解放
「……藍川さん?」
碧は恐る恐る話しかける、すると。
「おう碧、これって何があったんだ?」
「あっ……えっと……」
藍川の返答に碧は逆に戸惑ってしまう、それほどまでに今の藍川に何か異常があるようには全く見えなかったからだ。
「藍川さんはその……潜行空間で攻撃を受けて、それで強制退去を行ったんです、でもその後原因が分からない意識不明状態が続いて丸一日眠ってたんです」
取りあえず碧は状況の説明を行う、その間も藍川は特に取り乱したりすることもなく冷静に話を聞いていた。
「なるほどな……でなんで俺はここに閉じ込められてるんだ?」
話を聞き終えたところで藍川は自分の環境について疑問を持ち始めた。
「部長も知ってるのか? 俺の目はもう覚めたぞ?」
「ちょ、ちょっと待って下さいね……」
碧は椅子から立ち上がると一旦アクリル板から離れ、彼の目に届かない方へと移動しそこで別室で見ている部長達に連絡する。
「――彼の様子はどうだね?」
「その……特におかしな点はないように思えます……記憶喪失や性格の変化とかも見られません、それと本人は出してくれって言ってます」
碧が大体の印象を説明するとデバイスの向こうで色々な声が聞こえて来る。
「――何も起きてないって事か?」
「――いや、あの時に観測されたのは確かに攻撃性のあるプログラムに近いものだ」
「――攻撃を受けたのに彼はその影響が出ていないとでも?」
「――だが攻撃を受けて一切の後遺症が残らないなど今まで報告されていない」
「――彼女が言うには彼の様子は何も変わっていないそうじゃないか、彼本人のハッキング能力は高さも合わせると、自己防衛に成功していたのでは……」
「――だとしたらどうして今まで意識が戻らなかったんだ?」
向こう側で聞こえる多数の議論、碧はそれをただ黙って聞いて判断を待つ。
「おい、碧?」
その間も背後では戻ってくるのが遅い碧を急かすのように藍川が声を上げている。
「ちょ、ちょっと待って下さい~! なんだかシステムが重いみたいで……」
取りあえず適当な返事をしつつ間を持たせる、するとようやく責任者の声が聞こえてきた。
「――あ~碧君、良いかね?」
「は、はい」
「色々と可能性は考えられるが……現時点で大きな異常は見られないようだし、とりあえず一旦そこから出して彼本人に話を聞くのと、精密検査のために別室に移すことにする」
それを聞いて碧は心中でほっとする、とりあえず詳しいこともわからないままこんな場所にいる事になっている彼も喜んでくれるだろう。
「今からロックの解除を行う、彼にそう伝えてくれ」
「はい!」
そう答える碧の声は先ほどまでの不安感も薄くなっている、再びアクリル板のところまで行く彼女の足取りも軽い。
「藍川さん!」
「どうだ?」
「今、ロックを解除しています、とりあえず精密検査とあの時何があったのか知りたいそうなのでそっちの方へ移動になります」
「そうか、良かった」
そんな風に二人が話す中、光景を上から見ていた黒柳もまたひとまず安心していた。
「(一時はどうなるかと思ったが……取りあえず大きな後遺症などはなさそうで良かったというべきだな、これからは藍川に話を聞いて詳しい状況の解明といった所か……)」
黒柳も普段の冷静さを取り戻し、すでに今後の計画を考え始めていた。
「そろそろ開きますかね?」
「それにしても随分な部屋だな?」
「私もです……一体何に使われる部屋なんでしょうね?」
二人で適当な話をしつつロックが解除されるのを待つ、そしてピーという電子音と共に小部屋のロックが解除された。
「開いたか」
そして藍川はその小部屋から外に出る。
「藍川さん……本当に無事で良かったです!」
小部屋から出てきた藍川の手を碧が取る、そこには心から心配していたことによる緊張が取れた喜びが満ち溢れていた。
藍川も碧の手を強く握り返してそれに答える。
「ああ、本当にな……」
彼もまた無事だったことに安堵しているようであった。
だが、その空気は一瞬にして飛散する事となる。
「――本当に、良かった」
そう呟いた藍川は握っていた碧の手を強く引っ張る。
「きゃ!?」
安堵によって全身の力が抜けていた碧はその予想も出来ないような力に抗う事が全くできずそのまま仰向けで床へと倒される。
「な、何するんですか藍川さ……」
いきなりそんな事をされては驚くのも無理はない、そう言いながら上にある藍川の方へと碧が視線を向けた時である。
「――!」
思考が止まった、先ほどまでの安堵が全て消え失せた。
そこにあったのはただ無機質な瞳。
先ほどまで感じていたいつもと変わらない彼の姿はそこになかった。
藍川は静かで人と関りを持たない人間だ、それは一般的に見れば冷淡や不愛想と言えるかもしれない。
だが、目の前にあるのはそのような物とは全く異なる物だった。
あるのはひたすらに空虚で感情のないもの、そこにあるだけで周囲に害悪をもたらす、そんな雰囲気を持った存在。
「………」
その沈黙が続いたのはほんの一瞬だったのかもしれない、だが碧には途方もなく長い時間の様に思えた。
その沈黙を破ったのは彼自身。
藍川は仰向けに倒れる碧の上に素早く馬乗りになったそして、彼は彼女の首に手をかけた。
「あッ……いかわ……さっ……」
碧は首にかかる手を振り払おうとするが完全に体重が乗ったその手をどかすことはできない。
「…………」
その間も絶え間なく続く彼の視線。
自分の行為に酔いしれることも、それによって高ぶることもなくただただ無機質に作業的に行われるその行為。
「なに……がっ……ぁっ……」
その圧力が弱まる気配は一切ない、碧の思考はだんだんと薄まり始める。
「……ッ!」
その光景をいち早く発見したのは黒柳だ、彼はその光景を発見した瞬間すでに緊急用のロック解除機構を作動させ室内へと飛び込んで行った。
「止めろっ! 早く!」
そういいながら室内へと走り出す黒柳の姿を見て周りの者達もようやくその状況に気が付く。
「藍川! お前、何を!」
最初にたどり着いた黒柳は碧の首を絞める藍川を引きはがす。
そこへ遅れて他の者も到着し数名で藍川の体を取り押さえる。
「中に戻せ!」
唯一、観測部屋に残っていた老人の年老いた声が室内に響き渡り取り押さえられた藍川は再び小部屋の中へと戻される。
数人がかりで中へ放り込まれた藍川だったが取り合抑えられた瞬間からは先ほどまでの豹変が嘘であったかのようにおとなしく戻されていった。
そして藍川が引き戻されている間、未だに床に倒れている碧に黒柳が駆け寄る。
「碧! おい、大丈夫か!」
「部……長……」
すぐに駆け付けたこともあり呼吸が停止するような危機的な状態などはない、だがその表情は疲弊しきっていた。
安堵したのもつかの間その藍川によって起こされた、碧は目まぐるしい状況の変化に精神の方が疲弊しきってしまっていた。
碧はそのまま目を閉じてしまう。
「碧っ! 医務室に運んでくれ!」
黒柳の声によって担架が運ばれ、気を失ってしまった碧は救護室へと運ばれることとなった。
全てがどうでも良い、そんな方向へと思考が流れる中、唯一その事だけは消えていなかった。
――藍川さん……あなたは一体……
そんな思考も長くは続かず、碧は体の揺れを感じながら意識を手放した。




