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善く潜るものは溺る  作者: 藤柵かおる
エピローグ
36/36

闇の光


 目に映るのは光と粒子の光景、その中を駆けていくのは光の光景を切り裂くように疾走する黒い闇。

 崩れて形を失った粒子の光る粒を押しのけるように駆ける黒い影は潜行空間でその存在を露わにしているとしている。


「なんだ……ありゃ……」


 黒い影を恐れ自ら粒子が道を開けていくように舞い上がる光景を見つめそう呟やくのは一つの人型、その声には当然の様に恐怖が含まれているのが見て取れる。

 その黒い闇は目標を見定めたのか速度を上げ一気に前方の光の中へと飛び込んで行く、眩しいほどの煌めきの中から現れるのは煌めきの対極に位置する漆黒の人型、粒子の流れを読みこちらへと向かってくる。


「ひっ……」


 その近づいて来る色彩から発せられるのは禍々しさを凝縮したかのような感覚。

その思念を感知し、ただ立ち尽くすほど愚かなことはない、反撃するという考えを抱くよりも先にその場から逃げることを選択した人型は高速で逃走する。


 逃走し始める人型を見た漆黒は低く一言だけ呟く。


「……終わりだ」


 無機質でありながらどこか穏やかさすら感じさせるような声と同時に漆黒の人型は右手を空間に広げその虚空を掴む。

 するとその体を構成する闇に浸食されるように周囲の白い粒子がみるみる内に黒色へと変化していく。

 指令に答えるのではなく、服従するかのように周囲の粒子が集まり右手を中心として形を形成していく。


 集まる粒子は右腕部分に凝縮されていきやがて明確な形としてその空間に形成される、その形状は闇の如く禍々しい気配を放つ一本の黒い縄。

 漆黒の人型はその黒縄を振り上げ鞭の如く振るう。

 黒縄は獲物を見つけた大蛇の如く一直線に走っていく、その黒い光は見る者を恐怖に陥れる恐怖の象徴のようであった。


 一直線に向かって行った縄はそのまま逃げる者の背中へ向かう。


「ひっ、ひぃぃ!」


 背後から迫る漆黒、自分の嫌うあらゆる感覚を寄せ集め凝縮したかのような感覚は恐怖を通り越し生命の危機という錯覚すら感じさせる。

 その危機を感じた瞬間、逃走していた人型の動きが停止する。


「……捕獲完了」


 潜行空間中に存在する人型の背部には黒縄がまっすぐと突き刺さっている、そして逃走者は刺さった瞬間の体制を維持したまま動くことも言葉を発することもなくただ沈黙している。


――沈黙しているのではない、沈黙させられているのだ。


 黒い人型の内側に存在する強大な思念は物理的な速度の限界にまで到達した指令となって伝わり、瞬時に精神その物を構成している粒子への干渉が完了させる。

 潜行空間に存在する精神そのものを制圧されたのだ。

 逃走者は藍川が思念を解除しない限り動くことすら出来なくなった。


 自身の根幹たる精神に突き刺さる存在を持って敵の精神にその恐怖を知覚させることによって起きる現象。

 自分が最も嫌う自分の本物を見せつけることで、相手の思念を抑え込む。

 自己の悪によって他者の悪すらも包み込み制御する。

 相手の善悪、その全てを包み込み受け入れ支配する領域に藍川隆二は達していた。


 藍川の目的はこの世界の全ての犯罪者を捕獲すること、それが彼の思念であるという事は今となっても変わらない。


 藤堂碧を藍川隆二が害した日から藍川は自他ともに認める『犯罪者』となった。

だが彼は特例としてある条件の下罪を許された、それは自らの人生を犯罪者の捕獲に費やす事。


 藍川の奥底に巣くう殺人鬼はあの日以降身を潜めたものの存在が消えたわけではない、それは当然の事、彼は殺人鬼の精神を押し込めているだけにすぎない。

 以前の彼であればその存在を否定し、忌避するべく無理矢理に意識をそらす事を選んだに違いない。

だが今は違う、藍川は自分の中に潜む鬼すらも自分自身として受け入れたのだ、追い出すのではなく取り囲み制御することに成功した。


 他者を害するという最も彼が忌避した行為を自ら行った彼はその行為の代償となる無限にも等しい後悔の念に苛まれ、その巨大な念は従来の彼を作っていた精神を覆いつくした。

 激しい感情によって新たに形成された藍川の精神は善悪を区別する事無く受け止め、潜行と言う精神同士がぶつかり合う現象において他者の精神そのものを司るという行為を可能する存在へと生まれ変わった。


 救うべく潜った存在が溺れる事を代償として。

 自らに溺れた者は蘇った。



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