彼の日常
「ただいまっと……」
一人暮らしなので誰に言うわけでもないがなんとなくそう言うのが習慣となっているその言葉を言いながら藍川は部屋に入る。
当然、部屋には鍵がかかっているがここでも先ほどの個人機器が自動的に発動したので特に鍵を開けるような動作をすることもなくすんなりと部屋に入ることが出来る。
室内に入って来た藍川を感知して電灯が自動で点灯する。
部屋の中は特に特筆すべきようなものはない、家具もインテリアの類も少ない如何にも男の一人暮らしとでもいった部屋だ。
「はぁ……」
再びため息をついた藍川は靴を脱ぐとそのままベッドへと倒れこむ。
特に質が良いようなものでもない安手のベッドからはぎしっとスプリングが鳴り響く、眠るわけでもなく何となくベッドにうつ伏せのまま過ごす。
そのまましばらく過ごしていた藍川であったが、時間的に空腹を感じた藍川は、特に調理道具が置いてある様子もないキッチンの方へと向かいそこで技術が発展した現在でも男の一人暮らしの心強い味方、カップ麺を見つける。
技術が発展した現在でもお湯を注ぐだけで出来るという機構は変わらない、むしろ発展したのはお湯が沸くスピードだ、水を入れて沸騰まで十秒以下という超高速度。
即座に沸騰した湯を注ぐ藍川だがいくらお湯が早く沸いたところでこの出来るまでの三分間という時間は未だに加速の兆候を見せていない。
企業側のキャッチコピーなのか人間的にちょうどいい時間なのか知る由もないが未だに消費者の間でもネタにされるぐらいだからマーケティング的にはそれでいいのだろう、などとどうでも良いことを考えながら藍川は特にすることもない無駄に長い三分間を過ごす。
完成したラーメンを食べ終えた藍川は手元の機器を操作し、ニュースアプリの内容を流すように見ていく。
「新型コンピューターウイルス、対策ソフト完成」
「一般人格安ファイアウォール、開発難航」
「潜行世界において無作為にハッキング行為を行った少年四名が逮捕」
近年のニュースは電子やIT関連のものが多い、潜行空間はインターネットと同様に特定の管理者や責任者などが存在するのではなく、全世界で共同での維持管理が行われている。
そのため潜行空間を構成しているプログラムも全て公開、配布されておりそれを使用することによって知識さえあれば誰でもその拡張を行うことが出来る。
始めは「インターネットを情報の場、潜行空間を体験の場」とキャッチコピーの元でこの方式での拡張が進められていったという経緯がある。
拡張速度を重視した試みだったのだがそれは今の時代ではあまりに知識を持つ者が多すぎた。
何処からか漏出したプログラムは数多くの改造や粗悪な物までもが拡散し、それぞれによって別の「潜行空間」が生み出され、徐々に規模を増し始めていた最初の「潜行空間」に接続されてしまったのだ。
今となっては把握できていない部分の規模が把握できている部分を上回り、今現在でさえもその大きさは拡大を続けていると言われるほどになってしまった。
仕方なく現在は把握できている部分の維持のために防壁でその部分を仕切り安全な場所を維持しているような状態だ。
「なんだかな……」
世の中の情勢の低迷化を見せつけられた藍川はそこで機器を机に置いて読むのを止め、そのまま風呂に入るべく部屋を後にしていった。
そこから先は特に記述するようなこともなく藍川は風呂に入って就寝した。
特に趣味もないような男の一人暮らしを藍川は送っているのだった。