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高尚な覚悟


「わ、わかったよ、負けを認めるからさ、今回は許してくれよ」

「駄目だ、お前のやったことは立派な犯罪だ、現実で刑務所に入って罪を償え」


 相手の懇願にも一切耳を貸さず、藍川は淡々と答える。

 だが相手の懇願はやむことはない。


「俺は配られてたプログラムがどんなものか見てみたかっただけなんだ! どんなものなのかなんて知らなかった! 悪意がなかったのに刑務所に入るなんておかしいだろ! 悪いのはそんなプログラムを配ってる奴らの方だ!」

「……」


 新しく施行された「潜行とその所行為に関する法律」では、現在においても多くの法律の改正が行われている部分もあるがそれであっても「他者に何かしらの損害を与える」という事は現実と同じように違法であることは当初から変わらない。


 知らなかったなどと言う言い訳は全く通らないのだ。


「もうすぐ本部に転送する準備が整う「潜行」を開始した場所をさっさと白状して現実で反省しろ」

「だから知らなくて……」


 それでも反省の色を全く見せない逃走者に対して藍川は言う。


「配っている奴らが悪いというのは確かに正論だ」

「だがそれを使い他者に危害を加えているのはお前自身だ!」


 始めは諭すような口調だったものの次第に藍川の口調は強くなり始める。


「お前のやっている事は他者に危害を加えるという立派な犯罪だ!」


 最後にはまるで激高したかのように言葉を発していた、その声の響きに怖気図いたのか逃走者は早口で言い訳するのを止めもごもごと小声で何か言い始める程度にまで大人しくなった。


 今の治安の悪化は大きな力を持ったハッカー集団が存在しているというのが大きな原因ではあるのだがその本体を特定し大本を断つという事が出来ないでいる。


 原因は恐らく彼のような存在がいるためだ。


「潜行」技術が世に広まる事でコンピューターやネットワーク方面に対する知識に興味を持つ者が増え、人員の不足なども合わさってITなどの分野における需要が大幅に拡大した。

 藍川もそんな時代の流れに沿うように道を選んだ人間の一人であり、元々はそちらの道を目指していた。


 ところがそんな流れが出来始めた矢先に潜行空間においてあの大規模な事件が発生した。


 潜行という物に対する一般的な知識があまり浸透しきれていなかったことや開始後も大きな事件が起きなかったことなどもあってほとんどの人がその対策を知らなかったという事も合わさり大きな事件となった。


 クラッキング時に潜行を行っていた人たちはその精神に大小の様々な障害を残す結果となった。


 軽いものでは当時の記憶が曖昧となる、過去の記憶の一部を失うなどで済んだが重篤な物では感覚そのものへの後遺症が現れるケースもあった。


 その中で最も多かったものが五感の一部を永続的に失うという物であった。


 潜行という精神面が露出している状態で全く防衛の知識を得ていない一般人が影響を受けたため五感と言う精神の基本を支える部分にダメージを負ってしまったのだ。


 そのような人達は医療的な面では全く異常がないにも関わらず視覚、聴覚、味覚などが全く感じられない状態になってしまった。


 その事件がきっかけとなって潜行の全面的な考え方の撤回、改正が行われ今の様に誰でも自由に行えるという状態はなくなる事となる。


 潜行という話題性の大きなものに対する攻撃が行われたこの事件に対してはあらゆる分野において様々なことが言われることとなった。


 その中で最も大きく取り上げられたのは当然、国家に対する危険予測の欠落への批判。

 日々あらゆる分野の人間がその対応を批判していった。


 潜行に対して危険性があると主張していた集団などはここぞとばかりに「潜行」の永久凍土を求める程であったが、その後の国家の迅速な対応によって風当たりはある程度弱まり、安全を保障したうえでの最低限の地位は留める事となった。


 だが、中にはその大規模なハッキング事件に対して一種の羨望のような目線を向ける者もいた。


 それには潜行を崩壊しかねないほどの事件を起こした技術や、その後の足取りがつかめていないという事実も合わさって、国家ですら太刀打ちできないハッカーが存在するという状況が作り上げられてしまったという事が大きい。


 時が経つにつれ、その自分の腕を誇示するかのように痕跡を残さずにハッキングをするという事件が横行し始める事となる。


 その多くは見様見真似で行っているようなものであったがその中にも確実にあの大事件を起こした存在を思わせるほどの腕を持つ者はいると睨んでいる。


 藍川達は多発するハッキング事件の犯人を地道に逮捕しそこから少しずつあの大事件を起こした存在へと近づこうとしている。


 彼の言うような遊び半分で行っているという行為はこの潜行空間の治安悪化の大きな原因の一つなのだ。

 このような小さな事件が多発することで本来の目的である根絶にたどり着くことは出来ない、だからこそ藍川はこのような小さな犯罪者に対しても決して手を抜くことはない。


 藍川の持つ絶対的な強さはこの揺らぐことのない絶対的な信念と心情によって成り立っている。


「(彼らのような存在も確実になくしていかなければいずれ大本を断つことが出来たとしてもまた意思を継ぐように再開される可能性がある、俺は絶対にどんなものであっても見逃さない……)」

「――川さん? 聞こえますか?」

「ああ、すまん少し考え事だ」

「――転送の準備が完了しました」


 その声と共に目の前に再びリンクが形成される。


「うあぁ! やめろ!」


 そのリンクに藍川は縛り上げていた逃走者を導く、少々もがいている様だが拘束されている以上どうにもならない、リンクに押し込まれた逃走者は光の線となって高速で飛んで行った、行先は本部のサーバーに設けられている「留置場」だ。


「――藍川さん、お疲れさまでした、一旦報告もありますので戻ってきてください」


 了解、その光の筋を眺めながら藍川は答える。


「――退去開始」


 脳内の碧の声と共に藍川の体も光の筋となって飛んでいく、行先はもちろん現実にある自分の体だ。

 飛んでいる間は再びあの高速の光の流れが続いていたがじきに睡魔のようなものが現れてくる。


「……そろそろか」


 不慣れな者であれば酔うことも珍しくない周囲で光が瞬き上下左右に激しく揺さぶられている中でもこの睡眠を引き起こすような感覚は必ず訪れる、一説には精神が動きを止めている状態とも言われているが詳細は分かっていない。


 潜行も未だ全てが解明された技術ではない、それに不安視する声も未だに残っているが慣れた藍川は特に心配するようなこともなくそのまま睡魔に身を委ねる。


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