プロローグ
「とある一説だが——」
直黒の壁を背景に静寂が部屋を漂う。
そんな、静けさと物寂しさが調和するこの空間で、俺——木枯 雅人は、恰も取り調べ最中の検察官のように組んだ手を鼻先に当て、縦横一メートルほどある正方形の机を挟み、向かいで柔らかに微笑む妙齢の麗人——ソルナに視線を飛ばす。
「偽物は、悪党の始まりらしい」
「偽物……?」
「偽りの物——つまりは虚言者」
「ほう……。で、一体全体それがどうしたと言うのだ?」
人を小馬鹿にする視線で返し、依然、ソルナは微笑んでいる。
ハーフアップで整えられた鴇色の髪からは優しい色香が溢れ、その理想的で豊潤な躰
は、そう、端的に言うならば妖艶と表現すべき——とまあ、ソルナはそんな趣の麗人である。
時に鴇色とは(断じてダジャレではない)黄みがかった淡く優しげな桃色のことだが、ソルナの人柄はそれに対し全力で相反しているものだ。
優しい、などといったニュアンスの言葉を彼女に添えるべきか、そう問われたならば俺は曇りなき眼を持ってしてこう即答するだろう。
「そんなもの、言葉に対する罵詈讒謗だ」——と。
今現在、この時を持ってしても、それを表明するかのように、ソルナの微笑みの裏には何らかの悪感情が潜んでいるのだから。
本当に全く、腹立たしいことこの上ないことだ。腹立たしいことこの上ない女だ。
……容姿はさておき。
俺は再び口を開く。
「いや、その説がモノホンだとしたら、お前って奴はかなりの悪党になるなと思ってだな」
その説がたとえ偽りであったとしても、俺はソルナのことを悪党以上の邪悪な女としか解釈できないのだが、まあ、それはひとまず棚に上げるとしての見解だ。
「……何故そうなる? 微塵の説得力もなければ根拠すら見えてこないぞ?」
ズズズっと茶の湯を啜った後、ソルナは当然と言わんばかりその艶めかしくも麗しい首をコテンと傾げて見せる。それは一見して——見せつけるかのように。
これまた腹立たしい。
しかし、その行為はさながら宣戦布告、あるいは喧嘩を売りつけるといった行為であり、要は緩慢なのだ。
詰まる所、腹立たしいと言った内感情だけでは収まりきらず、当然の結果、俺の堪忍袋ははち切れざるを得なくなり、
「てめぇ、ふざけやがって……! 根拠? 説得力? そんなもの、自分の記憶に聞きやがれ!」
苛立ちに染まった声色をぶつけるとになった。
無論、静寂など欠片もない。
「ふうむ……」
「忘れたとは言わせないからな……!」
「となると、我が忘れたと言ったその時点、その瞬間に、我は勝者になるのだな?」
またも当然のように首を傾げて見せる。
——見せつけるかのように。
「何の勝負だ……! 違う! 戒めの言葉だ、戒め!」
「おお、戒めの言葉であったか! すまんな、少しばかり履き違えていたらしい 」
「嘘つけ! ……ったく、それに、そんな勝負が仮にあったとして、果たして俺に勝ちは存在するのか?」
「ん? お前に価値などあるわけがないだろうに。いまさら何を期待している?」
「……」
「すまん、わざとだ」
「お前な……!」
ソルナはゆっくりと、こと静かに茶の湯を啜る。
「……それにな、雅人。我は我のことを嘘偽りなく本気で天然だと思っている。だから、たまに天然ボケが入ることくらい、いたって不思議な話ではないのだよ」
「……っ!」
怒り——それが沸点を超えたことを表すならば、当の俺は確実に蒸発しきっているのであろう。
脱水症状を起こし、二度目の死すら経験するのかもしれない。
……いや、違うな。正確には殺されるが適切だ。
なんにせよ、やはり、腹立たしいことこの上ない!
————しかし
「さて」
話に段落付けをするかのように、それは前置きなどなく突然に、当然の如く状況に遠慮を見せることなく。
ソルナは両手を合わせた。
「余談はこのくらいとして——」
部屋には帰ってきた静寂と僅かな緊張が走る。
そして、ソルナはゆっくりと、ことはっきりと、言葉を繋げていく。
「そろそろ本題と行こうか」
初投稿です。皆々様、作品ともどもよろしくお願いします。