中の存在
「部長」
碧はその疑問を黒柳に質問するべく通達すしながら何の気もなしに手を伸ばし、その形に触れたその直後――。
『――なんて速さだ……!』『――奴はあっちの方向へ……』
『――だから、知らなくて……』
声が聞こえた、それはまるでその場にいたかのようにはっきりと碧の聴覚に感じられた。
『――夢はあるのか?』
次に響き渡ったのは黒柳の声、それもまた通信によって聞こえたのではなくはっきりと近距離で聞こえた。
声が聞こえて来ると同時に煌めく雲海の景色が急速に移り変わっていく、碧が感じたのは、ソファー、机、パソコンそれら全てが黒で統一されたものがある部屋。
碧は直観的に思う、これは藍川の精神の記憶だ。
「もしかして……」
碧はその場から駆けだす、その手は前に出して構えたまま、その場にある粒子を読み取り始めた。
『――奴は……あっちに……』
歩幅を進める度に記憶が流れ込む、今度は雲海の中に潜行者と思われる人型の光がある光景、碧はその光景を見ながら間違いないと確信した。
「――おい、碧?」
碧が突然速度を上げて動き回り始めたのを外部から確認した黒柳が通達をしてくる。
「部長、記憶です」
碧はその質問に一言で答える。
「――碧? 何を言って……」
「分かるんです、藍川さんの記憶が、まるで自分自身の事の様に」
碧も「観測者」としてその腕が多少はある身だ、自分の精神で周囲の存在を全て感じ取っていく。
そこで藍川隆二と言う人間が体験してきた全ての情報が感覚を通して伝わってくる、五感はもちろんの事、喜怒哀楽までもが含まれたリアルな体験として碧の精神に流れ込んでくる。
これを追って行けばあの時の彼のところまでたどり着ける、その考えに行きついた碧は歩調を速め進み始める。
だが、そのまましばらく進んで行ってもそれ以上の何かが見えてくることはない、あるのはただの黄金色に輝く雲だけ、このままではなんの解決にもならずに終わってしまう。
碧がそう思い始めた時、なんの前触れもなくそれは現れる。
「っ……!」
黄金色の雲海を切り裂くようにして現れたのはその雲海の煌びやかさとは真逆とも言えるほどのひたすらに黒い霧、それは相対するだけで不快を感じるほどの感覚を放っている。
――間違いない、これが。
潜行空間で青島が見たと言っていた黒い粒子、そして碧の理論で言う殺人鬼の精神。
相対した碧はさらに恐怖感を増加させていくがその中には確かな確信が芽生え始めている。
「貴方が……藍川さんの中にいる人ですね」
恐怖によって震えながらも藍川隆二を助けたいという確かな信念によって支えられている碧はその言葉を投げかける。
するとその碧の声に答えるかのように次第にその黒い粒子は形を変え始める、黒い霧は次第に黒い塊へと変化していき次第にそこから手が生え、足が生え頭部が形成されていく。
「っ……」
その光景を見る碧はさらに恐怖を増していく、恐怖と言う存在を放つその黒い粒子の動きは碧の感覚には恐怖を覚えるべき光景として認識されている。
碧の視覚には肉塊から手足が生えていくというまさに恐怖と不快感を併せ持った感情を抱かせるような光景として映し出されている。
そして変化によって作られたのは黄金色の雲海の中にたった一つだけ存在する、闇の人影。
だがその黒い粒子が明確に形となって現れた瞬間、碧は言葉を失う。
目の前にある光景が信じられない、その一言で碧の心境は十分に語れるだろう。
彼女の目の前には――藍川隆二がいた。
顔も、髪型も、体格も全て同じ藍川隆二と瓜二つの黒い人型。
「やぁ、碧」
そして声までもが全くの一緒だった。
「う、嘘……ですよね……」
「震えてるね、怖い?」
見た目も声も思いを寄せる藍川と全く同じであるにも関わらずその場に存在するだけで碧に恐怖と言う感情を突き刺していくという矛盾。
目の前の存在は紛れもなく外部から侵入した殺人鬼の精神、だが藍川の精神と混じり同一化しかけているそれは碧の主観を持ってしても藍川と同等の存在として映し出される。
「――碧! 強制退去だ!」
碧の脳内に黒柳の声が聞こえ同時に碧の体が光に包まれる、目の前に黒い影が現れたというのを外部においても観測したのだろう、そしてその反応が殺人鬼の精神と同一の物であると確認した黒柳はとにかく碧の安全を最優先に行うことにした。
誰もが困惑する最中すでに退去と言う選択を行い実行する黒柳の判断力はまさに最善の手だったに違いない。




