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現実でのひと時


「お疲れさまです」


 多数の機器類や配線が伸びる座席に横たわる男、藍川が最初に感じたのは女性特有の高い声だった。

 現実に戻って来た、その思考はあるものの感覚は未だにはっきりとしておらずまずは体の覚を確かめるように藍川は横になったまま体を伸ばしていく。


「何か異常な点はありませんか? めまいや吐き気などは……」


 そんな藍川に座席の隣に設けられたデスクに座りながら話しかけるのは一人の女性。

 身長は藍川よりも小さい――むしろ女性の平均身長から見ても小柄な部類に分類されるだろう、線の細い顔に流れるように伸びるやや短めな髪からは活発な印象を受け、身に纏っている白衣によって一応は研究者とでもいった風貌を醸しているもののあまり似合っているとは言い難い。


「いや、特に大丈夫だ」


 心配の声を掛けられるが実際、今の藍川には肉体的にも精神的にも特に不調と言えるような事態は起きてはおらず嘘偽りなく事実を言い藍川は座席から起き上がろうとした。


 するとそれを目にした女性は即座にデスクから立ち上がり、そのまま藍川に覆いかぶさるかのような状態で体を押さえつけ始めた。


「おっと藍川さんダメですよ、潜行者は帰還後最低三分間の安静待機です」

「……別に大丈夫だろ? 俺が今まで何回潜行してきたと思ってるんだ?」


 腹の上、正しくは下腹部あたりに暖かな体温と重みを感じたまま藍川はそう反論するが押さえつける女性はかたくなに反論する。


「いや、もし藍川さんに何かあったら大変ですから」

「碧……相変わらずお前は生真面目だな……」


 口ではそう言いつつも藍川はその言葉に従い起き上がろうとしていた体の力を抜き、横になっている座席に再び体を預ける。


 彼女は藤堂碧とうどうみどり潜行捜査官が潜行を行う際に必ず付くことになる「観測者」と呼ばれる役職を担当している。


 潜行世界において潜行を行っているものは精神そのもので周囲の状態を把握することが出来るがそれであっても主観では把握できない客観的な部分、外部の観測機器を通したデータなどは少なからず存在する。

 そのような部分を観測し異常などを発見したら捜査官に対して通達するなど捜査官への補助を行うのが「観測者」の主な役割だ。


 それゆえに「潜行者」と「観測者」はお互いに切っても切れない関係「相棒」という俗称で呼ばれることもある。

 慣れという部分もあり特に異常など発生しないようなものなのだが碧はかなりの生真面目な気質であり反論程度でそうそう折れるような人間ではない。


 という事で仕方なく指示に従って安静を取ることになった藍川だが何もせずに過ごす三分間というのは地味に長く暇を持て余すのは明白である。


 するとそんな藍川の気持ちを汲み取ったのか未だに藍川に乗ったままの体制を維持し続けている碧が口を開く。


「藍川さん、凄いですね! 今週二人目ですよ。」


 藍川の上に乗ったままの碧が発したのは最近の藍川の戦果についての賞賛の言葉。


「……あの程度じゃ何もならない」


 喜びを全面的に出したような碧の言葉に対し藍川の返答はそっけないものだ、それは藍川現頼の性格がやや不愛想というのもあるのかも知れないが、それ以前にその謙遜ともとれるような言葉さえ紛れもない藍川にとっての本心の言葉だという事。


 藍川にしてみれば先ほど捕獲したのは自分達が追っている組織と比べたらほんの末端部分に存在する下っ端中の下っ端、問い詰めたところで有益な情報が出てくることもないだろう。

 世界を変えたいと考えている藍川にしてみれば、敵の時間稼ぎのための餌に引っかかり掌の上で踊らされているような不愉快な気分だった。


 藍川は自分の人生を賭けてでも世界を変えたいと思う程の類まれな信念を持つ人間であり、その為にはどんな努力も惜しまず、ひたすらに目標だけを追い求める生き方をしてきた。

 その結果、捨ててきた物も数多くあったが藍川はそれを惜しまない、周囲から褒められても称えられても意に介さずむしろ否定する。


 一般的に見て藍川隆二と言う人間は変人であった。

 生活も友人も必要最低限以上に関わることを望まず、気の許せる友人らしい人間もいない。

 それが彼の人生において普通の事であった。

 だが今となって一人だけ違う人間が現れた、それが藤堂碧。


「でも、一人でも多くの犯罪者を捕まえることを目指している藍川さんの夢だって、こういう小さなことの積み上げで成るものだと思います、それに藍川さんが捕獲ランキング一位にいるのだって藍川さんの努力の証拠ですよ!」


 藍川が周囲の空気を低下させる中であっても碧は彼にとっての無意味を称える、藍川が何度否定しても、無下にしてもその分だけ繰り返す。


「それは、まぁそうだが……」

「あっ……すみません、お疲れの所仕事の話になってしまって……」


 藍川の返答から賞賛の話題に対する嫌気を読み取ったのか、興奮するように早口で賞賛の言葉を掛けていた声は弱まり、当たり障りのない方法で碧は話題を収束させていく。

 藍川の観測者として付き添っている碧の他人の表情を瞬時に読み取りそれを適切に実行できる観察眼と行動力は見事な物だ。


「今日はもう終わりですよね?」

「ああ、あとは報告をすればそれで今日は終わりだ」

「じゃあ、しっかり休んでくださいね?」


 すると碧は藍川の体調の心配についての話題へと転換させていく。


 観測者は潜行者のサポートが主な仕事だが、そこには潜行という実務以外の部分においても含まれている、つまりは日常的な部分における身体、精神的な体調の把握も観測者の仕事として行われているのだ。


 このような措置が行われているのは潜行という行為が精神を直接酷使する行為であるため一般的な業務以上にメンタルヘルスの重要性が必要とされているという背景によるものだ。


 日常的な体調の把握といっても他人のプライベートな部分にまであえて踏み込んで色々と言わなくてはならないという事は非常に難しいことであり。

 その陰には人間関係を含め、たゆまぬ努力が必要であることは間違いない、しかも藍川のような変人に対しても積極的に接する碧の苦労は並大抵のものではない。


 先ほどとは異なり体調の心配は碧の「仕事」の一環なのだ、これには藍川も無下にするわけにはいかない。

「ああ、わかった心配はいらない」


 碧の心配に藍川はそう返す、自分が変わり者であることは彼自身十分に理解している余計な心配をする必要もないという部分も含めて当たり障りのない返答をする。


「さて、そろそろいいか?」


 そんな会話をしていれば三分間はあっという間に過ぎていく、そろそろ頃合いと見た藍川は碧に尋ねる。


「え~あと五秒…………はい、大丈夫です!」


 未だに藍川の上に乗ったまま頭だけ横にしてデスクの数値を見た碧はきっかり五秒後にそう答えたのち藍川の上から降りる。


 五秒ぐらい構わないだろう、などと思った藍川だが口にすればまた心配の声が聞こえて来るのは間違いない、余計な事をするべきではないと考えた藍川は喉元まで出かけたその言葉を呑み込み、席を立つ。


「さて、報告に行ってくる、お前はもう上がっていいぞ」

「はい、お疲れ様でした」


 碧にそう告げ、藍川は部屋を出る。

 仕事は報告までが仕事なのだ。


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