進展
「――お疲れ様です」
碧の声を聞きながら目を開けると、バイザー越しにいつも通りの光景が見えた。
「ああ」
そっけなく返事をして、起き上がろうとしたところで藍川は思い出し脱力する。
「(また言われる前に今回は大人しくしておくか……)」
だが、藍川のそんな考えも碧にはしっかりと気が付かれている。
「今日はちゃんとしてますね、関心です」
「…………」
碧の顔は本当に屈託のない笑顔だった、これだけの事なのにここまでしてくる碧を見ているとなんだかやりきれない気分になる。
「……俺が捕獲した奴はどうなった?」
気を紛らわせるためかそんな事を藍川は言い始める。
「えー……無事に留置場まで送られたみたいです。今はそっちの担当者が尋問を行ってます」
藍川が捕獲し留置場に送られたものはあくまでも「精神」に過ぎない、相手も潜行を行っている以上、現実世界には実在する肉体がある。
留置場に送られた犯罪者が真っ先に聞かれるのはその肉体の場所、つまりは潜行を行った場所だ。
潜行が広まり始め、誰にでも使えた頃とは異なり今は明確な許可を得て機器を設置し安全が保障された場所にだけ繋がる様に設定された機器でなければ一般人は使用できない。
よって犯罪者たちが潜行を使用する時は、無許可で営業や機器の貸し出しを行っている業者が間に存在している場合が大半だ。
そのような者達の摘発を行うことも「潜行犯罪」の根本的な解消のためには必要な事なのだがそこは向こう側も十分に理解しており、利用者が公的機関へ移送されたりする兆候を確認すると瞬く間に逃走されてしまう。
おかげで吐いた場所へ向かってもすでに、もぬけの殻で捕獲した犯罪者の肉体だけが放置されていたというケースも多い。
そのせいで結局はいたちごっこという結果に陥ってしまうことがほとんどだ。
迅速な行動によって摘発に成功したケースもあるが大抵はそのような営業所はいわゆる組織の末端部や下請けのような立場で行っている場合がほとんどでそこから大本である組織に繋がる情報を得ることはまずない。
結局のところ犯罪者を確保しても根本的な解決には至らないケースがほとんどなのだ。
だが、それでも少しずつ分かり始めた部分という物は確かにある。
「それで、何かわかったのか?」
「……やはり『ガイスト』の存在があるようです」
その返答を聞いた藍川はそうか、と小さく頷く。
そっけなく見える返答であったが、この時の藍川の内側では様々な感情が湧き上がり始めていた。
『ガイスト』と言うのは近年ようやく明らかになり始めた存在である。
現在多発しているハッカーたちの犯罪や違法取引などの裏で支援や手引きを行っている存在として全世界レベルでその確保に全力を挙げている。
だが、実態は全く掴むことが出来ていないというのが現状だ、『ガイスト』という名称も捕獲した犯罪者たちが違法なプログラムの取引などにおいて時折聞いたことがあるという話が出てきてようやくその存在が確認できた程度だ。
過去に起きたあの大規模な事件も『ガイスト』のハッカーの仕業だと噂されてるがその真相すら定かではない。
それでも取り付く島もないのでは方向性も決められないため、藍川達を含めた全ての捜査官は『ガイスト』の解体を当面の目標としているのだ。
真実かどうかさえ曖昧なものを目標としなければならない現実を考えると頭が痛くなる。
「さて、もういいか?」
しばらく横になって三分経ったと思ったところで座席から藍川は起き上がる。
「あっはい、大丈夫です」
今回は大丈夫であったようで特に押し戻されることもなく藍川はそのまま起き上がる。
「じゃ、部長の所に報告に行ってくるそ」
またあの堅苦しい部屋に入らなくてはならないと考えると気が重いが仕事だから仕方がない嘆息しながら碧に告げる。
「はい、分かりました」
そう見送られつつ藍川は部屋を出て、部長の部屋の方へと向かって行く。
そして部屋に入るといつも以上に重苦しい空気に藍川は出くわす事となる。
「失礼しま……「ちょうどいいところに来た」
まるで藍川が来るのを分かっていたかのような速度で部長は言う、その突拍子もない事態には流石に動揺せざるを得ない。
「……何でしょうか?」
「少々事態が起きた、お前に相談したい」
そういって部長は藍川に向かって手招きしてくる、どうやら机の機器を見ろという事らしい。
その手招きに従って藍川黒柳の机の方へと向かいデスク上のパソコンを見る、今の時代でもパソコンという物は健在だ。
潜行の誕生によって既存のハードウェア部分は消えるなんて話もあったが結局は元通りとなってしまった。
そうして藍川は部長のマルチディスプレイを覗き込む、だがそこには無数の情報が飛び交っておりどれがどれだが全く理解できない。
「えっと……」
「ああ、ちょっと待て」
部長は手元のマウスを操作して何かを開く。
「これだ」
なんだ? そんな事を思いながら指し示す先を見る、そこにはこんなことが掛かれていた。
『GEIST』
「これは……」
その文字列を見た瞬間藍川の体は震えを感じるように思えた、だがそれは恐れでも緊張でもなく純粋な期待によるもの。
「そうだ、外部の情報提供者からの連絡だ」
「……中身は?」
声が震えそうになるのを何とか抑えつつ藍川は言葉を繋げていく。
「ここではセキュリティが強固過ぎては開封不可能だ、ついさっき別部署の解析班に送っておいた、じきに開封され内部のデータが判明するだろう」
「……情報とは?」
「見れば分かるだろう『ガイスト』についてだ」
黒柳が直接口にしたその言葉を聞いて藍川の期待は喜びに変わる、そこから発せられた声は短くとも確かに喜びの感情に満ち溢れているのが分かるほどであった。
「……本当ですか!」
「声が大きい、本当だ、数か月前から追跡させていたのだがようやく掴むことが出来た」
その追跡については藍川も話には聞いたことがある、この第一支部のみならず全国の潜行捜査機関が連携して行っている極秘捜査だ。
藍川も部長から直接聞いただけでその詳細は知らない、当然一般的な機関などにはその存在すら一切知らされていないレベルのものだ。
「それで近々、その人間が潜行空間に新規のプログラムの試験のために一人で潜行を行うという情報が入った、言う必要もないと思うが当然、そこを狙って確保を行う」
部長の言葉に藍川は一挙一動を見逃さない勢いで耳を傾ける。
「それで、藍川お前に今回の捕獲の主導を担当してもらいたい」
「分かりました」
その言葉を待ち望んでいたかのように藍川は即答する、断る理由など存在しない。
「そうか、では明日担当者のみの集会を行う遅れるな」
「はい、よろしくお願いします」
そういって藍川は部屋を後にする、部屋に戻る最中藍川の胸中はそのことに関する期待と喜びで膨らむばかりだ。
「あ……報告……」
だが道を半分ほど戻って来たところでようやく本来の目的を思い出し、藍川は来た道を戻っていく、結局再度部屋に入り、報告を行う羽目になってしまった。




