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闇の終わり


「うぇ……はぁ…っ……おぇぇぇ……」


 潜行から帰還した碧は座席から起き上がると同時に嘔吐する。

 体に吐瀉物が降りかかるが碧にとってはそんなことはどうでも良かった。


 部屋にいた黒柳と朱里は当然ながらどよめく、緊急帰還してきた碧が突然嘔吐すれば取り乱すのは当たり前だ。


「碧、大丈夫か? 中で何が……」


 黒柳が碧の背中をさすりながら声を掛けるが今の碧にはそんな心配は心底どうでも良かったむしろ近づかないで欲しい、今近づかれたら殺したくなってしまう。


「うるさいっ……!」


 殺意を強引に押し殺しつつ背後にいる部長を払い飛ばし、隣で眠っている藍川の元へ向かう。


「お、おい! なにやってる!」


 突き飛ばされた黒柳の動揺する声が響くが碧の耳には届かない、そんな事よりもっと大事なことがある、彼を元に戻す方法。


「藍川! 起きろっ! おいっ!」

「ん……」


 碧が人生で初めて上げたかもしれない怒鳴り声、それに反応したのか藍川が目を覚ます。

碧が潜行を行う際に害が出ないようにごく弱い麻酔作用しか発現させていない、ちょっと刺激すればすぐに起きることは既に知っている。


 それを確認した碧は近くにあった工具箱をひっくり返し中身を藍川の周囲にぶちまける、自分がその工具を取って殺したくなる衝動を抑えながら座席の上で開いている彼の目を見定める。

 今はまだ彼の目は前のまま、でもこれじゃない碧が望むのはこれじゃない。


「碧……」


 覚醒し、段々と状況が把握できた藍川の声が漏れだす。


「っ……!」


 そしてついにそれが訪れる。

 寝ぼけ眼のようにぼんやりとしていた顔から一転、突如として目を見開いた藍川はベッドから起き上がった体勢から碧の体を押し倒す。


 藍川に圧し掛かられるような体勢となった碧は自ら床へと倒れ、藍川を導く。

 藍川の中にはまだ殺人鬼の精神が一割存在している、今のままでは元には戻らない。

 人が変わるにはきっかけが必要なのだ、碧がこの行為に出たのはそのきっかけを作るため。


 碧が戻ってきてからわずか数秒にも満たない短い時間の中、周囲の者達は目まぐるしく変化する事態に身動きが取れずにいる。

 その静止したかのような時間の中で藍川は間髪入れず碧の上に馬乗りになり、周りに広がっている工具が彼の視界に映る。


 碧に突き飛ばされて床に倒れていたついていた部長も、出入り口付近で見ていた朱里も気が付くがもう遅い。

 彼の手に握られているのは鋭い先端を持った工具、その手は既に振り上げられている。



――――そして。


 室内に響き渡る絶叫、だがそれは碧が発した物ではない。

 叫んだのは藍川だ。


『血…………肉……殺……ぅああああああああああああああ!』


 呻きと叫びが響き渡る、止めるべく体を動かそうとしていた二人も体を硬直差和えその場に押しとどめるほどの絶叫。


「な……何が……」


 黒柳は目の前の光景を見る。

 藤堂碧の体に何度も突き刺しながら藍川隆二は泣き叫ぶ。


 その手が振り下ろされ再び上げるたび鮮血が周囲に飛ぶ、それを続けながら彼は泣き叫ぶ、その下にいる悲鳴一つ上げない彼女の恐ろしいほどの大人しさとは対照的に。


「藍川っ……!」


 黒柳は藍川に飛び掛かる。

 藍川の手に持っていた工具は手を離れ転がっていく。


「うあああっ……! うううっ……! ぅあああ……っ!」


 黒柳が離れるとその場で蹲る、前にあの部屋で碧の首に手を掛けた藍川の姿はそこにはない。

 あの無機質で空虚な瞳は消え、そこにあるのは恐怖と後悔に塗りつぶされあらゆる感情の高ぶりによって涙を流す弱い存在であった。


「みっ、碧っ!」


 黒柳が藍川に飛び掛かると同時に朱里は床で血まみれで倒れる碧に駆け寄る。


「碧っ!」

「あはは……上手く……行きましたね……」


 碧は笑っている、心底喜ぶように。


「あなた……一体……」


 目の前で大けがをしながら笑う友人の姿を見た朱里の感覚には心配と共に底知れない気味の悪さを感じさせる。


「私を……彼の……所へ……」


 そう答える碧は息も絶え絶えと言った所、当然だ、碧の全身には比喩でもなんでもなく風穴が空いている、一刻も早く措置を受けなければ命に係わるだろう。


「朱里! 碧を早く!」


 急かす黒柳の声も合わさり、碧のいう事に従っている場合ではない、そう朱里が判断したとしても何も間違っていない。


「碧……! こっちへ!」


 そう言いながらとにかく碧を部屋から出そうとした朱里に再び理解できないことが起こる。碧の体を支えようとした朱里の腕を振り払った碧はそのまま顔を叩いたのだ。

 室内に乾いた音が響き、同時に朱里が付けていた黒縁の眼鏡が外れ床を滑っていく。

 朱里はその行為に驚き頬を抑えながら碧を見る、だがすでに碧は床に這いつくばり藍川の方へと向かおうとしている。


 らちが明かないと悟った朱里は眼鏡を拾うのも忘れて、部屋を飛び出し外へ状況を知らせに走った。

 そして碧は這いつくばりながら黒柳に押さえつけられている藍川の元へ到達し、ガタガタと震える彼に手を伸ばしその手を握る。


 その瞬間彼は飛び跳ねるように顔を上げ、碧と目を合わせる。


「あ……あ……みどり……俺は……なんてことを……」


 そこにあったのはあの時碧を殺そうとしていた時とは全く異なる姿の彼。

 忌避する物に触れ、本心から恐怖している藍川の姿。

 彼が戻って来た、藍川の本心によってわずかに残っていた殺人鬼の精神を封じる事に成功した、これで藍川は一人でも自分の内側の殺意を押し込めることが出来る。

 そう確信した碧は最後の自我と力を振り絞って言葉を残す。


「おかえりなさい藍川隆二……これであなたは『犯罪者』です……だけど後悔してるでしょう……忘れないで私が……あなたの凶行の……被害……者」


 そこで碧は床に倒れ、同時に騒ぎを聞きつけた者達が一斉に部屋になだれ込んでくる。

 血まみれで倒れる碧は担架で運ばれて行ったがその間も碧は全く動く気配を見せない、だが全身から感じる無数の痛みの中で碧は心から喜びを感じていた。


 碧の藍川への思い、自分を心に留めて欲しい、いつも自分を感じて欲しい、そんな思念は殺人鬼の精神によって歪められ湾曲したものの紛れもなく実現されたからだ。

 今の碧の中には藍川を苦しめていた殺人鬼の精神がある、それを藍川が殺すことによって自らの手で殺人鬼を殺すという状況を作り上げた。


 それによって彼の中にいる殺人鬼の欠片を押し込めるきっかけを作る事に成功した。

 藤堂碧は幸せだった。

 すでに怒りと殺人鬼の精神の混入によって歪みきった形でも実現出来たから。

 彼の心にいたい。

 彼に思っていて欲しい。


 藤堂碧は藍川隆二という殺人鬼の被害者として藤堂碧の名前は記録される、藍川隆二の心に藤堂碧は贖罪の象徴としては存在し続ける。


 愛していた元の藍川に戻せると同時に、藍川の心に永久に残り続けることが出来るという一挙両得。

碧の思念は間違いなく実現されたのだ。


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