?」
「あなたはもらえませんよ?」
「だからそういう嘘は……」
「はい」
「なにこれ、メール? というかさっき言いそびれたけど、電波って通ってるん……だ……」
メールを読み進めるにつれ、僕の声が小さくなっていく。
そこにはこうあった。
『一条楓 様
コールドスリープからの解凍、お疲れ様です。
ご存命であった時代とは、がらりと変わってしまったこの世界、色々と不便に思う点などあるかと存じます。我々「人類保護機関(Human Protection Agency)」が全力でサポートいたしますので、ご不明な点等ございましたら、遠慮なくご連絡ください。
なお、当面の住居ですが、白絹雫宅に一部屋空きがありますので、そちらをお使いください。
現在、他に工面できる住居は一切ございません。ご容赦ください。なおCMSUのアップデート、通貨の配布につきましては明日――――』
「ね?」
「まじか……」
くらくらとする頭を押さえて、僕はCMSUを雫に返す。
「さぁさぁ観念して付いて来て下さい。もうすぐそこですから」
にやにやと笑う雫の後を、僕は釈然としない思いを抱えながら付いて行った。
スリーパーがどの程度の頻度で目覚めているのか知らないけど、これだけ土地があって、建物も建っていて、人一人住むことができないなんておかしいじゃないか。
第一――――
「君は嫌じゃないの?」
「何がですか?」
「同じ屋根の下に、会ったばかりの男がいるなんて。普通嫌だと思うんだけど」
「なんだ、そんな事ですか。丁度、奴れ……お友達が欲しかったんですよ。ほら、私寂しがりなので」
「おい今なんて言おうとした? 奴隷? 奴隷って言おうとした? 絶対ならないからな!」
「あー、もうきゃんきゃんきゃんきゃんうるさい人ですねぇ。発情期の犬ですか? 去勢しますよ」
【僭越ながら、去勢しても夜鳴きや要求吠えは必ずしも改善されません。黙らせる方法としては、少々不適切かと】
「あらあら、AIさん? ツッコむところはそこじゃーーーー」
瞬間。
きぃぃいん、という鋭い金属音と共に雫の足元で何かが弾けた。
石畳の道路に勢いよく当たり、そのまま真上へと舞い上がったそれは、くるくると回転し、そして地面に落ちた。
からんからんと軽快な音を立てて転がった棒状の物を、雫が黙って取り上げる。
「……何、それ?」
【鉄製の矢ですね。形状、材質から判断するに、クロスボウで打ち出されたものだと思われます。ボウガン、と言った方がイメージしやすいでしょうか】
「当たったら死にます?」
【……分かりませんが、狩猟用にカスタマイズされている様に見受けられます。当たり所が悪ければ、或いは。すみませんが周囲の様子を見せてもらえますか?】
なんでそんなのがいきなり……。
疑問に思いながら、CMSUを胸ポケットから取り出し、ぐるりと辺りの様子をAIに見せる。
【……矢の着地点と周囲の建物の形状から、犯人の場所を算出……特定しました。犯人らしき人影はありません。既に立ち去った後でしょう】
「そんなことまで分かるんですか」
【えぇ。あくまで私のデータ内にあるボウガンの飛距離から推測できる範囲内には、ですが】
それでもあの一瞬でそこまでの情報を精査できるなんてすごいことだ。
僕はAIをちょっと見直しながら、雫に声をかける。
雫は拾った弓矢を見つめたまま、動かない。
「雫? その、大丈夫?」
「――――――しい」
「え? なんて?」
「ふふ……」
長い黒髪で顔が覆われていて、表情までは分からなかったけど。
その時一瞬聞こえた彼女の声は、今日一日で聞いたことのなかった声音だった気がした。
「手紙を付け忘れるなんて、おっちょこちょいですねー」
「は?」
「ほら、よくあるじゃないですか、矢文、でしたっけ?」
いや、よくあるわけないし、なんならボウガンで矢文なんて聞いたこともない。
そうツッコもうとして、僕は口をつぐんだ。
彼女がそう言う事にしたがっている気がしたから。
これ以上詮索するなと、そう言っている気がしたから。
僕は出かかった言葉を全て飲み込んだ。
「さぁさぁ、こんなところで足を止めてる暇はありません。もうお腹ぺこぺこです。早くお家に帰りましょう」
「……あぁ、そうだな……」
彼女に先導されながら、どこかさっきより華奢に見える背中を見ながら、僕は考える。
さっきの矢は僕と雫、どちらに当てようとしていたのかと。
僕が狙われる理由は正直よく分からないけれど、雫が狙われる理由の方が、もっと思いつかない。
全ての生物から愛される彼女が、命を狙われることなんて。
そんな事があるのだろうか?
◆◆◆
「ささ、遠慮なくどうぞー」
「お邪魔します……」
住宅街から少し離れた小高い丘の上に、雫の家はあった。
白塗りの外壁はとても洒落ていて、文明が崩壊する前でも十分通用するようなデザインだと思った。
可愛らしい木製の門を開けると、小さな庭が広がっていた。
こちらもよく整備されていて、センスを感じる。
ただ、ところどころ芝生が枯れているように見えるのは気のせいだろうか?
「時間も時間ですし、早速ご飯にしましょうか」
「賛成」
扉をくぐるとすぐにリビングがあった。
ブーツを脱ぎ、部屋に上がると、足の裏から気の温かさが伝わってくる。
手際よく暖炉に火をつけ、食器を並べる雫を見ながら、僕は自分が手伝わない方が効率が良さそうだと思い、話しかけた。
「随分手際がいいね」
「もう目覚めて二年になりますし、慣れちゃいました」
「そうだったのか」
二年間、既にこの世界で彼女は暮らしている。
一体どんな風に生活を切り盛りしているのだろうか。
そもそも、目覚めた時はどんな状況だったのだろうか。
そして――――
『私は……電源を切っていますから』
『この人は、今日から私と一緒に住むんです』
『きぃぃいん、という鋭い金属音と共に雫の足元で何かが弾けた』
この数時間で、聞きたいことは山のようにできた。
白絹雫という人物を、僕はまだ把握しきれていない。
けれどまぁ、とりあえず今はありがたく夕飯をいただくとしよう。
どうせ聞く機会は沢山あるだろうし。
「作り置きですが、どうぞ」
「ありがとう」
ことりと置かれた木製の器には、汁物の料理が入っていた。
ちらほら見える具材は見たこともないものばかりだけど……ほかほかと白い湯気を立たせたスープの魅力には抗えず、僕は「いただきます」の言葉と同時に出された料理にありついた。
「――――っ☆◆□◆□☆◆◎◆□☆◆◎⁈」
瞬間、とてつもない衝撃が僕の舌を襲った。
繊維質で、アクが強く、おまけに煮崩れしていて所々苦くてなのにとってもスパイシーで……全く調和の取れていないアンサンブルを数時間ぶっ続けで聞かせれたような気分になりながら、僕はちらりと雫を見た。
彼女は薄く笑いながら、混沌とした味の料理をゆっくりと食べ進めていた。
「まずいでしょう?」
「い、や。なんというか……カオティックハードコアみたいな感じというか……」
「食レポ下手くそですね。この世界の食材、とんでもなく扱いにくいんですよ」
「どういう……?」
ぺろりと唇を舐めて、雫は片目をつむりながら続けた。
どうやら彼女も、決してこれをおいしいと思って食べているわけではないらしい。
「これだけ寒い気候が続くと、必然的に植物も寒冷な環境に適応したものになります。防御物質として、苦みや辛みの強い物質を多く蓄えたり、皮が厚くなったり……とにかく、食材として扱いにくいんですよ」
「け、けど……温室栽培みたいなのは?」
「もちろんありますよ。けど、数に限りがあります。なので値段は高騰、とてもじゃないけど、一般人は日常的には買えません」
なので、これで我慢するしかないんですよ。
と彼女は長い黒髪をかき上げて、再びカオティックスープを飲み始めた。生きるために必要な栄養が取れればいいという事か。
「温かいものにありつけるだけでもラッキーと思わなくちゃ、やってられません」
「今生きている人たちは、これが普通だと思ってるってことか」
「かもしれません。味蕾の構造が若干違っている可能性はありますね」
人類が生き残るために、ありとあらゆる方法が試された。
スリーパーが投入され、コロニーが作られ、きっと他にも様々な工夫がなされているんだろう。
けれどきっと、その過程で切り捨てなければならなかった技術や嗜好が沢山あって。
そのうちの一つが、料理の味だった、という事なのだろう。
理解はできる。
あぁなるほどと、手を打つことはできる。
だけど――――
『お兄ちゃん、あのね――――』
目の前の雫の顔に、言葉に。
あの時の記憶が重なった。
「……だめだ」
「何してるんですか? 冷めちゃいますよ?」
「そんなの、だめだ!」
「は、はい?」
がたりと立ち上がった僕を、雫が若干気圧されたような目で見つめていた。
食は全ての基本だ。
栄養を取る事だけが目的じゃない。
美味しい食事は明日への活力につながり、一日を生きる糧となり、そして何より――――心に安らぎを生むんだ。
当たり前のことだ。そんな当たり前が奪われてしまうなんて、許されない。
だから
「革命だ……」
「はい?」
「革命が必要だ」
できるかどうか分からないけれど。
やってみなくちゃ、分からないけれど。
僕はまず、この世界の食にメスを入れようと思った。