捕縛開始
「これは……」
空間を抜けた藍川が最初に感じたのは不快、明らかに空間中の粒子が荒れている。
感覚によって全てが構成されている潜行空間において粒子が荒れている状況と言うのは潜行者にとっては視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚全てに不快感を受けているのと同等の状況。
それは短時間での粒子の移動、形成、崩壊がここで行われたことを意味する、この近辺に先ほどまで例の逃走犯というのが居たのは間違いないだろう。
「藍川隆二さん、ですね……」
と背後から声が聞こえ藍川は素早く振り返る。
そこには自分と同様に光る人型の存在、これが先ほど言っていた別の「潜行者」だろう。
「貴方が追っていたという方ですか?」
「はい、そうです……」
そう答えた潜行者だったがその声はどこか苦しさのようなものを含んでいる。
「すみません……多重トラップを捌ききれずに一部を食らってしまいまして……」
それを聞いた藍川も状態を理解する。
だが記憶に障害を受けるほどの高度なトラップでなかったのは不幸中の幸いと言えるだろう、そう結論付け目の前の相手に藍川は退去を勧める。
「あとは俺に任せて、貴方は早く退去を」
「お願いします、奴はあっちの方向へ……」
そう言って前方を指さしていた別の潜行者だったがその言葉を言い終わるよりも前に、その体は一筋の光の形となって高速で彼方へと移動していった。
外部からの強制退去が働いたのだ。
「――藍川さん」
「ああ、分かっている追跡開始だ」
碧の声を聞きつつ、その指さしていた方向を見据えた藍川はそちらへと手を伸ばし粒子の流れを見始める。
見ると粒子の中に人がかきわけて言ったかのような跡が残されているのが見える、どうやら敵は移動の痕跡を消す事すらせずに逃走していったようだ。
多重トラップを食らって退出した先ほどの潜行者は恐らく新米だったのかもしれない、と藍川は考えていた。
だが確信は持てない、何故なら藍川自身が先ほどの潜行者が誰なのか知らないからだ。
潜行空間にある物体を構成しているのは同じ粒子であるため、外見での判別という行為はここでは出来ない、あくまでも移動先にすでに潜行者がいるという情報を事前にを受け取ったからこそ振り向いた際にも攻撃をしなかったのだ。
もしその情報がなければ敵も味方も光る人型にしか見えていない藍川は迷うことなく攻撃を仕掛けていただろう。
だが多重トラップとは言っても逆に言えばそれは単純なトラップの組み合わせに過ぎない、新米が食らいやすいというのも咄嗟の判断に欠けるという意味の方が大きい。
単純なトラップと痕跡を残したままの逃走という事も併せて考えると、今回逃げている敵はそれほど技術の高い者ではないらしい。
「また末端の奴らか……」
不満げな感情を渦巻かせながら藍川はその方向へ向かって走り出す、それは先ほどファイアウォール内で見せた動きとほぼ同じレベルでの跳躍。
一見すると同じだが保護されていないファイアウォール外で高速で移動するという事は無作為攻撃を踏む可能性が高くなるという事を意味する。
全く何の情報もなしに高速で進む藍川は自分の外部からの攻撃に対する防衛速度に絶対的な自信を持っているという表れだ。
予想通りに藍川が進む先々で複数のトラップが発動し藍川へと向かってくる、そして藍川はその自信を証明するかのように瞬時にその攻撃を防衛していく。
周囲から飛んでくる矢を思わせるかのような形状の物体が藍川に触れると同時にその形は崩れていく、藍川ほどのハッキング能力を持つ者に対してこの程度の単純なトラップで害するのは不可能だ。
トラップを解除しつつ進んでいると、前方に光が激しく瞬いている場所が見えてくる。
あれがまさしく潜行者が移動する際に発生する粒子の乱れ、高度な腕を持つ者であれば無風の水面の如く痕跡を残さずに移動することも可能なのだが、前方で光の飛沫が飛び交っている様子を見る限り敵の腕の低さは目に見えている。
一気に行く、そう決断した藍川は今までの中で最大の跳躍を見せ、一気にその距離を詰める。
「うわっ!」
そこでようやく背後から凄まじい勢いで距離を詰めてくる存在に逃走者は気が付いたようだ、だがもう遅いすでに逃げ切れるような距離ではない。
「くっ、食らえ!」
背を向けて逃走する直前、逃走者は振り返り腕を振る。
その手の軌道に合わせて周囲の粒子が集まっていき形を成していく。
どうやら逃走者が何かしらのプログラムを発動させたらしい、その動きを見た藍川は一旦接近をやめ、一定の距離を保ったまま様子を見る。
形成されたプログラムは細長い紐状でありその先端と言える場所にはドリルのような形が備わっている。
これは形成と同時に行われた指令に沿った動きをするプログラム、いわゆる「コンピューターウイルス」とでも言った所の物だ。
だがこれも自らの腕前の低さを露見したに他ならない、不意打ちでもないこの状況下でコンピューターウイルスを仕掛けても一度削除されてしまえばそれで終わりとなってしまう。
向かってくるウイルスはその先端部分で突き刺さんと向かってくる、だが藍川が手で払うように押しのけるとそれだけで簡単にそれは飛散してしまう、時間稼ぎにすらならない。
その攻撃はむしろ無駄に足を止めてしまったようなものであり逃走者が逃げる間もなく藍川の手から光が伸びる。
その手に構成された光る縄、それは藍川の思念という指令によって周囲の粒子が反応して生み出されたもの。
藍川の「相手の行動を制限する」という強い思念によって生み出された指令は潜行空間では「縄」というイメージで描き出され逃走者を捕らえる。
逃げる間もなく、逃走者はその縄に取り囲まれ動きを止める。
「――藍川さん、おみごとです! 逃走者の動きの停止を確認しました!」
縄で縛り着けた相手に近づいていくと碧の声が聞こえて来る。
「回収を頼む、それまで相手は拘束しておく」
「くそっ……全然解除できねぇ……」
逃走者は自分を拘束している縄、つまり藍川の指令を受けている粒子にハッキングしその大本である指令を解除しようとしているが全く形状の崩壊は起きていない。
それは相手がプログラムの指令を解除しようとした瞬間に藍川はもう一度その上から書き換えているからだ。
このような状態では「潜行者」の技術が物を言う。
潜行空間での強さとは周囲に感覚を与える力で優劣が決定される、存在、雰囲気、威圧感を強く持つ潜行者がいわゆる、強い潜行者と呼ばれる者達。
「あきらめろ、お前の腕では絶対に解除は不可能だ」
諦めの悪い逃走者に対してそう苦言を呈すると足掻きはやめ、今度はひたすら身を低くして来る。




