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閑話


 次の日、碧は朝早くに目が覚めてしまう。


 朝の肌寒い感覚を感じながらも、ベッドから起き上がりベランダから外を見る。

 太陽はいつもと変わらずにそこにあり、ほのかな暖かさを注いでくれている。

 それでも碧の心は昨日と全く変わらなかった。


 藍川の事。


 碧の常日頃考えている事の中心にいる藍川の存在は初めて藍川と会った時から時間が経つにつれてますます大きくなり今となっては自覚できるようになってきているほど。


 碧自身、もともと朝は余り食べない方である、だが彼の事となると何故か自分の事以上に手に付き始めるのだ、彼が居ないと思うだけで今日はいつにもまして食欲がない、何か口にしようと思って冷蔵庫を開けるが液体のものすら喉を通りそうにないほどだった。


 お弁当を作る必要もないため、自分の事以外何もすることがなく手持無沙汰になった碧はいつも以上に早く部屋を出る事となった。

 たった一人の通勤中、碧は藍川が目覚めているかもしれないという期待や何か新しいことが判明するかもしれないという明るい期待を考えはじめ段々と足取りは早くなっていた。


 朝早い施設にはまだ人がほとんどいない、と思ったのだが施設の上層部や各部の部長など上の方の人間は既に来ているようだった。

 みんなが藍川の事を心配してくれている、それだけ藍川君がこの施設において大きな存在だという事でもある、だがもし施設の意向で決められたらその決定を碧や黒柳の個人的な意見で覆すことが出来ないという事でもある


「きっと……大丈夫です」


 言い聞かせるように呟き、二階のいつもの部屋へと向かって足を進める。


「おはようございます」


 そう言って部屋に入るが誰もいない、当然だ潜行後、精神の帰還は間違いなく認められたものの全く外刺激による反応を見せなかった藍川は回収され別の部屋に移されたからだ。


 いつもは二人でいるこの部屋も一人では広く感じてしまう。

 自分の席について手持無沙汰に机の整理を始める、昨日は資料探しやデータの抽出などがあったせいであらゆる場所から資料を引っ張り出しそのまま帰ってしまったので机の周辺はかなり散らばっている。

 とにかく何かしていないと不安で押しつぶされそうな気分の碧は、散らばっている書類を手に取って元通りに並べていく。


 サポート役である観測者は本人である潜行者がいないとこれほどまでにすることがないのか。

 普段から藍川の事を考えて行動しているだけにそのことをひしひしと感じる。


 整理し終わった書類をパラパラとめくっていきそこに書かれた文章を読んでいく、昨日は探すだけで手いっぱいとなって自分ではしっかりと内容を読んでいなかった。

 あるいは読むことを恐れていたのか。


 だが碧はそれが事実であり現実で起きているという事を自覚しなければならない、部長はその事実を認め、そして報告したのだ。


 藍川に一番近いのは「相棒」である自分だ。

 それに誇りを持っている以上目を逸らすことは許されない。

 意を決し、碧はその書類の内容に目を通そうとする、がその時ノックもなしに部屋に誰かが入ってくる、それに驚いてさっと後ろを振り向く。


「碧! もう来ていたのか、すまん誰もいないと思っていたのでな」


 入ってきたのは黒柳だ、昨日も仕事をしていたのにもかかわらず私よりも早く施設に出勤している。


「部長……大丈夫ですか?」


 碧は心配してそう声を掛けるが黒柳はは特に疲れた様子も見せずに淡々としている。


「ああ、まあ大丈夫だろ」

「もしかして帰ってないんですか?」

「帰ってはいないが……施設の仮眠室とシャワールームを使ったから大丈夫だ」


 だがそれでもかなり無理をしているのは明白だ、仮眠も少ししかとっていないのかもしれない。


「あの、それで何か探し物でしょうか?」

「ああ、昨日の書類をもう一度確認したくてな」

 どうやらちょうど集めていた書類が必要だったらしい。

「これですね、散乱しっぱなしで帰っちゃったので今戻してたんですよ」

「ああ、すまないな」


 そういって部長に持っていた書類を渡す。


「あの、何か進展はありましたか?」

「いや……まだ両方とも目も覚ましてない」

「そうですか……」


 潜行中に攻撃を受けるという事は精神に何かしらの障害が起きている可能性は免れない、それが緑には怖かったのだ。

 碧のそんな様子を感じ取ったのか黒柳は提案をしてくる。


「お前飯は?」

「えっいやまだですけど……」 


 正確には食欲がなくて食べていないという意味なのだが。


「食堂にいくぞ」

「あの……私今食欲がなくて……」


 そういって断ろうとするが部長はそうさせない。


「飯は食え、今日あいつが目覚めるかはわからないがもし目が覚めたらお前が最初に面会して様子を聞いて貰う事になる。」


 部長のその言葉に碧は断ることも躊躇われ、食堂にいくことになった。

 社員食堂は昼食などで時々利用するが朝に使うのは初めてだ。


 実際、施設に勤めている人でも食堂を利用するのは昼とその前後の軽食がほとんどで、朝に利用するのは泊まり込みで仕事をしているごく一部の人だけだ。


 席を取っておいてくれと言われた私は窓際の方にあった三、四人が使えるような大きさのテーブルに腰かける。

 この時間帯は使っている人も少ない、食道内に人はいるものの数はまばらで広々と使っても問題はないだろう。

 取りあえず部長が来るまで一人席について待っていると、部長が両手に軽食を持ってやってきた。


「悪いな」


 そう言いながら持っていた軽食のトレイをテーブルに置く。


 トレイにはハムとレタスのサンドイッチ、ポタージュ、サラダと言ったセットが並んでいる。


「こっちは紅茶だ」


 そしてカップに入った紅茶。

 赤い液体からは湯気が立ち上りその香りを嗅ぐと少しだけ胸を締め付けるような気分が和らいだような気がする。


「あの……お金は……」

「後だ、とにかく冷めないうちに食え」


 碧の斜め前に座った黒柳はそう言って勧め、食べ始める。


「……」


 少しだけ食欲は出てきたかもしれないが全部食べられるほどではない。


「全部食えとは言わん、食べられるだけ食べろ、残ったら俺が食う」


 黒柳にそう言われた碧はサンドイッチを手に取って少しだけ食べる。

 しかし、一口二口食べただけでいっぱいになってしまう、半分も行っていないサンドイッチを置いてポタージュを飲む。


 まだ液体であれば喉を通り、野菜の味が口に広がると温かさが体に沁みこむように思えた。

 だが、結局ポタージュだけ飲んでサンドイッチとサラダは残してしまった。


 ほとんど二人分食べる事となった部長だが特に文句を言ったりもせずに二人分を綺麗に平らげる。

 そして今は二人で紅茶を飲んでいる所だ。


「どうだ? 少しは落ち着いたか?」


紅茶を飲みながら部長が訪ねてくる。


「はい……ありがとうございます」

「昨日は食ったのか?」

「いえ……食べてないです」

「それでそれか……強要はしないが自分の体の事も考えろよ?」


 いつもと同じように少し強気な口調だが、普段の黒柳と比べたらかなり柔らかい話し方で接してくれている心配してくれている。


 それだけでも弱り切った碧の心には十分だった。


「その……藍川さんの様子は……」

「一応昨日の夜からいつでも駆けつけられるように待機はしていたんだが……残念ながらまだ目覚めない」

「……」

「だが、覚醒の兆候は出始めている、あと二日以内には確実に目覚めるだろう」

「そうですか……良かった」


 ひとまずずっと目覚めないという事ではないと分かり碧は少し安心する。


「とりあえず今日は昨日の続きで過去の観測データの照合を……」


 部長がそういった時である、部長と碧の個人端末に通達が入る。


『――至急、第一会議室へと来るように』


そこに書かれていたのは召集の命令文。


「部長……」

「ああ」


 その通達を見た二人は目線だけで考えを共有する。

 ――恐らくこれは彼が目覚めたことを意味している。


 部長がトレイを素早く重ね、返却口に戻す。

 緑は紙コップに少し残っていた紅茶を飲み干し、部長の分も合わせて専用のごみ箱へと放り込む。


「いくぞ」

「はい」


 二人は足並みをそろえて食堂を出ていく行先は第一会議室、昨日の会議が行われたのと同じ場所だ。

 二人の足並みは早い、それは真実を早く知りたいと思っている事から来るもの。


 その事実がどんなものであったとしても受け止めて見せる。

 この時の碧はまだそんな淡い希望を抱いていた。



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