碧の潜行
その日、碧はいつもと違う気持ちで部屋を出る。
何故かわからないけど今日の碧はいつもと違う気分であった、それは少女漫画などで久しぶりに恋人に会いにでも行く主人公が抱いているような気分とでもいった所だろうか。
でもきっとそう思うのも無理はない、今から碧は藍川に会いに行くのだから。
碧はいつもの部屋にいた、だがその場所はいつもの場所ではないここはいつもならば藍川がいる場所。
彼が毎日使っていた座席に碧は身を収めていた、その藍川は隣に設置した仮説のベッドの上で眠っている。
「説明を開始する、インターフェースを装着してくれ」
そして碧の代わりに観測所に座るのは黒柳だ、流石の部長でも緊張しているんだな、碧はそう思いながらインターフェースを付ける。
インターフェースを付けるといよいよ潜行が開始されるという気分になってくる、視界が黒く染まった碧は触れた肘当てを握り占める。
この座席は彼がいつも使っていた物だ、背中に当たる感触も後頭部の柔らかな保護材の感覚も全て彼と同じ、周囲で緊張の空気が流れる中碧はそのような事を考えていた。
「今から『潜行』の初期導入を行う、異変を感じたらすぐに手を上げて合図しろ」
「はい」
碧に不思議と緊張はなかった、周囲がどんどんと未知への進行に不安を感じ始める中、むしろそれとは逆に期待へと膨らんでいくようであった。
今から行うことが直接的な解決に繋がるわけではない、あくまでも可能性を確定させるだけだ、それでも今から始まることに碧は大きな期待をしていた。
彼の本物を感じられる、それは碧が本心から求めていたこと。
「……これより初期導入開始、測定機器のチェックを行います」
既に碧の耳には届いていないがそう言ったのはデータの測定を担当する朱里、部屋の中にいるのは碧、藍川、黒柳、朱里の四名だが普段は二人でしか使わない部屋なので割と無理に押し込んでいる状態となっている。
本来はもっと大きな部屋で行う方が良いのだが、碧本人がこの部屋で「潜行」をしたいという強い要望があり、再度無理を通して許可が下りたのだ。
その他の人間は別室で映像を通してその光景を見つめる、その光景を見る物全員が未知の領域に踏み込む瞬間を張り詰めた雰囲気で見つめている。
導入が開始され少しすると段々眠たくなってくる、碧が最後に「潜行」したのは養成所での実習の時が最後だった、今となっては良く覚えてもいないけれどあの時もこんな感覚だったかもしれない。
慣れていない者であれば初期導入の時点で吐き気などの症状が出始める。
だが碧は彼が毎日こんな感覚を得ているのだろうか、そんな事を思っている限り全く気分が悪くなるようなことはなかった。
彼が毎日行っていることで気分が悪くなるはずがない。
次第に強まってくる睡魔、その睡魔に完全に飲まれた時初期導入が完了した合図となる。
「――導入完了……これより『潜行』を開始する」
黒柳の合図とともに碧の導入が終了。
碧の精神は肉体を離れ藍川の中へと流れ込む。
「――ぅわぁっ……!」
睡魔から一転、突然目の前に光が広がり、その眩しさに耐えきれず顔を覆ってしまう、だが潜行は体を突き抜け容赦なく全身へと降り注ぐ。
碧も潜行を体験したことはある、だが最後に行ったのは数年前、毎日している彼と比べたら慣れないのも無理はない。
全身で眩しさを感じたのもつかの間、一気に加速し光の中へと突き進む。
それにつれて強烈な不快感が碧に襲い掛かる、彼は全く平気そうだったが慣れていない碧には容易に耐えられるようなものではなかった。
目をつぶっても全く遮られることのない閃光を全方向から受け、そのまま回転しながらジェットコースターが落下する、そんな感覚が数分間続く。
「う……っぐぇ……」
それでいながらここには上も下もない、高速で落下していたかと思えば猛スピードで上昇し気が付けばさっきまで右だと思っていた方が下になっている。
現実では到底味わえない感覚に慣れない体は吐き気と眩暈をもたらす、だが吐くことは出来ない、この光景が広がっているという事は既に導入が終了し、碧の精神は体から抜け出ているという事を意味する。
全身で不快感を味わっていてもこれは既に単なるデータの反応に過ぎずそれが体に作用することはない。
「うう……ぅ」
全身の神経で感知する不快感は相当の物だった、吐いて楽になることも出来ず症状が治まるまで待つしかないというのは地獄だった。
それでも、慣れという物は恐ろしい、数分間の地獄の中で次第に碧はその光景を見る余裕が出始める。
光が流れ、その軌跡が筋の様に残光となって残り続ける、現実では決して見ることが出来ないデータの流れ。
こんな時でもやはりこの光の光景は美しいと感じてしまう、それは初めて「潜行」を体験した時から変わらない。
その光景の中、着実に碧は進んでいく。
目指すは彼の中、彼を彼足らしめる根底の世界。




