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碧の意志


「さて……帰るとするか……」


 遡ること少し前、部長の部屋から戻って来た藍川は既に日が傾きオレンジの色彩が増し始めた廊下を戻っていき、荷物を取りに部屋に入ろうとしていた。


 そして藍川が部屋の扉を開けると――。


「あっ、おかえりなさい」


 そこには碧がいた、先に帰っていいと言っていたのだがどうやらまだ帰っていなかったらしい。


「なんだ、帰らなかったのか?」

「藍川さんより早く帰るなんて出来ません」


 碧は当たり前の様にそう言った。


 だが藍川としては余りにも気を使わせてしまっている様に思える部分もある、確かに藍川のサポートを担当している一般人以上に気を使う部分はあるのかもしれないが、ここまでするのは流石にやりすぎと感じざるを得ない。


「そうか……じゃあ終わったことだし帰るぞ」


 だが藍川はその本心を口にすることはなく、毎回柔らかな方法で答えるのが日常であった。


「はいっ! 一緒に帰りましょう!」


 碧の気遣いに気おくれするような藍川とは逆に碧は喜んだような声で答える。

 顔をほこらばせるその姿は本当に本心からそう思っている様に思えた。


 軽く室内の散らばりをまとめてから部屋を出る、背後でオートロックが掛かる音を聞きながらすでに日が沈みかけ、白い蛍光灯の灯りが照らし始めた廊下を二人で並んで歩いていく、二人の部屋は二階のやや奥にあり出入り口まではやや距離がある。


 既に帰宅した者達もまだ残っている者達もいるかもしれないが道中で誰かとすれ違うようなこともなく出入り口にたどり着くと胸元のポケットに入れていた端末が自動的に感知しドアのロックを解除する。


 一見すると大型商業施設の入り口のような自動ドアだが、個人の小型情報端末内のデータを読み取ったうえでの開錠と通過者の氏名、時刻などの記録も行っている高度なセキュリティゲートとなっているのだ。

 この端末は今の時代ではこのような小型情報端末を一人一つ持つ事が当たり前となった。


 この端末一つあればあらゆる場所で個人の証明となる。


 会社の社員証も家の鍵も情報機器のロックも定期券も全てこの端末を通して登録が行われるためこれ一つあれば全ての鍵となり連携すれば新聞や本の代わりにもなる。


 開発会社によって微妙に設定は異なるが高度な制度を誇る指紋、静脈、声帯などを組み合わせた生体認証システムを取り入れることによって偽装や成りすましなどのリスクを極限にまで減らすことが可能となっている。


 個人証明が可能という事は逆に言えば個人を特定することも可能であり、罪を犯し指名手配されたものなどが公共交通機関などを使用するために端末をかざせば一発で場所を特定される。

 そのためこの個人端末の使用開始後から凶悪犯罪の時効成立数は減少傾向にあることが正式に証明されたというのも記憶に新しい。


 だが、この結果はあくまでも「解決するまでの時間が短くなった」だけであり「犯罪の発生件数そのもの」はむしろ増加傾向にあるとの統計も近年発表されたのは記憶に新しい。

 特に殺人事件の件数そのものはそれほど変わっていない、技術がどれほど進歩しても突発的な感情の変化という物は操作不可能なのだ。


「ふぅ……」

「どうかしましたか?」


 施設を出てからの道中何時まで経っても平和と言う理想そのものの実現がなされないという事について一人考えていた藍川だったが現状の低迷を再確認したことによってため息が出てしまう。


 そんな藍川を見た碧は当然ながらすぐに反応する。


「やっぱりお疲れなんじゃ……」

「いや、大丈夫だって、心配しすぎだ」


一日が終わったのだからある程度は当たり前の事、そういう意味で藍川は答えたのだがそれでも碧は本当ですか、と幾度となく確認をしてくる。


 碧が気を使ってくれるのはありがたいと藍川はもちろん思っているのだが使われ過ぎているような今の状況ではある意味閉塞感のようなものも思い始めている。だがこれが彼女の仕事となっているという側面もあるとむやみに無下にすることも出来ない。


 この辺りで少しは言っておくか、そう思った藍川は碧に告げる事にする、なるべく否定の感情は入れずに至極自然な流れで後味の悪くならないような形で……。


「その、なんだ……そんなに気を使わなくてもいいぞ?」


 そんな思考の出てきた台詞はそれだけであった、書いてあるものを読むならともかく頭の中で展開されている考えを即座に並べ替えて話すのはどうもうまくいかない物だ、と藍川は自分の技術の低さに心中で失笑する。


 要するにコミュニケーション能力が明らかに低いだけなのだが。


「……はい」


 一方の碧であるが藍川なりに少し気づかせるぐらいの気持ちで言った台詞も不愛想で淡々と言った部分も合わさって悪態を付くような言い方に聞こえてしまったようであり変化に敏感な彼女には効きすぎてしまっているように見えた。


「(こりゃまた後で気を使わせてしまうな……)」


 内心そう思った藍川であったがすでに手遅れである。


 結局、それからは特に話をすることもなく二人無言で並んで歩くという状態で帰宅となった。

 一転して静かになった碧はさっきの言葉の所為なのか藍川の疲れを察しているのか、それとも彼女なりに何か考えている事があって話さないのか隣の藍川が知るすべはない。


 藍川は他人との無言であっても特に不安感などは感じない人間だがいつも良く話してくれる碧も黙ったままと言う事でいつもは気にしないはずの沈黙でさえ気になってきてしまう。


 だが、だからとって藍川自身から話を切り出し始めるなどと言ったことをするわけもなく藍川は適当に視線を流しながら歩くことにした。


 藍川と碧が住んでいるのは施設の近くにある寮、男性と女性に棟ごとに分かれておりそれぞれに部屋が与えられている。

 施設から寮まではそんなに遠くはないのだが、ずっと無言と言う状態だった為どことなく気まずい雰囲気となってしまっているのは流石の藍川であっても感じてしまう。


「じゃあ、また明日……ですね」

「……おう、じゃあな」


 男女の寮の分かれ道のところで軽く挨拶をしてから碧と別れ、一人になった藍川はそのまままっすぐ自室へと向かう。


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